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「大学生のうちにやっておいた方が良いことはありますか?」

社会人になってから、学生と会うたびに聞かれるのが
「大学生のうちにやっておいた方が良いことはありますか?」
ということだ。

何者になりたいのか、によって大きく変わる気もするが、個人的には社会人で活躍するためのスキルなんて社会に出てからつけたら良いと思うし、旅行だってわりと行ける。

死ぬほどお金儲けしたい人はそのためのスキルを磨くのも良いだろうし、バイトやサークル、部活を最後までやり遂げるのも思い出の一コマを作る上で欠くことの出来ないものだと思うので、そういったことに精を出すのも良いだろう。

僕自身のことを言えば、ゼミもバイトもインターンも、さらには学生団体を事業化する過程も踏んでおり、遊ぶということ以外ほとんどを経験出来た4年間だったので、所謂多くの人が「やった方が良かったんだろうなぁ」ということを経てきたのだが、、、

自分自身その時間の使い方で良かったのかと問われると疑問符は浮かぶ。

例えば、スキーやスノーボードといったウィンタースポーツの経験は無いし、バーベキューだって内定先の同期と四年生でやったのが初めてだ。
旅行だって男7人で岐阜に一泊しただけで、夜遊びも一度もない。
それが充実していたのかと言われると、単純にそういったエネルギーを使う遊びが好きではないから選択的に避けてた手前、後悔はないが、客観的に楽しそうではないだろう。

自分が遊ぶ経験が少なかったためか、社会人一年目の時は後輩たちに「旅行したり、友達とたくさん遊ぶことかなぁ」と言っていた気がする。
振り返ると「それはしてるから他のことを言ってくれ」っていうメッセージを受け取れていなかったんだなぁと申し訳なく思う。

やってて良かったことの実感は社会人2年目以降に実感してくる

社会人の年数が経ってくると、これを大学時代にやってて良かったということに対してようやく実感が出てくるのだが、最初に実感したものは「研究」だったように思う。

三流私大に通いながらもわりと真面目に学問に向き合っていたためか、読んだ論文数は500を超え、学術書も100冊以上読んでいたこと、バイトも教授のお手伝いだったことから、バイトを学問として捉えるという姿勢は、何もないベンチャーで仕事を開拓するなかでは大きく役に立った。

ただ、これは本当に好きでやっていたので、
あえて時間を潰してまでやったほうが良いかと問われると、
何とも言えない。
可能であれば卒業論文くらいは真面目に書くことを勧めるが。

次に実感を伴ったことは「幅広いカルチャーの知識」だった。
アニメ、漫画、ゲーム、文学、映画、音楽、落語、ラジオとこれ以外にも様々なカルチャーが存在しているが、それらを深く探求し、話の引き出しを持つことは、様々な背景を持つ人と働く社会という場所において、共通の話題という心の手形を持つことだ。

特に、社会人になってから月に60本の映画を観ることはかなり不可能に近いが、大学生なら週15本×4週と考えると不可能ではない。
旅行は可能で映画が難しい理由は「旅行はその時特定の誰かと行くという緊急度が高くなる」一方で「カルチャーのインプットは常に一定の低い位置の緊急度にある」からだ。

社会人になるとどうしても緊急度の低いことはやらなくなるため、いつかは身につけた方が良い教養シリーズは、たいがい大学生のうちにやっておいた方が良いことだろう。

どうしたって意味を見出すことの出来なかった時間たち

3つ目は「無駄なことをする」ということだ。
社会人になると、あらゆる行動や関係性に意味を持たせることが出来る。
例えば、ボードゲーム1つ取っても「そこからこんなことが学べたよね」という話になるし、飲み会1つ取っても「この人はこういうところが話が面白くて学べる」と常に何かを取り入れようとしている。(これは特に仕事熱心なベンチャー界隈に顕著なのだが)

時折、僕たちはもの凄く意味に疲れる。

何であっても、キャリアや仕事のため、もしくは自分の成長のためとあらゆる経験を有り難がり、無意味でありそうな時間さえにも言葉をつけたがる。

そうした時、どうしたって意味を見つけることの出来なかったどうしようもない時間たちが「青春」という言葉で浮き上がってくることがある。

大人になっても夢中で全力疾走な時間を過ごすことは不可能ではないし、それを「青春」と呼ぶ人がいることはよく理解できるが、どこかであの時のなんで笑っていたんだか思い出せない一コマの柔らかい光には届かないような気がする。

どうしたって、社会的意義や組織的責任、生存や競争の中にいると、そこでの楽しさは学生までは中々味わうことの出来なかったものだから、時間が前に進むことに対する後悔はないけれど、残された時間もまたあの時しか出来ない楽しさだったという事実もある。

しこたま酒を飲んで川沿いにひっくり返っても、意味もなく終点までを乗り継いでも、何時間もカフェでする恋バナも、それは全て時間を経るごとに輝きを増していく。

あぁそう、だから。
そんな「無意味なことを共有出来る周りの人を大事にすること」そのものが、もしかしたら大学生のうちにやっておくべきことなのかもしれないな。

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