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<新宿駅からぐるり街歩き>①新宿西口→歌舞伎町→新宿追分

今回は、いつも街歩きしている多摩ニュータウン・南大沢から少し遠征して、都心・新宿を歩くことに。私の職場は西新宿で、昼休みに昼食後の散歩としていつも歩いている街なので、見慣れた風景がほとんどですが、昼休みの約30分くらいの時間で歩き回っているので、ゆっくり足を止めて探索したことはほとんどありません。今回は、新宿駅からぐるりと時計回りに周辺を散策しました。見どころ満載すぎる内容なので、何回かに分けてご紹介したいと思います。

■① 京王線新宿駅構内を観察する

まずは、京王線で新宿駅に到着したところから観察開始です。

新宿駅と言えば、言わずと知れた京王線の終着駅。たくさんの人でいつも賑わっています。

新宿駅のホームの一番先端に来ました。駅を出たら急カーブで90度曲がっていきます。京王線は、元々始発駅は今の場所ではなく、実はJRの線路を越えて、新宿3丁目のほうにまっすぐ進んでいましたが、戦時中の電力不足の影響で甲州街道がJRの線路を越えるための勾配を登り切れなくなったので、今の場所にやむなく駅を移設したのがはじまりだとか。

電車が往来するのを眺めるのはなかなか圧巻です。

3番ホームのホーム下を見たところ。ホームの下にレールが見えると思いますが、これは過去に存在した旧・4番ホームの線路の残骸だとか。列車の両数が増えたので、ホームが手狭になり、やむなく4番ホームをなくして3つのホームにしたそうです。

さて、駅から外に出て散策に出かけましょう。

■② 新宿西口→東口を歩く

新宿西口の地下広場に来ました。駅前ロータリーの車路を下から眺めます。曲線の車路の梁の姿、改めて眺めるととても美しいです。再開発が始まっているので、今後この風景は大きく変わるのでしょうか。

今度は歩道橋の上に来ました。換気塔が緑でおおわれている姿など、非常に印象的です。大都会の真ん中にこんな鬱蒼と茂る緑があるのも、少し不思議な印象を受けます。

旧青梅街道を東口目指して歩きます。左は思い出横丁です。

JRの角筈ガードが、旧青梅街道に当たります。新宿から酒折(山梨県)までの青梅街道の宿場町の名前が書かれています。

東口に来ました。大ガードの前に来ました。ある意味おなじみの風景。向かいに見えるのは、新宿プリンスホテルと西武新宿駅です。

歌舞伎町一番街の看板を横目に見ます。まだ午前中なので、人通りはそんなに多くありません。

旧・新宿コマ劇場の場所に、屋上がゴジラの映画館があります。新宿の定番フォトスポットです。

新宿ゴールデン街の近くにある、新宿遊歩道 四季の路という場所に来ました。

ここは、旧都電の専用軌道敷を利用した公園になっています。緩やかなカーブを見ると、今でも電車が走って来そうな雰囲気があります。

新宿ゴールデン街。ディープなスポットです。

ゴールデン街の横に、花園神社があります。たくさんの参拝者で賑わっていました。

境内に、雷伝稲荷神社の石碑がありましたが、肝心の神社が見当たりません。神社はあとで別の場所に出てきますので、この石碑を覚えておいてください。

こちらは、花園神社の神社復興記念碑です。1945年5月25日の大空襲で、この神社は被災し、そこからの復興を記念した石碑だということです。街に歴史あり、です。

災禍消除の常夜燈。

境内にある、芸能浅間神社。芸能関係者から支持されているためか、たくさんの芸能関係者の名前が刻まれています。

次に訪れたのは、新宿末広亭。新宿三丁目にある寄席小屋です。飲み屋さんが多いこの通りに、こんな素敵な寄席小屋があることを初めて知りました。

通りの名前は、末広通り。寄席が根付く街です。後ろは伊勢丹本館です。

新宿三丁目の交差点に来ました。おなじみの伊勢丹の姿が。

この交差点には、甲州街道と青梅街道の分岐点があったことを示す、「ここが追分」の碑があります。

追分であることを示す地図もあります。

新宿三丁目の交差点には、京王電鉄系のビルが建っています。ちょっと違和感がある気がしますが、先述した通り、元々京王線の始発駅が、新宿駅ではなく、ここ新宿追分にあったからです。フレンテがある場所は、初代の新宿追分の駅があった場所です。

新宿御苑の前に来ました。ここは、昔玉川上水が流れていたところです。

都立新宿高校の敷地内に、暗渠となっている玉川上水の遺構と、昔の橋の遺構が保存されています。敷地外から写真を撮影しました。

新宿高校の隣に、先ほど話題にした雷電稲荷神社がありました。

甲州街道と明治通りが交わる、新宿4丁目交差点に来ました。

ここにも京王のビルがあります。ここが新宿追分駅の二代目に当たる場所です。第1回目の記事は一旦ここでおしまい。次はさらに南下して代々木方面を目指します。

■③ 地図で見る新宿東口付近の今昔

上の地図は、「今昔マップ」で見た、戦前(1927~1939年)と今の地図の比較です。先ほど散策した、歌舞伎町のゴールデン街脇を通りぬける都電の線路が確認できます。また、京王線が甲州街道をまっすぐ突っ切り、新宿追分の今の京王のビルのところに到達していることがわかります。当時はまだ明治通りもなく、新宿三丁目は四谷新宿という駅名になっています。

■終わりに

新宿駅の東口から歌舞伎町周辺は、旧青梅街道や都電が走った痕跡、花園神社、新宿追分あたりなど、様々な古いものが見られて興味深かったです。続いて代々木のほうに向けて進んでいきます。

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