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夜長月にエンドロールを

高校の同級生が中絶したという話を、人伝いに聞く初秋。「9月は夏である」 という友人の言葉に素直に頷くことができず、これが夏で、これが秋で、と取るに足らない議論を交わす。三連休を獲得した人間の余裕というものは、こういう所にあると思う。
妊娠2週目の中絶手術は、搔爬術という手立てを用いて、子宮の奥から生命の萌芽が削り取られる形で終わった。スクラブを身にまとった執刀医がオペ室に集合し、「メス」 という言葉から始まる世界だとごく最近まで思っていたから、手術の詳細を聞いて拍子抜けした。医療技術の進歩により、最近では服薬による中絶方法も存在すると聞いて、文明という概念を創成してきた人間様も時として羽虫を潰すみたいな扱いに晒されることを知る。術前には当然麻酔を打たれるから痛みは感じないらしいけれど、自らと同じ命を自らの手で殺すという重大さを感じるなら、服薬よりこちらの方が精神的な痛みを伴うことは容易に想像できる。
中絶費用12万、という値段を聞いて、高いとも安いとも感じられなかった。" 命に値段は付けられない " というけれど、たった12万ばかりの金を積んだ暁に処理されてしまう命のことを考えると、こうして生きている私達でさえも、それほど価値は高くないと思うのだ。

産まれてきたら、どんな子に育ったんだろう、と呟くと、重苦しい会話も一旦舞台袖に引っ込む。熱中症警戒アラートを知らせるテレビニュースを眺めながら、慌てて 「やっぱり9月は夏かもしれない」 と、元の話に舵を切った。中継に切り替わった画面の中で、見てくれ3、4歳の女の子が水遊びをしているのを見つめながら、性別も顔の形もはっきりしないまま、冷たい鉗子で引きずり降ろされた赤子のことを思う。先程までウクライナ情勢を報じるニュースに顔を顰めていた大人達が揃いに揃ってワイプの中で顔を綻ばせるのを見て、やはり子供は神様なのかもしれないと思った。
母親に似たのであれば、よっぽどお喋りで目元がはっきりとした子供が産まれてきたんじゃないかと、一時は母親になりかけた同級生の目鼻立ちや性格を頭の中でもう一度組み立てる。中絶に至るまでの経過を知らなければ、特別な事情も知らない状態で勝手に考えていることだから、不思議と生臭さは感じないのだった。

友人が禁煙するというので、禁煙前に中途半端に手をかけた煙草を全て預かった。ガラムのスーリヤ、ガラムメンソール、ブラックデビルのレギュラー。異常なまでに甘いものを嫌っていた彼が何故これほどまでに甘い煙草を選んだのか、聞けないまま家に帰してしまったけれど、大人になった今時分、そんなことはどうでもいいような気がする。薬膳のような匂いが漂うガラムは正直苦手だった。しかし一度懐に転がり込んでしまったものをそのまま棄てることの方が何よりも苦手だから、一刻も早く消費する為に吸う。火の点いた穂先から菊千代みたいな火花がパチパチと音を立てながら上がっていて、そういえば今年は花火をしなかったな、とまた、取るに足らないことを考える。




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