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フルオロメトロン / 創作

「ライブハウスで会った男とライブ帰りにヤったけど気持ちよくなくて、バンドもろとも嫌いになった」という話を何となく聞きながら、それは違うんじゃ、と思った。決して口には出さないけれど、目口鼻の切り替えがそれを物語っていたと思う。世間話の傍ら「このバンド良いよ」というひと言で進めたことを皮切りに、音楽に飽き足らず様々な部分で身を捧げてしまう彼女を見ていると、一番綺麗な縄跳びを同級生に取られてしまった小学校の遊び場を思い出すから、自分が惨めに思えて仕方がない。
違うんじゃない、と思うのには様々な思いがあるけれど、これをきっかけに彼女が堕ちていくのを見なくて良い、ということを思えば少しだけ安堵して、手許の日本酒をもう一口だけ飲む。すっかり温くなっているのを舌の先で感じて、すぐそこに夏が来ていることを悟った。いつからだろうか、水入らずで話し合う関係からすっかり聞き役に徹してしまうようになって、散り積もった思いを口に出せないまま もう一度こうして春に戻って来ている。恋愛ってタイミングだと言うけれどまったくだ。馴れ合う関係になると、いざ告白という段になってもなんと言ったら良いかも忘れてしまって、互いに酔いが回ったところで東西別々の道に別れて解散した。人目もはばからずロータリーで白昼堂々抱き合うカップルを見ながら、色々な人生があるんだということをぼんやりと考えていた。

「ああ、あそこの席に居たよね?」という問いかけに返事はなかった。右手に握っていた煙草を胸ポケットにしまいながら、素早くビニール傘に持ち替えると、合図もなしにふたり小さくまとまった。互いに新歓に馴染めずに高架脇の飲み屋を出て、肩を並べて歩くことになったのもほんの偶然だった。新参者を盛り上げてやろうという雰囲気の中には、時としてやり方を間違える者がいて、その者に絡まれてテキーラを飲まされ、つい先程まで個室トイレで嘔吐していたのだ。手動式の水道の水で口を濯ぐこともはばかられるから、ざらついた口のまま店外へと出ていた。まだまだ宴もたけなわ真っ只中の埼玉市街にはあちこちから笑い声が漏れていて、前日から続く雨によってアスファルトは飴色に輝いている。
「ぱっとしない人だな」と率直に思った。カーキ色のニットにグレンチェックのスカートなんて一体色で不釣り合いだし、" 田舎から出てきました " という感じが丸出し過ぎる。手入れの行き届いていない頭髪はボリュームばかり膨らませている。初対面ということすらも忘れて、ショートの方が似合うんじゃない?と言うところだった。幸い、中目黒行きの急行電車がコンクリートを踏みながら、霧散した言葉を撥ね付けていく。
街灯の光で見え隠れする顔を見ていたら、ひょっとしたらこの人は目鼻立ちが綺麗な人かもしれない、と率直に思った。他人の顔を評価できるような人間では無いけれど、妙な沈黙が続いてしまうと、それくらいしか考えることはなくなる。

「話し相手になってよ」と言われて家に上がったところで、振り返って思い出せるような会話もなかったと今になって思う。飯を咀嚼するにも、酒を飲むにも、会話なんて要らないのだから。自己紹介をしてから名前を呼びあったことも思えば、ない。互いに名前を確認して、互いに復唱し合っただけで、名前を呼ばずとも成立するような関係が作られたのだと思う。ただ、思い切って「ショートにしてみれば?」という翌日にはショートカットに様変わりした彼女が目の前に居るから、思い付きで服を見に行こうと言えば数時間後には服を見ているわけだから、黙っていても抜群に美味しい飯が出てくるわけだから、決して嫌われているなんてことはないのだと思っていた。ただそこに愛があるかどうかなんて、深く考えたこともなかった。

「Aクラの先輩に○○って人いない?」と言われた時にすぐその顔を思い出して、「あー」と思ったけれど決して口には出さなかった。含蓄に富んだ言葉は、他人の名前が出た時こそ外に出さない方がいい。スケジュールを合わせなくても自然と行き来できるくらいの関係になると、もう言葉の詮索なんか要らない。シンプルにもうこの部屋には来ない方がいいということをかなり目敏く悟って、少し時間が経つと、飲み口に歯ブラシが突き刺さったままの空き缶を片手に持ちながら、部屋の扉を閉めていた。部屋の空気の匂いがピタリと途切れて初めて、外付けのドアノッカーに兎の彫り物があったことを知った。それくらい、相手のことは実のところ何も知らなかったのだと思う。もう一度玄関の扉が開いたかと思うと「忘れてるよ」と煙草を差し出される。流石に「また来る」なんて言えない。

農道のすみで野良猫に餌をやる彼女に「どうして餌なんかあげるんだ」と一言、問い掛けたことがある。チューブタイプの餌を舐める仔猫を右に左に捏ねくり回しながらそっとつぶやく「かわいそうだから」という一言にも、彼女の横顔からは愛なんてものはこれっぽっちも感じられなかった。
彼女の作った料理を次々と消費しながら、テレビで猫特集がやっていたことも相まって、自分も餌をやられているような気分になった。誰にでも優しいって言葉は実は存在しないんじゃないかと思う。誰彼構わず振り撒く愛嬌は、息が詰まるほどの苦しさがあるらしい。

過去の会話履歴から彼女のアカウントページに飛んだ。入学式の冴えないスーツ姿の写真に始まり、段々と綺麗になっていく彼女をSNSのアーカイブで追っていたら、末尾のアーカイブは婚姻届の記録で止まっていた。社会人になった先輩が大衆居酒屋で語っていた 「結婚するとみんなSNSとか辞めちゃうんだよ」という言葉がここら辺で腑に落ちてきている。数フリックで打ち終わる程度の間に合わせの言葉よりも意味のある存在ができると、過去の記録なんて何も意味を成さなくなるのだと思う。
あの時餌をやっていた茶トラの猫はふた周りくらい大きくなった。与える餌の種類がつい最近変わり、獣医に言われるがままに飼っている餌のお陰で、以前より出費は膨らんでいる。餌を待つこいつと同じ名前の彼女は今日、誕生日らしい。未だに彼女は最後の夜のことを思い出すことはあるだろうかと、猫を撫でながら考えた。

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