![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/113575408/rectangle_large_type_2_5dfd5ae339e5db6bcf7085677bfc22ad.jpeg?width=800)
〇大人の博物館見学・・と言う名のオタ活(笑)〇 鉄道博物館① 1号機関車と開業当時の鉄道
この夏休みは、帰省をせずに(※正しくは、逆に「帰省される側になった」のが正しいですが・・)過ごしています。そんな中でも、近い場所で行ってみたい場所として、
「鉄道博物館」
に行ってきましたので、その模様を書きたいと思います。
■大宮駅から鉄道博物館に向かう
鉄道博物館とは、さいたま市にある、鉄道のことが多数展示されている博物館です。大宮駅から1駅、「ニューシャトル」という新交通システムでアクセスできます。
![](https://assets.st-note.com/img/1692235919724-d5eUptrdw7.jpg?width=800)
何だかメジャーな駅なはずなのに、マニアックな匂いがする場所(笑)。
![](https://assets.st-note.com/img/1692235999018-RxLLyBBXs2.jpg?width=800)
![](https://assets.st-note.com/img/1692236043307-GhrnoTS9Ge.jpg?width=800)
何だか舞浜駅からどこかの王国に行く道に何となく似て・・いないか。。
![](https://assets.st-note.com/img/1692236122851-XeJm3ccAhh.jpg?width=800)
薄い壁の向こうは、新幹線の改札内です。
![](https://assets.st-note.com/img/1692236176149-YDDbRPSOLu.jpg?width=800)
ニューシャトルは、新幹線開業時に地元対策として作られた新交通です。
![](https://assets.st-note.com/img/1692236227143-SYdd7Ft06a.jpg?width=800)
なっていて、一方通行で電車がUターンするシステムです。
![](https://assets.st-note.com/img/1692236301710-hifnUAXloQ.jpg?width=800)
![](https://assets.st-note.com/img/1692236321897-D0KgUrnpCs.jpg?width=800)
![](https://assets.st-note.com/img/1692236357441-EBdjyiwIQe.jpg?width=800)
ここは東北・上越新幹線が分岐するため、新幹線線路が多い区間。
![](https://assets.st-note.com/img/1692236554855-hY0QsIHO6q.jpg?width=800)
中に鉄製の中子もあり、パンクしたりはしないそうです。
■てっぱくの中へ
てっぱくの開園待ち行列に並んでいます。小さなお子様連れがほとんど。たまに鉄道少年がいて、大人の博物館見学は少数派、ですが、いなくはないようです(笑)。
![](https://assets.st-note.com/img/1692236648936-K3BBuqIxYG.jpg?width=800)
の模様です。緑の建地が時間、赤と青の斜め線が列車運転時刻を表します。
![](https://assets.st-note.com/img/1692236792337-wLnLplvMAU.jpg?width=800)
こちらは、秋田新幹線開業当時の時刻表。2階建てマークが懐かしい(笑)。
さあ、中に入りました。まず最初に見たのは・・、これです。
■1号機関車
![](https://assets.st-note.com/img/1692237621954-vYffkr93Ei.jpg?width=800)
この1号機関車ですが、鉄道開業当時にイギリスから輸入されたもので、明治時代に本線で活躍してから関西地区で入替機となり、その後、九州の島原鉄道に払い下げられ、そこで活躍していましたが、昭和に入り、万世橋の交通博物館が開業する際に、保存・展示用に再び東京に戻ってきました。色々と改造され、形も変わっていたようですが、オリジナルに近い形に復元されているそうです。
そのエピソードは、阿川弘之さん(有名な作家さんで、「南蛮阿房列車」などを書いた鉄道好きで有名、阿川佐和子さんの父)が書いた絵本「きかんしゃやえもん」にも書かれています。(かなり脚色されているようですが)
その1号機関車ですが、1958年に鉄道記念物に指定され、1997年に、鉄道車両としては初の国指定重要文化財に指定されています。
![](https://assets.st-note.com/img/1692238886389-sQL0jKsTA0.jpg?width=800)
車体には、「VULCAN FOUNDARY Co. 1871年、ランカシャー、イングランド」という銘板と一緒に、「惜別感無量 昭和5年6月 為記念 島鉄社長 植木元太郎」という銘板もあります。島鉄がこの車両を手放す際に惜別式を行った記念、だそうです。
![](https://assets.st-note.com/img/1692240071582-4R0rbb6w5o.jpg?width=800)
島鉄社長の「惜別感無量」と書かれた銘板が。
島鉄の植木元太郎さんは、島原半島に鉄道を敷設することに尽力した方で、島鉄開業の際に鉄道開業時の機関車を大量に購入し、昭和5年にこの機関車を手放す際も、今後も使い続けたい気持ちを持っていたのに、惜別するのはもったいないから、と言う意味でのこのプレート設置だったようです。この機関車の代替機を譲渡することなど、条件も厳しかったそうです。
![](https://assets.st-note.com/img/1692241932246-VGNjv90pPp.jpg?width=800)
この機関車、のちの機関車とは違い、石炭や水を機関車に入れるのが難しそうです。ホッパーなどで給炭するのも難しそう。そういう意味でも、早い時期に使えないようになったのでしょうね。それを島原鉄道が使い続けていたのは特筆に値します。やはり不便でも最古の車両を使い続けるような、そんな気概があったのでしょうかね。
■1号機関車を支えたレール
![](https://assets.st-note.com/img/1692239059147-C3z3ZhTg3U.jpg?width=800)
鉄道開業時に使われた双頭レール。上下ひっくり返して使えるのが特徴。
![](https://assets.st-note.com/img/1692239207539-Qgzkfr2r8C.jpg?width=800)
![](https://assets.st-note.com/img/1692239260483-eLy3mwPrfn.jpg?width=800)
■鉄道開業当時のこと
1号機関車が走った頃の新橋停車場の姿が再現されていました。
まだ当時はだだっ広い場所だったようです。停車場の近くを汐留川が流れていたりと、舟運との連携も考えられていた場所だったのでしょう。
![](https://assets.st-note.com/img/1692240768960-e8hNjXaos7.jpg?width=800)
![](https://assets.st-note.com/img/1692240910996-aRzDUGEagT.jpg?width=800)
入口すぐ脇に、高輪築堤から出土した石が展示されています。
![](https://assets.st-note.com/img/1692241044492-2aG08nRD3J.jpg?width=800)
当時の路線は、陸側に土地が無く、鉄道が忌避される存在だったので、海上に築堤して海を走っていたそうです。その名残が、最近高輪ゲートウェイ駅付近の再開発工事で出土し、話題になりました。
![](https://assets.st-note.com/img/1692241169138-Tp1i4hap3F.jpg?width=800)
![](https://assets.st-note.com/img/1692241222096-Cy9UyCLI4P.jpg?width=800)
特に留意して盛土されていたようです。
![](https://assets.st-note.com/img/1692241324347-X8YGdppnr7.jpg?width=800)
やはりすごいことですね。
■終わりに
鉄道博物館でのオタ活。1号機関車は、この博物館に車でのエピソードもなかなか豊富なので、とても印象的です。その現物がまだしっかり残っているのはすごいです。
博物館に入ってちょっとだけ活動しただけで、面白いエピソードが次々に出てきます。他にもいろんなネタを眺めてきましたので、次回以降で紹介したいと思います。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?