見出し画像

〇大人の博物館見学・・と言う名のオタ活(笑)〇 鉄道博物館① 1号機関車と開業当時の鉄道

この夏休みは、帰省をせずに(※正しくは、逆に「帰省される側になった」のが正しいですが・・)過ごしています。そんな中でも、近い場所で行ってみたい場所として、

「鉄道博物館」

に行ってきましたので、その模様を書きたいと思います。

■大宮駅から鉄道博物館に向かう

鉄道博物館とは、さいたま市にある、鉄道のことが多数展示されている博物館です。大宮駅から1駅、「ニューシャトル」という新交通システムでアクセスできます。

湘南新宿ラインで、大宮駅に到着。ホームの裏手は、大宮工場につながる線路。
何だかメジャーな駅なはずなのに、マニアックな匂いがする場所(笑)。
向かい側のホームは、石積みのホーム。何だか古そうな感じがします。
ニューシャトルへの通路は、「てっぱく通り」だそうです。
何だか舞浜駅からどこかの王国に行く道に何となく似て・・いないか。。
この場所、結構不思議な場所です。
薄い壁の向こうは、新幹線の改札内です。
ニューシャトルの大宮駅に到着。
ニューシャトルは、新幹線開業時に地元対策として作られた新交通です。
列車は折り返すのではなく、大宮駅の高架下がロータリーのように
なっていて、一方通行で電車がUターンするシステムです。
鉄道博物館駅に到着。
ニューシャトルの電車です。1駅乗車のてっぱく利用者が多いです。
反対ホームは、新幹線の高架の反対側に離れて発着します。
ここは東北・上越新幹線が分岐するため、新幹線線路が多い区間。
鉄道博物館駅構内に展示してある、新交通のタイヤ。
中に鉄製の中子もあり、パンクしたりはしないそうです。

■てっぱくの中へ

てっぱくの開園待ち行列に並んでいます。小さなお子様連れがほとんど。たまに鉄道少年がいて、大人の博物館見学は少数派、ですが、いなくはないようです(笑)。

ただの模様に見えましたが、列車ダイヤ(おそらく東北新幹線と思われる)
の模様です。緑の建地が時間、赤と青の斜め線が列車運転時刻を表します。
こちら、待ち列が並ぶ場所の床には、時刻表が。過去の東北新幹線の時刻表です。
こちらは、秋田新幹線開業当時の時刻表。2階建てマークが懐かしい(笑)。

さあ、中に入りました。まず最初に見たのは・・、これです。

■1号機関車

日本の鉄道の象徴とも言っても良い、「1号機関車」。

この1号機関車ですが、鉄道開業当時にイギリスから輸入されたもので、明治時代に本線で活躍してから関西地区で入替機となり、その後、九州の島原鉄道に払い下げられ、そこで活躍していましたが、昭和に入り、万世橋の交通博物館が開業する際に、保存・展示用に再び東京に戻ってきました。色々と改造され、形も変わっていたようですが、オリジナルに近い形に復元されているそうです。

そのエピソードは、阿川弘之さん(有名な作家さんで、「南蛮阿房列車」などを書いた鉄道好きで有名、阿川佐和子さんの父)が書いた絵本「きかんしゃやえもん」にも書かれています。(かなり脚色されているようですが)

その1号機関車ですが、1958年に鉄道記念物に指定され、1997年に、鉄道車両としては初の国指定重要文化財に指定されています。

国指定重要文化財であることを示すプレート。

車体には、「VULCAN FOUNDARY Co. 1871年、ランカシャー、イングランド」という銘板と一緒に、「惜別感無量 昭和5年6月 為記念 島鉄社長 植木元太郎」という銘板もあります。島鉄がこの車両を手放す際に惜別式を行った記念、だそうです。

イギリス製、1871年(鉄道開業の前年)の銘板と、
島鉄社長の「惜別感無量」と書かれた銘板が。

島鉄の植木元太郎さんは、島原半島に鉄道を敷設することに尽力した方で、島鉄開業の際に鉄道開業時の機関車を大量に購入し、昭和5年にこの機関車を手放す際も、今後も使い続けたい気持ちを持っていたのに、惜別するのはもったいないから、と言う意味でのこのプレート設置だったようです。この機関車の代替機を譲渡することなど、条件も厳しかったそうです。

1号機関車の背面。丸窓がおしゃれ。「工」のマークのいいですね。

この機関車、のちの機関車とは違い、石炭や水を機関車に入れるのが難しそうです。ホッパーなどで給炭するのも難しそう。そういう意味でも、早い時期に使えないようになったのでしょうね。それを島原鉄道が使い続けていたのは特筆に値します。やはり不便でも最古の車両を使い続けるような、そんな気概があったのでしょうかね。

■1号機関車を支えたレール

1号機関車の下に敷設されているレールは、これまた貴重な
鉄道開業時に使われた双頭レール。上下ひっくり返して使えるのが特徴。
ですが、特殊な締結装置が必要なので、次第に今のレールの形に変わっていきました。
実際の双頭レールとマクラギが保存されていました。

■鉄道開業当時のこと

1号機関車が走った頃の新橋停車場の姿が再現されていました。
まだ当時はだだっ広い場所だったようです。停車場の近くを汐留川が流れていたりと、舟運との連携も考えられていた場所だったのでしょう。

新橋停車場の姿。まだ土地の使い方に余裕がありますね。
過去にタイムスリップした気持ちになります。

入口すぐ脇に、高輪築堤から出土した石が展示されています。

高輪築堤の石です。

当時の路線は、陸側に土地が無く、鉄道が忌避される存在だったので、海上に築堤して海を走っていたそうです。その名残が、最近高輪ゲートウェイ駅付近の再開発工事で出土し、話題になりました。

海の上を敷設された線路のことを示した断面図です。
そして、築堤の断面模式図。海岸だけに、浸食されないように、
特に留意して盛土されていたようです。
そして、これが六郷川(多摩川)橋梁。明治初期からこの橋が維持されていたのは
やはりすごいことですね。

■終わりに

鉄道博物館でのオタ活。1号機関車は、この博物館に車でのエピソードもなかなか豊富なので、とても印象的です。その現物がまだしっかり残っているのはすごいです。

博物館に入ってちょっとだけ活動しただけで、面白いエピソードが次々に出てきます。他にもいろんなネタを眺めてきましたので、次回以降で紹介したいと思います。

この記事が参加している募集

旅のフォトアルバム

沼落ちnote

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?