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◎「いちえふ」周辺の今を歩く◎(後編)富岡駅の今と昔を比べてみる

先日、「いちえふ」こと、福島第一原発周辺に行ってきました。前回の投稿で、とみおかアーカイブ・ミュージアムという、震災前後の町の様子を丁寧に保存するプロジェクトの一環で作られた博物館などを訪れた模様をお伝えしました。(前回の記事はこちら)

今回は、富岡駅周辺を歩いた模様をお伝えします。実は、富岡駅付近を訪問するのは、2014年2月以来約10年ぶりです。その時の様子も、あとでご紹介しますので、その模様も含めてご覧いただければと思います。

■東電廃炉資料館へ向かう

この地に降り立った一つの目的は、東京電力さんがオープンさせた、「廃炉資料館」を見学することでした。まずはここを訪問した模様からお伝えします。

廃炉資料館のすぐ近くにある、双葉警察署。

双葉警察署。この敷地の近くに見つけたものは・・
目新しい、「顕彰碑」です。さては・・と思って裏を見てみると、
東日本大震災の津波から住民に避難を呼びかけてパトカーに乗り
殉職した警察官を顕彰する石碑です。
アーカイブミュージアムで見た、このパトカーで殉職された方の石碑。

アーカイブミュージアムって、こういう震災の記憶を残す意味があるのですね。その記憶が、街中にも残されていて、何だかつながった感じがしました。

さて、警察署から国道6号を越えると、廃炉資料館です。
あまり廃炉資料館っぽくない建物と思ったら・・、
実は、福島第二原発の電力館を改装した経緯があるのだとか。

時間指定の予約制での案内となる資料館です。案内いただいた内容を簡単にご紹介します。

原子炉内に入っている、核燃料格納容器のレプリカ。
この細い棒の中に核燃料のペレットが入った束です。
津波で非常用電源が喪失し、燃料棒が冷却できず、溶融してしまった
状況を説明されています。
こちらは、原子炉を覆う構造物の模式図。
圧力容器、格納容器とその周りの建屋。
廃炉作業が進む3号機・4号機建屋の現状が模型になっています。
こちらは、1号機・2号機の建屋の現状。
汚染水の汚染物質の除去状況。浄化して海洋放出する水のことを
説明しています。こういう説明もなかなか大事ですね。

■富岡町内を歩く

国道6号に架かる歩道橋、さては・・・、
アーカイブミュージアムに飾られていた、
「富岡は負けん!」が掲げられた歩道橋です。
そして、この道は・・
アーカイブミュージアムで飾られていた、富岡町の中心部。
こんなに更地が目立つとは・・。
その中に残る看板建築、大原本館。
ちょっと寂しい町内になりましたが、そのシンボル的な建物です。
ちょうどこの日は、翌日からのお祭り、「えびす講祭」の準備中でした。

普段は人通りが少なく、ちょっと寂しい通りになっていますが、こういう祭を通じて、少しでも活気が戻るといいですね。

表通りの銀行の支店跡地でしょうか。
居抜きで写真屋さんが入っています。

■富岡駅前の風景(2023年11月)

富岡駅付近に来ました。「2023年11月」と書いたのは、実は、およそ10年前(2014年2月)にこの地を訪れていますので、その時の風景と対比してみたいと思います。

富岡駅に通じる道。10年前は結構賑やかだった記憶があったのですが、
すっかり更地が目立ちます。
駅が見えてきました。ちょっと寂しい駅前です。
ここは、津波が襲来した地区でもあるのです。
富岡駅の駅前広場。かつてはこんな広場は無かったです。
被災後の復興の過程でできたものなのでしょう。
富岡駅の駅舎と、観光案内所。
案内所が、駅前にある唯一のお店、という感じです。
富岡駅舎。2017年に再開した際にできた新しい駅舎です。
駅構内。簡易Suica改札があります。ここは「東京近郊区間」に入りました。
空間線量のモニタがあるのも、この場所ならでは。
電車が再び走る駅が見られて、良かったです。
(後で、10年前の風景が出てきます)
かつては、ホームから海が見えたそうですが、
高い防潮堤を兼ねたような道路ができ、海が見えなくなりました。
跨線橋。これも10年前の写真と比較してみたいと思います。
駅の南側に、新たなオーバーパス道路が。
実は、この道路があった地点が、かつての駅舎の位置のようです。
震災前(1974年頃)と震災後の航空写真の比較を今昔マップで見てみます。
駅舎が北に移転し、低い土地の集落跡地に駅前広場ができました。
浜辺に向かってみます。
「仏浜街道踏切」という踏切です。
浜辺に向かうこの道は、至る所で側溝が歪んでいます。
津波被災当時のまま残っているのでしょうか。
海岸近くでは、防災林の植栽が進んでいました。
防潮堤代わりになっていると思われる、海岸沿いの道路。
海側には、漁港がありました。
漁港に降りていく道路。漁港はこの時間は誰もいなさそうでした。
集落から離れてポツンと港があるような形になっているようです。
堤防から南側を遠望したところ。
後ろに見える煙突は、福島第二原発です。
駅前にできた、オーバーパス道路を通ります。
オーバーパスを渡り切った先に、
「東日本大震災 慰霊之碑」が建っていました。
碑文の裏面。2023年3月にできたばかりのようです。
津波のこと、避難のこと、復興への道のりのことが記されています。

こんな感じの2023年11月の訪問でしたが、ここで、10年前の2014年2月に、時計を戻してみたいと思います。

■富岡駅前の風景(2014年2月)

2014年2月の富岡駅前は、当時まだ「避難指示解除準備区域」に指定されており、一時的な立入はできるものの、避難指示が出たままで、まだがれきの処理や除染が本格的に始まっていない状況でした。

2014年2月当時の避難指示等の状況(福島県HPより)

その時期に、土木学会関係の視察で、この地を訪れたのでした。

富岡駅前の様子。津波で被災された建物はそのままでした。
駅舎部分には、津波で流された車がそのまま放置されていました。
駅舎は跡形もありません。ホームから、海が見えます。
富岡駅のホームにて。駅横の建物は、大破したままです。
「特急ひたち」の乗車位置標示が、残されていました。
アーカイブ・ミュージアムで見た、富岡駅の風景そのものでした。
改札が残っているのが見えます。
(参考:2023年撮影)アーカイブミュージアムで展示されている、改札部分。
富岡の方には、印象的な震災遺構だから、しっかり残しているのですね。
跨線橋だけ何とか生き残った富岡駅。
この時は、いつ列車が戻ってくるかわからないと思いました。
跨線橋も、今は新しいものに変わりました。
駅の脇に、線量モニターが。「0.297μSv/h」という数値になっています。
先ほど駅で見かけた2023年11月の数値は、「0.067μSv/h」まで下がりました。
駅の片隅に、ちいさな「東日本大震災慰霊碑」が。
この石碑はどうなったのでしょうかね?
海岸近くには、津波で倒れなかった既存樹木が残っているのでしょうか。
それ以外は何もありません。土のうは、少しずつがれきの除去が
始まった様子だったかと記憶しています。
富岡漁港周辺へ。防波堤を乗り越えて津波が
押し寄せた様子がイメージされます。
漁港周辺は、岸壁や建物が壊れたままでした。
津波で舗装や側溝が大きく被災しています。
水の力はやはりかなり強いようです。

■終わりに

東電の廃炉資料館を見学し、福島第一原発の事故と廃炉への道のりを学びました。事故が起きて、その後の廃炉に向けての対応など、現場では引き続き気の抜けない、そして目に見えないゴールに向かう、果てしない道のりを奮闘しながら歩んでいる方々がいらっしゃいます。そういう方にはエールを送り続けるのが大事だと思いました。

富岡の町は、10年前の訪問の際、津波被害の大きさや、避難指示の出た、誰もいない街、というものを見て、ショックを受けたことを思い出します。2023年は、鉄道も再開し、きれいな街ができ、放射線量も下がったものの、街に活気は戻っておらず、真の復興にはまだ道半ばであると改めて認識しました。

東日本大震災の被災地には、何度か足を運びましたが、是非機会があればまたこの目で確かめ、その状況を知り、できることを考えることが大事だと改めて認識しました。

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