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<九段下から東京駅までまちあるき>③神保町から日本橋川を歩く

九段下駅から歩き始めた都心の街歩き。九段会館を眺め、清水門から北の丸公園に入り、国立公文書館を見学しました。今回は竹橋駅付近から、神保町を経由し、日本橋川沿いに下流側に歩いていきたいと思います。
(前回の記事はこちら)

■歩く範囲を今昔マップで確認

今回歩くのは、竹橋駅から少し北に向かって神保町界隈を歩き、その後日本橋川に沿う形で東に向かいます。

今昔マップでまずは今回のエリアを見てみましょう。竹橋周辺は元々官庁街だった場所です。今も整然とした街並みの中に官公庁なども立地しています。日本橋川の北側の地割は、今と昔はそこまで大きな変化は無さそうな感じです。

今昔マップで戦前の地図と比較。
意外とあまり町割りは変わっていないようです。

■竹橋から神保町へ

竹橋駅近くにある、一橋徳川屋敷跡。
オフィスビルの中に江戸時代の痕跡が。
この橋が、一橋です。
日本橋川の上に橋脚があり、ランプもある複雑な構造です。
護岸が何だかとても古そうな感じがしています。
ここは、新島襄先生生誕の地、だとか。
同志社大学を設立したことで知られます。
こちらは、東京大学発祥の地。
このあたりは昔から栄えていたのですね。
学士会館。最近で言うと、「半沢直樹」のロケ地です。
レトロな建物です。
学士会館の北隣には、「日本野球発祥の地」の石碑。
なかなかインパクトのある碑です。
こちらは、錦橋です。
この地下に半蔵門線のトンネルが通過しているようです。
やはり震災復興橋梁群です。できてから間もなく100周年です。
アーチが水面に映り、何だかとても良い風景。
少し下流に見えてきたのは、神田橋です。

神田橋の近くで、石碑を発見。太田圓三さんの石碑。関東大震災の復興事業を推進する帝都復興院の土木局長として、景観に配慮した架橋したり、高速鉄道網の構想を練ったりと、今の東京のインフラの生成に大きな功績をあげた人です。

この石碑は、「太田圓三君碑」
震災復興に尽力した土木偉人です。


神田橋に到着。こちらも美しい橋です。
こちらは、首都高の神田橋入口。
【1964年 首都高速道路公団建造 施工:三井建設株式会社】
縦断方向にも曲線的なランプウェイの桁。なかなか見ごたえあります。
ここは、内神田地区の再開発工事のヤードのようです。
日本橋川に人道橋を架けているようです。


【物揚場跡 日本橋川水運の物揚場標石 ここに出土す。】
右の標石がそのもののようです。
こちら、鎌倉橋です。
今も空襲の銃弾の跡が残っているようです。


空襲で焼けた跡や欠けた跡があるようです。

鎌倉橋からもう少し東へ進むと、首都高八重洲線が地下に入るところが見えます。

金網越しに見える、首都高の八重洲トンネルの入口。

八重洲トンネルまで来ると、もうここはJRの線路との交点です。これを越えると日本橋エリア。今回はここまで。次回、日本橋エリアと八重洲付近を目指したいと思います。

■終わりに

竹橋、神保町を通り、神田、大手町付近の日本橋川沿いを歩きました。様々な石碑があり、歴史的にも興味深い場所でした。あまり訪れたことの無い場所だったので、ある意味新鮮な気持ちで歩くことができました。

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