兵庫の海から
旅に出かける為に口座に残っていたひとしずくを丁寧に平で掬って、4時間ほど新幹線に揺られた。夏に浮かれていたことがよく分かる通帳の羅列、経済的な困窮。よく考えれば明日は給料日だ。素直に喜ぶ、訳があるまい。夏期のそれはいつも貰う分より遥かに少ない上、実母に借金までしていることを思うと、かいたばかりの7月分の汗もすぐすぐ乾いてしまう。
旅行先でさえ、うまく眠れない。枕に身を預けて目を瞑る。エアコンの設定温度、カーテンの開き、車のエンジン音、瞼を閉じる力加減。あらゆるものが気になってしまうともう正しい眠り方には戻れない。もっとも凶悪なのが私の身体と掛け布団の位置関係に困る時間で、いつも片脚を外に放り出して眠るのか、両脚を包んで眠るのか、もう布団はかけないでいくのか、という選択の下に四肢が分類して大いに揉める。一時間ばかり格闘して、いつの間にか眠りに落ちていた。生まれつき人より熱を籠らせる体質を持っているために、冷房に世話になる部分との両立が大変に難しい。人に分けるだけの体温はあると言うが、一人で使うにはあまりある熱量である。これから涼しくなっていけば、この長きに渡る戦いも終わるのだろうか。毎日布団に入る前に不安を感じるのはもう懲り懲りだ。
瀬戸内海の水に初めて触れた気がする。もはや毎年行くことが恒例になってしまった大洗海岸、免許を取得したばかりの頃に訪れた九十九里浜、その他どこどこ。何処も海と人との境界が明確に設定されていて、人家から波打ちに至るまでの距離はやや遠くに見えた。水は青く砂は白くても、地元の様子が僅かでも見えなくなる途端に、あくまで観光客の来訪を前提として作られたセットなのだと余計な思いを巡らせてしまう。そこにふらりと地元の人間が現れたとて海とその土地が再び結び付くこともなく、浜辺に立ってしまえばあっという間に余所者の一部となってしまう。" 観光名所 " と名を与えつつ、綺麗にされ(すぎ)た場所へ行くとそうした詰まらなさを感じる。
互いに知らない道程を西明石の中心から南東方向へ降下する。少し前に居酒屋で引っ掛けたアルコールも徐々に抜け、ほおずき色に染まった頬も元の色に戻りつつあった。あらゆる角度からこちらを撫でる風も林立する建物の間を旅してきたのだろう、熱波を穿つ力もないような、やる気を欠いたぬるいぬるい風が吹く。眠気を携えながらも、歩みは軽やかだった。
建物が立ち並ぶ先、なだらかに沈胴した道の先に漣の音を聞く。防犯灯の光を避けながらよく目を凝らすと、暗がりの中にうっすらと波の束が見えた。砂浜も思うより広くなく、文字通り目の前に海が拡がっている。宅地のそのうち一軒に目を留めて " あの家で眠りに着いたら寝床から海が聞こえるのではないか " などと考えた。たった今波が追いついた砂の先から、対方にある最寄りの家までは幾らも距離はなく、まさしく庭と喚ぶべき関係を築いていた。いつか私が見たいと願った、まさしくここにあるが為の海である。
「 地震が怖いけどねーー。」 と言われてから、眼前に群れを成す海水がかさを増すところを想像した。上手く頭に描けないのは、私が本当の海の姿を知らないから。日々動きを止めることなく、絶えずたゆたう水面を見たことがないからだった。隣に立つ彼女の髪が揺れているのを見てようやく、海風が吹いていることを知る。確かに、地震は怖い。しかし先程会ったばかりの、生まれや文化も異なる人と共通項を探しつつ、曇りなく話をするには地震の力を借りる他なかった。結局は他人事で比較的安全な場所に住んでいる私は、災害の脅威を舐めていた。自分だけが生き残ればそれで、と思うなどした。然しながらこの人に会えなくなるのかもしれない、と思うとそれもそれで苦しいことが分かって、地震が来ませんようにと心で繰り返し、繰り返し願うのだった。
関東の海とは異なり、脚元には礫が浜を形成しているらしく、波の形に沿うように堆積物が弧を描いている。単色の砂浜が形成するグラデーションとは異なり、色とりどりの礫粒子が浜に色を与えている様は圧巻そのものだ。
平坦かつ無垢な砂浜と違い、礫浜を歩くのは少しコツがいる。波形を模した稜線を踏むと、足の形に地表が沈むものだから、体重を前に傾け、屈むような姿勢で歩む必要があった。幸い月齢が13.7、右上がやや欠けていても満月に劣らない光を放つ。よろめく身体の前方に、明石大橋が構えている。大橋の先にある淡路島のシルエットが月光によって露になり、停泊した船の光であろうか、島の輪郭を投げている。
別に、何処に行きたいわけでもなかった。生まれ故郷を自らの居所と感じられず、一人で様々な場所へ訪れた夏。結果として、そんなものは何処にもなかった。そしてこれから何処へ足を運んでも存在しないものである気がする。
上手く寝付けないまま、朝を迎えた。朝を苦手とする私が、完全にとまではいかなくとも目覚ましできちんと目を覚ましている。ここ数年忘れかけていたような、何ともやわらかい朝だった。「何処に行くか」 というより 「誰と行くか」 であるという確信が持てた。
拾ってきたシーグラスを、自室の引き出しに流し入れる。長い時間をかけて角が取れたシーグラスは、かつてのガラス材だった時代を忘れているのではないかと思うほどの出来栄えだった。明石大橋を伝って淡路が見えて、その存在によって滑らかに切り取られる海の姿。間違いなく人生で一番きれいな海の出で立ちだ。こうして、私の夏が終わる。
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