見出し画像

インソムニア

体調を崩して何となく仕事を休みを取った。突発的に悪くなった、という訳ではなく、ピースが抜かれ続けてグラグラになったジェンガのように、少しずつ芯がなくなってきた頃、繁忙期前日を狙って休みを取った、ただそれだけの事である。週明けのどんよりとした空を見ながら、プツンと糸が切れる音がしたような気がして、震える手元を制御しながら、覚えのいい番号を入力した。静かな部屋の中で職場に電話を掛けたところまではよく覚えている。ただそこでどんなやり取りをしたのかというところまでは、あまり記憶にない。
こうしている間に好きなことをすればいい、くらいに思っていたが、社会人となるとそういう訳にも行かず、布団をはだけさせて、また掛け直ながらの一日を過ごすしかなかった。つくづく、社会で生かされていなければ落ち着かない私を感じる。

その間、滅多に雪の積もらないこの街に雪が積もった。山間部は早くに雪化粧を誂えるが、県央に位置する私の住処には滅多に雪など積もらない。一度だけ、驚くほど降り積もったのはまだ私が青年と呼ばれていた時のことで、それすらもすっかり記憶の底に埋もれていた。
腹の中は空っぽなのに身体ばかりが重くて、布団を背負ったまま窓辺にずりずりと迫るとなるほど、音もなく白雪が降っていた。しんとした庭木の上に雪が落ちるのを見ながら、やはり私はかねてより雪が嫌いであることを自覚する。
しかし、この街に少しでも雪が落ちるとなると、無性に筆を執りたくなるのだった。何かを好きになるにも一定のエネルギーが要るし、また何かを嫌いになるにもそれと同じくらいのエネルギーを必要とする。好きも嫌いも、方位を気に留めなければ、同じ重さを持つ存在であるような気がしてならない。

重い頭を抱えながら、少しだけ庭先に出て雪に触れるとする。生まれつき指先ばかりが温かい私が、たった今出来上がった山の頂きに触れると音もなくその部分だけが溶け出して、指先と同じだけのへこみが形成される。冷たさに驚いてから思わず、表皮を包む雪を払った。視力矯正のない両眼はこの頃うんと悪くなり、まるで使い物にならなくなってしまった。表通りの方を眺めていると、拓けた道路から各人家の方向へ、家主らしき人々がせっせと雪を脇に払っている様子が、ベールをかけたようにうっすらと見える。かつては彼らも、柔らかな雪を固く握り締めて歩いた日があるのではという物思いに耽るも、そんな私もまた、雪を握って手前に放る気にすらならないのだった。

降り続けてから凡そ6時間ほどの時が経ち、ザラメのような雪へと変わったかと思えば、翌朝にかけて段々と、波が引いていくように雪は止んだ。総積雪量は6センチ。布団から出てから小刻みに頭を振るとそこはかとなく重みを感じるも、表戸口を開けると出掛けるには困らないくらい、雪面は沈んでいた。いつもより早く、始業時間までだいぶゆとりを持って出勤をする。車列の混み具合は疎らでも、一年の半分を通過した幹線道路は顔色ひとつ変えずに動いていた。出勤後もなお、表通りで雪をかいていた人間に倣って、除雪スコップで塊を掬う。端から漏れ出た幾つかを拾い集めながら、人1人歩けないような隅へと追いやる作業に、さして意味などなかった。溶けかける雪に触れるだけでも耐え難い寒さを感じる。今朝方、家を出る前に北国行きの航空券を往復路分、一律キャンセルのボタンを押してここまでやってきた。これで良かったと思うし、良かったと思いたい。たった今隅に固めた土混じりの雪みたく、そう綺麗にいくものではないけれど。検索エンジンに登録してあった素知らぬ街の表示を消して、ごくスッキリした頭でアクセルペダルを踏んだ。何かに絶望を感じたとて、仕事はそつなくこなせるようになった。仕事も、絶望も、慣れだ、そんなもの。これにて思い出を手繰り寄せる作業はここら辺までにしようと考える。私は、そんなに弱くない。





この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?