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【小説7】麻子、逃げるなら今だ‼︎〜モテ期〜


全話収録⤵️

前日譚•原案(ノンフィクション)⤵️


7.モテ期

 お正月気分が抜けたと思ったら、資格取得に向けての麻子の学生生活が始まった。
職業訓練生は学生とは言わないのか?
夫はゴールデンウイーク明けまで長期出張だし、仕事をしている由美と修は心配ない。
進のお弁当を詰めるついでに自分のお弁当も作ったけれど、進は一人で起きて高校に行けるのだろうか。

 大人になってからの勉強は楽しいと耳にするが正にその通り。
並んで座って講義を聴くなんて自動車学校以来かも知れない。
 麻子のクラスは男性14名、女性10名。
介護資格のクラスで男性の方が多いのは珍しいらしい。
下は20代、一番年上は60才の男性。
見たところ30代、40代のシングルが多そうだ。
知っている人が誰も居ないということに緊張したが、却って気楽だ。
夫から自立する為の第一歩。
資格を取り仕事をしお金を貯めてやる、しかも夫の知らないうちに。
 月曜日から金曜日、9時から16時までの講義に早く慣れること。
そして週1回の介護施設でのパートに慣れること。
そうなのだ。
無資格で未経験で週に1回しか勤務できない麻子なのに施設職員としてパート採用されたのだ。
正社員への登用もあるらしい。

 クラスでは発言もするし質問もする。
グループワークではファシリテーターを買って出る。
実技が始まってからは一番手に立候補する。
最初だと少々手順を抜かしても間違えても大目に見てもらえる上に立候補したことを評価してもらえる。
しかも順番を待つ間のプレッシャーも感じなくて済む。
いつの間にか麻子は講師からもクラスメイトからも一目置かれる存在になっていた。

 不思議だ。
家に居ると何の取り柄もない主婦で妻で母なのに、ここでは前田麻子個人として見てもらえる。
元々童顔ではあるが家庭の話をしない麻子は、年齢よりかなり若いシングルだと見られているらしい。
 休み時間には誰彼なく麻子に話しかけてくるし、昼休みには一緒にお弁当を食べようと集まってくる。
実技では麻子とペアを組みたがるし、講師も良い手本として麻子を指名してくれる。
介護が向いているとは今でも思っていない。
家族も肩書きも何も知られていない麻子は「認められている」という感覚が心地良いのだ。

 講座が終わるとお酒や食事に誘われるようになった。
帰るのに1時間はかかるし途中で買い物をすることを考えれば寄り道はしたくない。
お酒は飲めないので酒席は簡単に断れるが「お茶だけ」「途中まで一緒に」「グループで行くならいい?」と誘われる。
介護クラスでモテ期到来か?
遅過ぎやしないか、私のモテ期?
 万一おかしな噂が広がって途中で挫折するのは避けたいと思い会話の中に少しずつ家族の情報を織り交ぜることにした。
 「えーっ前田さんって独身だと思っていたのに、残念」
 「僕、前田さんの娘さんと同い年だって聞いてガッカリしました」
麻子の方がびっくりだ。
まさか娘と同い年の男性までもが好意を寄せてくれていたとは。
それでも「クラスのアイドル」「優等生」と慕われるのは楽しい体験だった。

 資格取得のクラスに通いながら、週に1回とはいえ初めての職場に慣れていくのは想像以上に疲れた。
そもそもやりたい仕事ではない。
クラスでチヤホヤされる麻子も職場では何の役にも立たない初心者だ。
ときには修と同い年の先輩職員から注意を受けたりもする。
 後から聞いた話だが「週に1回しか来ない人に教えるのは嫌」「どうせ長く続く訳がない」「どうして雇ったのか」と施設長に詰め寄る職員も居たらしい。
逆の立場なら麻子もきっとそう思うだろう。
 だからこそ努力をした。
ユニットに入居している人の部屋番号と名前と顔は初日に覚えた。
ことあるごとに「○○さん」と麻子の方から名前を呼んで忘れないようにした。
交代勤務でなかなか会えない職員の名前はシフト表を穴があくほど見つめて覚え、初めて会った日には麻子から名前を呼んで挨拶をした。
 暫くすると麻子の出勤を楽しみにしてくれるご入居者が一人二人と増えてきた。
「前田さんは優しいから」とご入居者が麻子を名指しで頼みごとをしてくる。
「優しい」のでも「丁寧」なのでもなく慣れていないから手の抜き方を知らないだけなのだが。
気難しいことで有名なご入居者からも可愛がられるようになった。
先輩達は面白くなかったことだろう。
ここでもモテ期だ。
殆どが高齢女性だけれど…

 張り合いのある毎日ではあるが疲れは溜まる。
夕食は一汁二菜とデザートを手作りする。
夫は自宅では晩酌をしないし品数も多くなくて良いと言う。
そもそも殆ど居ないし。
それでも限界かも…
これからは一汁一菜にしよう。
メインにも汁物にも野菜や茸や海藻をたっぷり使うことにしよう。
多目に作って進と麻子のお弁当用に詰めて冷蔵庫に入れておこう。
デザートはあって良しなくても良し手作りでなくても良しとしよう。
元々子ども達の食が細かった幼児期に、ご褒美の為に始めたことだった。
大きくなった娘や息子にはもう必要ないだろう。
夫が長期出張なのは本当に助かる。

 講座の日程が進むと、車椅子介助をして電車に乗ったりアイマスクをしたクラスメイトを視覚障害者に見立ててフードコートでランチを注文して食べる実習があったりまるで遠足のようで楽しかった。
天気の良い日には大きな公園まで凸凹道や石段を車椅子介助する練習に出掛けたりもした。
 何日間か外部の施設や介護事業所にバラバラに分かれて実習に行ったときには、クラスメイトに会えないのが寂しかった。
「介護士には誰でもなれますが、前田さんはスペシャルな介護士になれる人です」と実習に行った事業所から講座宛てに報告があったと聞かされたときには、迂闊にも涙が出そうだった。
ハローワークで勧められたときは渋々だったのに。

 リタイアした女性1名を除き、最後まで補講を受け続けた2名の男性を含め23名全員が講座を修了した。
介護職員初任者研修と2種類のガイドヘルパー資格、そしてメンタルヘルスの受験資格を得た。
普段はジャージ姿のクラスメイトもスーツを着用して修了式に出席した。
資格証を受け取ってからも別れ難く、急遽手書きの連絡簿を作って、事務職員に全員分のコピーを取ってもらって配布した。
 こうして麻子のモラトリアムが終わった
(2520文字)


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