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◆横浜を歩く◆⑤平沼橋駅から横浜駅への道
横浜市内の散策を続けていますが、横浜は新田開発や震災復興、鉄道発展の歴史など、さまざまなドラマが息づく街であることを再認識しています。前回は、横浜駅近くを河口にする帷子川の支流、石崎川に沿って歩きました。石崎川沿いも、震災復興橋梁や旧東海道本線の線路跡の敷地など、様々な遺構を見ることができました。
(前回はこちら)
今回は、相鉄線の西横浜駅から1駅電車に乗り、横浜駅の手前の平沼橋駅で降り、そこから横浜駅まで歩きます。
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鉄道線路上の陸橋の上に改札があります。
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横浜水道道路は、明治時代に津久井郡三井村(今の相模原市緑区)の相模川から取水し、野毛山の浄水場まで43kmを結ぶ水道管が敷設され、その上に道路が建設されました。
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「横濱水道」。右下の「水道貯水場」が野毛山浄水場です。
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この駅から国鉄の保土ヶ谷駅まで貨物線もつながっていました。
一駅電車に乗り、平沼橋駅まで行きました。
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神中鉄道は、経営が厳しい中、戦前に1駅ずつ横浜を目指して線路を伸ばしました。
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昔は国鉄の線路を間借りして走る形でした。
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横浜駅付近は、昔は入江があり、海でした。むしろ平沼駅があった場所のほうが明治時代は栄えていました。
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最初に敷設された鉄道が入り江に築堤して鉄道を通しています。(上の地図の海側の線路)それが築堤となり、この入江は埋め立てられていき、新しくできた土地に今の横浜駅と西口の町ができたというイメージでしょうか。
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京急線がこの地区を通っています。昔は京急にも「平沼駅」という駅がありました。京急平沼駅は、1943年に廃止され、1945年には、横浜大空襲で壊滅的な被害を受けます。但し、ホームの上家と架線が一体となっていたことと、戦災の記憶を残す目的で、長い間そのままにされてきたということです。最近は老朽化も進んでいるようです。
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左右に見えるのがホームと階段跡か。
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まだ神中鉄道の駅は描かれていません。
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国道1号線には右に曲がる必要があります。その手前で、石崎川を渡ります。
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石崎川の最も下流に架かる、浅山橋。震災復興橋梁です。
浅山橋を渡ると、すぐに根岸線と旧東急東横線の古い高架橋と交差します。
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旧東急東横線と、石崎川に囲まれた場所に、京急の線路を踏切で渡る不思議なスペースを見つけたので、立ち寄ってみました。
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「横浜第2踏切」と呼ばれる踏切です。
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その向こうの東海道線を跨線橋で跨いでいました。
後ろに見えるのは、相鉄ジョイナスです。
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袋小路を戻り、帷子川に架かる万里橋に向かいます。横浜駅のすぐ近くまで来ました。
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後ろは、横浜駅前の崎陽軒本店です。こちらは昭和4年の銘板が。
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万里橋。もともとは、鉄道が開業した明治初期に築堤された上を通る道が、帷子川を渡るところに架けられた橋です。いわゆる道路でいうところの、「横濱の玄関口」であるという場所にあった橋と言っても過言では無いのでしょうか。
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万里橋を渡った先にも、袋小路に向かう踏切が。ここも訪れてみました。
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もう少し先に、東海道線があります。
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帷子川を渡る東横線の鉄橋。真ん中の橋脚は、支承が接続する姿が想像できません。昔からこうだったのでしょうか?
空から眺めたサイトを見つけたので、紹介します。空から眺めても、とても不思議な空間です。
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万里橋まで戻ってきました。すぐ左手にあるのは・・・、
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古い建物が、楽しい集客施設に。
横浜中央郵便局を改装してできた、飲食店などが並ぶビル。新しい建物の活用法としては面白いと思います。もともとは賑わいの無い場所を新たに創出するのはなかなか興味深いです。
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そしてこのビルを通ると、横浜駅に直結し、今回の探索は終わりました。何だかとてもたくさん新しいことが発見できた街歩きでした。
■終わりに
横浜の町を歩きましたが、今回1日歩いただけで、面白いスポットが鈴なりに見つかる、とても有意義なひとときでした。それもほとんど観光地でないところを歩くところが、ツボにはまるようなコースでした。
横浜、実はまだまだ知らないことがたくさんあるので、また是非再訪して楽しみたいと思います。
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