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★横浜・神奈川まちあるき★④横浜にある軽井沢を探して

横浜市内の旧東海道周辺を歩く街歩き。横浜の定番観光スポットを遠巻きに見ながら素通りするような観光ツアーをしている気分になりますが(笑)、ちょっぴりマニアックな散策にはピッタリの散歩コースです。横浜駅から徒歩で来られるような距離に、こんなに不思議なスポットがあったのかと思うくらいの場所です。前回は、帷子川分水路がある横浜駅西口付近を散策しました。(前回はこちら)

今回は、横浜駅西口からさらに西側に向けて歩きます。主役は、地名です。

ということで、まずはいつもの「今昔マップ」を紐解いてみましょう。

横浜の街中に、「軽井沢」「浅間」と言う地名が!

驚いたのは、横浜駅の近くに、「軽井沢」という地名と、「浅間」という地名があるではないですか。さらには、この地図には記載ありませんが、東海道から分岐する八王子方面への街道との分岐点は、「追分」と呼ばれています。これらの地名がある場所と言えば・・・、

そう、長野県の避暑地で有名な、軽井沢ですね。軽井沢は今では別荘地ですが、昔は中山道の宿場町で、碓氷峠の西側の玄関として栄えていました。軽井沢のすぐ近くには、活火山で有名な浅間山があり、さらにその西側には、中山道と善光寺に向かう街道との「追分」があったので、まさにその位置関係と同じような地名が並ぶ不思議な場所です。

その、横浜市の軽井沢付近を歩いてみたいと思います。

前回の記事の最後の首都高の高架橋の真下は・・
実は、軽井沢公園!

首都高の高架下にある公園の名前、それはずばり、「軽井沢公園」です。

さりげない街角にも「軽井沢自治会館」

軽井沢自治会館もあります。横浜から遠く長野県に来てしまったような錯覚を覚えてきました(ほんまか?(笑))

そして、地名は「南軽井沢」。
この地域は、どうやら前総理大臣のおひざ元の地域のようです。

地名は、「南軽井沢」という場所になってきました。避暑地のような感じは全くなく、横浜駅に近い場所とはいえ、かなりローカルな場所という感じがします。

大きな道路と交差する場所の擁壁にあった壁画。

旧東海道は、大きな道路に分断されます。分断された場所にある壁画。
「平成27年度 横浜市立軽井沢中学校 『軽井沢の色』 美術部制作」

軽井沢の色を地元の中学生は、こんな色合いだと表現しています。
何だかとても素敵な風景。

土木構造物である、殺風景になりがちな道路の擁壁を、地元の中学生が素敵な壁画に変えてくれていました。横浜の軽井沢という地元に育ち、その不思議な地名を誇りに思い、知恵を絞って一つのアート作品として地名を表現している。これを見ただけで、何だかとても嬉しい気持ちになりました。

こちらは、「夢と希望をのせて 宮ヶ谷地下歩道壁画 平成元年度」

すぐ横のアンダーパスにも壁画が。こちらは宮ヶ谷地区の子供たちが書いた絵です。

アンダーパスの上の道路はこんな感じです。
宮ヶ谷公園。開放的な公園です。

宮ヶ谷地区に少し寄り道。開放的な公園のある町です。

浅間神社の山の裏側を歩いていると・・、
人知れずすごい階段があったので、登ってみることに。
ランドマークタワーが一望できるスポット。
但し個人のお宅の前だったので、この風景を一瞥して戻りました。

浅間神社の裏山は、思った以上に急な崖でした。横浜の谷は東京よりもかなり深い印象があります。

坂を下って旧東海道へ。「浅間下」バス停、町名も「浅間町」です。

浅間下商店街も、ちょっぴりレトロで何となく活気がある楽しそうな商店街でした。写真の横断歩道のある道を右に曲がると、旧東海道です。

浅間幼育園の奥に、「浅間神社参道入口」とあります。
行ってみましょう。
幼育園の奥に確かに急な階段が出現しました。
浅間神社が出現。
神社の由来が記されています。

浅間神社は、富士山の形をした高い場所に静岡県富士宮市の浅間神社に似せて作った社殿を持つ神社で、戦前に建っていた社殿は昭和20年の横浜大空襲で焼失しましたが、昭和30年代に再建され、その後崖が急傾斜地に指定されたため、昭和50年代に補強工事を施したとあります。もともとの境内は古墳群があり、境内を工事した際に土器等が見つかったとか。街の歴史を物語る土地です。

桜が開花し始めた境内。
中道入口 とあります。富士山の登山道に似せたのでしょうか。
戦前の浅間神社の石碑
縣下名勝史蹟四十五佳選當選記念 横濱貿易新報社

戦前に建てられた石碑を発見しました。昔はもっと観光名所として栄えていたようです。横濱貿易新報社とは、昭和17年に神奈川新聞に合併された新聞社とのことです。

再び東海道に戻りました。
こちらは、三十三度富士登山記念碑

この石碑は、この地区の富士講の人たちが建てた石碑のようです。中山道の浅間山も、ある意味高い山を霊峰として拝む中でできた名前ですが、こちらも富士登山信仰が深く根付いているようです。

再び、旧東海道を西へ進みます。

横浜市のマンホール。何だか模様がおしゃれです。
街道沿いにはさりげなく「旧東海道」の標示が。
のどかな旧街道を歩きます。
浅間町三丁目自治会。山車格納所とあります。

浅間神社のお祭り、結構規模が大きいようですね。サイトを見つけました。

もう少し進むと、見えてくるのは・・・、

左が東海道、右が八王子道の、追分です。
道標は無く、その代わりに説明標が建っています。

東海道と八王子道の追分です。八王子に続く道は、明治初期にはいわゆる「絹の道」と呼ばれていた道で、今でいうところの国道16号であり、JR横浜線のルートの道です。旧東海道は国道1号線に当たるものなので、ある意味この場所は、昔の国道1号と国道16号の分岐点にあたる場所です。今その役割を果たしているのは、少し南東に位置する浜松町交差点です。

現代の、国道16号と国道1号の追分、浜松町交差点。

絹の道は、今住んでいる南大沢付近も通るので、そこまでを結んでいた道路ということになります。一度沿道を探索してみたいと思いました。

追分からもう少し東海道を進むと、

洪福寺松原商店街が出現。
とても賑やかな商店街です。お買い物を楽しむ人が沢山いました。
布団屋さんが健在の楽しい商店街。
商店街を通りぬけ、国道16号へ。
高島から2㎞という標示。
国道16号沿いにある、洪福寺バス停。

やがて商店街を抜けたら国道16号へ。そこには、洪福寺バス停がありました。今回はここまで。

というのも、ここからバスに少し乗り、この街歩きの本来の目的地に向かって移動を始めたのでした。その目的地とは・・・、
続きは、次回のお楽しみ(笑)。

■終わりに■
横浜駅近くの帷子川沿いから、旧東海道を西に進みました。軽井沢という地名があり、その隣に浅間神社があり、さらに西に追分があるという、長野県内の中山道と酷似した珍しい地名を訪ねました。軽井沢と言う地名を大切にしている地域の人たちの書いた壁画や、焼失・再建を繰り返した古い神社で守り続けられるお祭り、古くからの商店街などを探訪することができ、とても楽しいウォーキングになりました。
次回は、バスで少し移動し、目的地に向けて、もう少し歩きます(笑)。


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