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△乙訓さんぽ△④:鉄道少年が生まれた場所を目指す

7月の3連休に久しぶりに実家のある、京都の伏見区の外れに帰省しました。その間に何回かに分けて街歩きをしました。前回までに、長岡天神駅から西山天王山駅を過ぎて、大山崎町まで歩く街歩きを楽しみました。これまで知らなかった場所をたくさん歩きました。
(前回の記事はこちら)

実家の最寄り駅は向日市の阪急西向日駅や、長岡京市のJR長岡京駅、阪急長岡天神駅で、毎日のように駅に向かって自転車を走らせる少年時代でした。最寄り駅までの道のりには、JRの新幹線と在来線が走っていますが、このあたりは鉄道ファンの聖地のような場所です。今回は、この辺りを歩いてきたので、紹介したいと思います。今回は、いつも以上に鉄分高めです(笑)。

■探索範囲の地図

今回の探索範囲、というか、私の実家の西側に広がる、向日市の南東側と長岡京市の北東側のエリアをご紹介します。昔は一面の田んぼでしたが、宅地化が進み、新たな道路などもできているような場所です。

今回の探索範囲。東から新幹線、JR東海道本線、阪急京都線が並びます。
JR在来線の、大きな車両基地があります。

■まずは、名神高速から

最寄り駅に向かうためにまず越えなければいけないのが、国道171号と名神高速です。車で移動する際には便利な道路ですが、歩いて越えるには少々大きな関門のような存在です。

菱川・上植野交差点の国道171号。名神高速道路の側道のような形の国道です。
国道171号沿いにもう少し北側へ。ここで名神は国道171号と離れます。
国道171号の大阪方面車線が交差する場所。
名神高速は、元々4車線の盛土構造だったものを、6車線に拡幅した際、
擁壁構造に変わりました。
すぐ近くの水路と道路のカルバート。
増設した場所(手前)と元の4車線の部分で躯体の色が違います。
国道沿いは様々な店や施設が並び、賑やかですが、
最近ここを走る路線バスは廃止されてしまいました。

■向日市上植野地区を歩く

国道171号と名神高速を越えると、向日市上植野地区に入ります。ここには、東海道新幹線が通り、田園地帯が広がりますが、学校や浄水場なども建つエリアです。

小さい頃から毎日のように眺めていた、東海道新幹線の高架橋。
最近防音壁を付け替えたようです。
ここから大阪方は、これまで見慣れた防音壁(笑)。
名神高速と国道171号を越えるために、登り勾配の高架橋です。
田んぼと新幹線、京都盆地の山々が見える、懐かしい眺め。

この辺りは、奈良時代から続く地割制度である、「条里制」の地割がまだしっかりと残っていて、1辺109mの正方形の区画が目立ちます。田んぼは、長辺109mの細長い田んぼが並ぶのが、この地区の農村景観です。

航空写真と地形図で見た、条里制の地割が残るこの地区。
宅地や工場などの開発も、「長辺109m単位」なのが印象的です。
向日市の上植野浄水場のところで、工事のために道路が迂回しています。
この地域を洪水から守る地下雨水貯留トンネル、「いろは呑龍トンネル」
それに接続する和井川1号幹線トンネル工事(熊谷組)が進められています。

■いろは呑龍トンネル新聞(京都府)による説明ページ
https://www.pref.kyoto.jp/ryuiki/documents/donryuh31-04.pdf

用水路の水門。勢いよく水が流れています。

■いよいよ、鉄道少年が育った風景へ

そして、鉄道少年が熱心に眺めていた場所にたどり着きます。それは、こちらです(笑)。

やって来ました。JRの車両基地です。
今は「吹田総合車両所京都支所」と言う名前になっています。

国鉄時代は、「向日町運転所」、JRになってからは、「京都総合運転所」とも呼ばれていました。九州方面に行く寝台特急や、北陸・山陰などに行く電車やディーゼル特急などの車両基地でした。写真に写っているのは、山陰方面に向かう特急「はまかぜ」の車両。今もかつてほどではありませんが、現役の車両基地です。

航空写真で見た、車両基地。とても広いです。
あまりに広い車両基地。いくつかのアンダーパスが東西に横断する生活道路です。
毎日西側の阪急電車の西向日駅まで通っていたことが懐かしい場所。
アンダーパスを影で守る、排水ポンプ。
故障対策のためか、2系統あります。
アンダーパスの中。結構狭く、車は一方通行になっています。
アンダーパスの西側に来ました。
東海道本線が眺められるスポット。
出庫する列車と通過する東海道線の列車が眺められるスポット。
ここが鉄道少年を育てた場所です(笑)。
こんな感じで列車を眺められます。
速度が速いので、意外と写真を撮るのを失敗しますね(笑)。
再び東側に戻り、長岡京駅側に歩きます。一番南側には、
いろんな車両の顔が並びます。
最近は通勤型車両が増えました。昔は夜行列車など、
特急型車両がたくさん並んでいました。
一番手前の線路だけが、南側に伸びています。
大阪方面から入庫する線路です。水路に架かる小さな橋がありました。
入庫する線路には、1箇所踏切があります。
この踏切で電車を見るのも、楽しみでした。
少し南側で、本線の複々線の線路の下をくぐります。
踏切の名前は、「堀の内踏切」といいます。
踏切は少し低いところにあり、車両基地まで少し上り勾配になります。
踏切を越えた先には、機関車の転車台があります。
今は使われていないようです。
踏切の先は、本線をくぐる道になりますが、この幅と高さ制限です。
車は通れませんが、自転車・歩行者はそこそこ通ります。
転車台につながる線路を眺めます。草が生い茂っています。
堀の内踏切の反対側に来ました。「1964年3月」の刻印があります。
この時期に複々線化や車両基地が整備されたようです。
線路沿いの道を歩きます。この道は、実家から長岡京駅や長岡天神駅に
向かう時の最短ルートです。いつも並走する線路を見て楽しんでいました。

今回はここまでですが、次回はこの場所から長岡京駅にもう少し向かったところにある、実はすごい土木遺産などを紹介したいと思います。

■終わりに

実家から最寄り駅への道のりは、鉄道少年を夢中にさせるだけの要素がたくさん詰まった場所です。当時(1984年、私が少年だったころ)の列車の車窓から、向日町運転所を撮影した動画を見つけました。長距離を走る電車だけでなく、気動車や客車などの基地となっていた場所で、地元のひとだけでなく、鉄道が好きな人が沢山注目していたからこそ、こんな映像が残っていると思います。個人的には、「あ、583系!」とか言いながら、ついつい見入ってしまう映像だと思いました(笑)。

久しぶりに実家に戻り、少し時間をかけてこの付近を散策すると、やはり昔から歩いていた場所だけあって、風景はよく覚えています。役割は少し変わりましたが、現役で残り続けている状況です。実家に帰った時に、また少しずつこの場所を訪れて、昔と違うところや、新しい小さな発見ができるといいなと思いました。

このあと、すぐ近くにある、実はすごい鉄道橋があります。そこを訪ねる記事に続きます。

(続きはこちら)


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