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★横浜・神奈川まちあるき★③帷子川周辺の旧東海道を歩く

横浜の中でも、東神奈川駅から旧東海道沿いに寄り道しながら歩いた街歩き、前回はJRと京急の線路の海側の旧街道沿いを歩きました。今回は、青木橋を渡り線路の山側を歩いたところを紹介します。

(前回はこちら)

青木橋交差点からスタート。

青木橋の交差点。すぐ西側には、高低差が20mくらいありそうな崖が見えています。

その崖を貫く1本の遊歩道トンネルがあります。

その崖には、1本のトンネルがあり、遊歩道として親しまれています。このトンネルは・・・、

旧・東急東横線の高島山トンネル

昔の東急東横線の、高島山トンネルです。東急東横線は、かつて横浜駅は父上の横浜駅を通り、桜木町まで走る路線でしたが、2004年にみなとみらい線が開業し、この区間は地下化され、地上の線路は廃止されました。これは、廃線になった地上線のトンネルを緑道に利用したものです。

発注者:横浜市、施工者:間組、平成20年、内巻鉄筋コンクリート
トンネルを出た先に高架橋がありましたが、撤去されています。

鉄道の廃線を緑道に活用した事例として、よく知られている場所です。

さらに東海道を西に歩いていくと、台地の中腹に登っていきます。左(南)側は、急坂を下っていく形になります。昔はこの坂の下は入江でした。

高低差があり、谷底が平らな地形です。谷底は昔は海でした。
今昔マップで見ると、南側の横浜駅西口付近は、「内海」でした。

今の横浜駅西口付近は、昔は入江だったところを埋め立てたものです。そもそも、横浜駅付近も、鉄道建設のために高島嘉右衛門が埋め立てた土地と知られています。

高低差が大きく、階段となっている場所もあります。
神奈川台関門跡。外国人から江戸を守るために、街道を封鎖して関所を設けたとか。

昔の入江のすぐ脇にあった高台の旧街道は、昔から防衛上の要所だったのでしょう。神奈川台関門という、一種の砦のようなものを街道沿いに築いたということです。

かなりの高低差がつきました。
上台橋。下には道路が走ります。道路を通すために開削された切土に架かる橋のようです。
昭和31年3月竣工
下の道路を通すための切土

上台橋という橋に差し掛かります。この下は道路。昔はここに谷はありませんでした。道路を通すために切土した場所に架かる橋のようです。

少し谷底を散歩。

谷底に降りてきました。ここは、横浜駅西口付近になります。

そして、帷子川分水路に架かる二之橋があります。
平成4年竣工
上に首都高の三ッ沢線が走る場所です。
首都高路線図。横浜駅西口出入口の真下に当たります。

首都高三ッ沢線の真下に、帷子川分水路があります。

二之橋の少し上流にトンネル出口があります。

帷子川分水路は、都市河川である帷子川の洪水対策で作られたバイパス水路で、平成9年にトンネルが掘られてできた水路です。

水門を裏から眺められます。

水門の裏側は公園ですが、その公園付近の主役といえば、

首都高の横浜西口出入口の施設です。左に見える歩道橋を上がると・・、
料金所の施設が間近に見ることができます。

首都高の横浜駅西口出入口です。高速道路のランプを上からじっくり観察できる場所、というのも、なかなか無いのかもしれません。

高速道路の看板を観察するのも楽しいです。
高速道路の出口ランプの横に、建物が。
楠ポンプ場と言う施設。

高速道路の出入り口の横には、排水ポンプ場があります。低い土地の浸水から街を守る大切なインフラ施設が人知れず稼働しています。

谷底から崖上までの高低差を実感できる2層構造の高速道路。
防音壁の上端が崖のてっぺんに近い高さです。

高架の高速道路は、高低差のある崖にぶつかると一気にトンネル構造へ。横浜の街を刻む谷は、結構深いです。今回はここまで。

■終わりに

横浜駅近くの帷子川分水路がある昔の入江と、その崖の中腹を走る東海道を中心に歩きました。東海道が要塞のようになっていた神奈川台関門跡があり、昔の入江の様子がよくわかり、その中にある帷子川分水路と首都高速道路という、新旧入り乱れていろんな土木構造物が見られる、個性的な場所であることがわかりました。
次回は、再び旧東海道をもう少し西に進むと、面白い地名などに巡り合いました。次回レポートしたいと思います。(次回に続く)


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