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Who are you vol.3 /アーティスト・後藤那月

Who are youは、その人を知り、見つめ、ふかめていくためのコンテンツ。今回は、channelが主催する展覧会プロジェクト、「nowhere project」の第1章となる展覧会、”Where Do We Come From"の出展作家・後藤那月に迫ります。インタビュアーは、本展覧会でキュレーションを担当しているCHISATOが担当。

後藤那月/Natsuki Goto

本質を生きる人だ。
そして本質というものはシンプルであるからこそ、個々の人間の個別具象的な事情を超えて胸に迫ってくる。後藤那月は人間が共通してもつ、ここではない、しかしたしかにある場所をつくっている。それは例えば、”三途の川”のような。
見たことがない、でもたしかにあると知っている、どこでもない、どこでもある場所。

彼女と出会ったのは、昨年石巻で行われていたreborn-art festival。すごい人に出会ってしまったと思った。彼女の表現したいもの、考えていること、感じていること。その一つひとつが、根源的で人間の深淵を眼差すもので胸がどきどきした。達観していて老成していることを感じさせる境地と、生々しく人間くさくもがきながら生きている部分と、彼女の中では常に相反するものが同居している。人生の中で起きるどのような出来事をも燃料にして生き、最も高い色温度である青い炎のように美しく冷静な情熱さと共に力強いエネルギーを放っている。圧倒的で揺るがない強さは、弱さを知っている人しか持ち得ない。
私は彼女を心から尊敬すると同時に、彼女の存在と作品に救われている。
同じ時代に息を吸って生きていられることが私を駆動させる原動力になっている。

いつかもっと広い世界へと羽ばたき、パワーアップを重ねていくであろう彼女と今この時代に、初めてのキュレーションや展覧会設計を共にしていけることをありがたく光栄に思っている。

彼女の作品が訪れた誰かの心に届き、その生き様が誰かの光になりますように。

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後藤那月プロフィール


2001 年、秋田県出身。秋田公立美術大学 美術学部美術学科アーツ & ルーツ専攻 在学中。藤浩志氏や石倉敏明氏、山川冬樹氏の指導の元で学んでいる。
自身の死生観をルーツに、現実空間と " ここではないどこか " とのあいだをゆるやかに接続するべく制作を行っている。自らが旅人の様に流動的に土地を渡り、これまで佐渡や遠野、石巻などを訪れた。リサーチの際に起きた出来事や日々の日記を元に、インスタレーションやパフォーマンスなど様々な方法を用いて表現をしている。

【主な個展】
2022 「息の緒の迷い路」新屋 NINO ( 秋田 )

【主なグループ展】
2022 早坂葉・後藤那月 2 人展「めぐりに滲む」BIYONG POINT ( 秋田 )
アーツ&ルーツ 3 年専攻展「ぐるり」サテライトセンター ( 秋田 )
「残り香をとどめずとも」新屋海岸 ( 秋田 )
2023 アーツ&ルーツ 3 年専攻展「◯」秋田市文化創造館 ( 秋田 )
菅原果歩・後藤那月 2 人展「星影のたもと , うたは渡るる」
新屋 NINO( 秋田 )

I 生い立ちから秋田公立美術大学に入るまで

*インタビューを始めるに当たって、まずは後藤那月という人自身について聞きたいなと思っている。そもそも、生まれ育ちはずっと秋田なの?

全部秋田。秋田の県南、山形寄りの湯沢市というところで生まれた。そこは結構な豪雪地帯で、だから雪には慣れているし、そういう環境で育ってきた。

*大学はどうやって決めていったの?
高校に入って、すぐに進路のこととかを一応書くじゃない。でも当時はやりたいことも特にないし全然想像つかなくて、美大にしたんだよね。絵を描くのは得意だったから。秋美(秋田公立美術大学)は秋田にある中で一番面白そうだったし、カリキュラムを見て、すごいビビッと来た。全部直感で、あんまり考えていない。人生設計を全然描いていなくて、今も正直ないし、当時もそうだったからこそかな。多分「いくら稼ぎたい」とか「公務員になりたい」とかそういう夢があったら順序にそって逆算できるかもしれないけど、私は今日を生きるのに必死で、今と向き合うので精一杯だった。

*直感で美大に行ったと言っているけれど、幼い頃から高校生までの間とかで何か作ったり、絵を描いたりはしていた?

してた。ずっと描いたり、作ったりはしてて、小っちゃい頃とか、よく絵を描いてたのも聞いてる。今の私は考えすぎているけれど、その時はすごく純粋に楽しんでたなというのを後々思ったりとかしたし、ユーモアもあったなとか。
小学校一年生の時に、私が書道の大会にたまたま選ばれたんだよね。
その時に、お母さんに褒められたのがすごくうれしくて、その頃からずっと賞を取ることとか評価に囚われ始めたんだよね。小学生の時から、絵を気に入られるように描くとかしていて、年齢を重ねると共に、褒められたいという自己顕示欲が勝ってきちゃって。しかも、何を描いたら気に入られるか、賞を取れるルーティンが分かってしまってだんだん楽しくなくなった。だから絵とか描いてはいたけれど、きっと生き生きしてはいなかったよね。

*そうなんだ。でも、今はそういう部分はあるのかもしれないけど、そこが先行している感じがしないんだよね。

あるよ!何が評価されるのか、という視点に移り変わって今も心に住みついているよ。

*もうちょっと相対化して、自分の作品と世間みたいな物をふっと見るようになったのかな。

癖だからね。なってるのかもしれない。良くも悪くも、俯瞰して見るというか。あまり気づかれていないけど、私は取り繕って制作するのがたぶん上手い方だから。本当は全然器用じゃないし、ずっと自分がどう見られているのかとか悩んでいる。
私のやり方なのに、手を動かしていない事実がやっぱり毎日すごく苦しくて、「自分は周りからしたら何もやってない」とか。結局「自分なんか、自分なんか」と思っている部分も全然ある。

*なるほどね。でもそういう、負のパワーみたいな部分を燃料にしている感じがするんだけど。結局は他者に対してではなく自分に対して向かっている感じがする

そうなのかもね。自分のことを主張することに囚われてもいるし、辞めたくもないみたいな感じ。本当は完全な自由ではないかもしれない。

*結構前だけど、展示を見ているときに「この瞬間も誰かが何かを作っていることに焦る」みたいなことを言っていたことが印象的だった。

あ、そう焦る本当に。全然自分軸で考えられていない。そういう癖が結局4年間で抜けなかったというのは事実。
この先を考えるとすごく辛くなったんだよね。最近もそうだけど。どういうペースで自分の作品を作っていくのかとか、どういうスタンスで生きていきたいのかとか、あるんだけど、わかんなくて、実際それが自分の答えなのかどうかというか。自由に生きているのが私らしいのかとか。

*じゃあ、他人軸というか他者の何かに応答する形で、自分がいて動いて、作ってみたいな部分が結構あるの?

結構ある。あると言っても、例えば「次もキラキラしたものを作りなさい」と言われて作ったりはしないけど、やっぱり作りたいのが出てきたときにそれがどう受け入れられるかはずっと考えている。

*確かに。何かに迎合したものを作ることは絶対しないしできない人だと思うんだけど、何かを生み出した時に、他者の軸みたいなのを考えてる所あるっていうことなのかな?見られ方とかを含め。

見られ方についてだけ他者のことを考えてるかな。
私はこれを作りたいという意志は勿論ある。それを曲げることは全くしないし、そこと「人の意見を聞かない」というのとまたちょっと違って、難しいんだけど。
人の意見を気にしているからこそ、聞いちゃうし、それによって作品の見せ方が若干変化したりとかはするけど。でもやっぱり根本は全く譲る気はない。
なんかずっと私の中では何事も二重なんだよね。私というものが。王様な部分もあるし、自分がそう思っているうえそれが外にも滲んでいるから、そう思われていることもあって。もしかしたら私の本質って、町人Bぐらいの、Bまでも行かない、名前の付かない何かかもしれないけど、それはプライドが高いから認めたくない。
王様だと思っている部分も全然あって。でもどっちも嘘じゃないよ。王様にもなれるし、そっちにもなれるし、どっちでもあるみたいな感じ。

*だからなんか相反するものが、自分の中に同居していて、それの拮抗なのかなと思うんだよね。私は、作品自体のハッとなるような覇気のようなものを感じる一方で、繊細で細々としたことができる人じゃないとこれは作れないだろうなという丁寧さも感じるんだよね。荒くて大きくて「バーン」っていう感じではなく、繊細な丁寧さが積み重なっていった結果、すごく人をハッとさせる強さになっている。だから、弱さも強さになっているみたいな部分があるのかなって。

でも取り繕っている。私はこう見せたいみたいな理想像もあるから。
取り繕っているというか、自分だったら弱いと思っている部分って、恐らくそんな悪い部分ではなくて、それが、例えばすごくインパクトがあるのに緻密、みたいなどっちかっていうと良さになるのかなって。
例えば私はすごく几帳面な性格で、困っている部分ももちろんあるけど、それがもう作品に出ちゃっていると思う。だからそれは二重の性格が同居していて、今回はこういう作品に挑んだけど、自分のやり方や癖があるからついつい出ちゃったとか、そういう感じがする。

II「大学入学後からの活動」

●一番最初の作品について


*しっかり制作を始めたのは、大学に入学してから?


そうだね、何もしたことがなかった。物を作るとか。
私の一番最初の作品とかあるかな...。赤ちゃんを石粉粘土で作ったのが一番最初の作品なんだけど、これは授業の課題で作ったでかい赤ちゃん。

《内包》2020



*美術予備校みたいなところには通わなかったの?

なかったの、秋田に美術予備校などは。秋美主催のデッサン教室には時々行った。受験を始めて秋に受けたから、春からちょっとずつ行くようになったけど、ただそんなレベルだった。受験用の絵画とかやらなくてよかったから、その前提が壊れてよかったと思う。それをやっている人の苦しみも耳にするしね。
それから、コロナ禍だった一年生の頃も根本のグイグイ行く性格は全然変わっていなくて、みんなが動けていない中自分で先生にアクセスして、話を聞きに行ったりしていた。

*一年生になってから始めたこの赤ちゃんの作品、今の作品の原点のように感じる。”indwelling"っていう作品も一年生の時の作品?

そう。これが自分が納得できた一番最初の作品。

*この、最初に納得できた作品は何かを投影しているの?水とか?

これは水かな。水がうねうねと動くのを投影していて、それがだんだん薄くなっていて。一番奥に半円みたいなのが出ている。一番後ろの壁に着くころには水だと分からないけど、うっすらとしたうねりだけが残るの。ぼーっと見ていると、それが立体感があるかどうかも全然わからなくなってくる。その時はあまり考えてなかったけど、どこかに入ってしまうとか、そういう感覚をこの時の自分のキャプションに書いていた。

《indwelling》2021

●粘菌クラブについて


粘菌

*粘菌クラブに入って粘菌に関する活動もしているんだよね?

そうなのよ。粘菌の生態がかなり面白くて、いわゆる死という概念が通用しないんだよね。
その姿というか、変形体と子実体がずっとグルグル回っていて、温度によって動きが止まったりとか、そこに「死」がないのがすごい面白くて。
私は粘菌クラブにずっと入っているの。最初はやっぱり粘菌の視覚的な面白さに惹かれて、みんなで色んな活動をしていたけど、最近はやっぱりどっちかと言うと私のフィールドに近い特性みたいなものにフォーカスして、外部から呼ばれることも多くて、のびのびやらせてもらっている。

*粘菌クラブというものはどういうクラブなの?

唐澤太輔先生という教授が、南方熊楠という方の研究をしているんだけど、その方が生涯自分で研究しているのが粘菌なんだって。唐澤先生が粘菌の研究を始めたあたりで私はその先生と出会って入った。


大小島真木「コレスポンダンス」

●「息の緒の通い路」について


《息の緒の通い路》2022


《息の緒の通い路》2022

*今までの作品とかについても聞いて行きたいと思っているんだけど、初めての個展が「息の緒の通い路」で、そこで初めてインスタレーションをしていったのかな?

そうだね。すごく安直だけど、やっぱり自分の体でしか体験できないことがあると思っていて。それでインスタレーション という手法をとった。ホワイトキューブに作品が置かれた時に、モノ以外の周りに何かが広がるというのもすごいわかるんだけど、私は空間全部演出したくなっちゃう癖がある。

*この作品を作ることになったきっかけって何だったの?

この展示は、大学二年の春に一個上の先輩たちのグループから話をもらって、キュレーター、インストーラー、作家(アーティスト)の3つの構成で展示を作りたいというのが彼らのやり方で、「キュレーション、インストールをやるからアーティストをやってくれないか」という感じで誘われたのがきっかけ。その時のテーマが「人間と自然」だったんだけど、私が見ている「人間と自然」と先輩が見ているものが相反するもので、大きすぎることだったから、捉えきれない話だったんだよね。大きすぎるってことで私と先輩がプレ展示をしようということになったの。でも、感情移入しすぎてしまって。自分からすると全部だし切っちゃったんだよね、その当時。
大学一年の春先に、父が倒れたのがずっと自分の中で引っかかっていて。でも父のことを表立って題材にしようと思ったことはなかった。当時は気持ちをずっと自分の中に溜めていたんだと思う。父をめぐる思考のもと、自分の中で消化したのが「息の緒の通い路」という展示だった。
「息の緒の通い路」というのは、「息の緒」に「魂」や「呼吸」という意味もあって、その魂の通う路というのはいったいどういうものなんだろうか、というのが自分のテーマでもあって。
例えば、呼吸をしていたら、私のお腹の中には縄文時代の誰かが吸っている空気が入ってきている。そこの魂の循環や息の循環とか。「息の緒の通い路」を開催した会場が縦長で、洞窟みたいになっているの。一方通行だから、胎内に還るという行為に似た体験を得られると仮定して会場を構成した。

*なるほど。

父親が倒れて、記憶が曖昧になったから、同一人物とは思えなかったんだよね。私が知っていた父親というのはどこに行ったんだろうとか、でも目の前にいるのは本人であることは変わっていないから、それに対する気持ちというか、同じ人だけど違うと思ってしまう自分に対する気持ちとか。それらを考えてた時に当時の自分は、彼は一度生まれ直したんじゃないかという捉え方をしたんだよね。
人が生まれ直すことって概念的にだけじゃなくて、私は可能なのかなと思ったりした。だから色んな要素があって、よく言えば掛け合わされていて、悪く言えばまだ未整理のまま発表したのが「息の緒の通い路」だったから、多分それだけエネルギーがあっただろうし。根底には父がいるんだけど、それに気付かれたくはなくて。強い動機になってくれていたのかもね。

*でもそういう大きな出来事があった時に、制作に向かえるというのがすごいと思ったのね。逆に制作があることで、というのはあると思うけど、自分の中で閉じてしまう気がする。そこに向かって生み出すというのはすごくエネルギーもいるし、痛みも絶対に伴うし難しいなと思う。自分にとって制作することは自然なことだった?

自然かどうかは分からないけど、あの時は作らないといけないと思った。レスポンスはないけど、親に届けたい気持ちはあった。私自身の力ってなんだろうと思ったときに、作品を生み出すことだったんだよね。誰かに届くことを知った。当時の感想シートは今でも持っている。

*見てくれた人の感想?

そう。その感想がすごく広くて。残された感想の中に「苦しさ」とか、処理しきれない感情が多くて自身の活動、もっというと「自分の生に必死に食らいつく、向き合うこと」が、他者にも大きな
「何かの中に抱かれた」とか、「自分の呼吸が重なって、深く沈んでいくような感じになりました」とか。

*すごい!そんな言葉を引き出すなんてすごい。

個々の人生で起こる理不尽とか、そういう個別事象的なものを超えた所にあるものを提示されると、人っていうのは自分自身と重ね合わせるし、限定されない部分があるのかなと思ったりした。お父さんのことを出して作ることも可能だったと思うのね、実際。だけど、そういうものを想いながら、魂とかもっと大きいものを考えて作っているわけじゃない?その境地まで行くと、人が一緒にその境地にあるものを見れる。個々の事情は違うけど、それぞれ感じている中で色々超えた先に見えるものを一緒に見ることができるのかなと思った。変な例えだけど、三途の川とかって、みんな見る景色だとするじゃない。そういうものを見せたいのではないかな。
どうなんだろうね。私が作ったものというのは、自分が見たことあるものなのか、実在しているのか、そもそも見たことがなくて、実在すらしていないのか今もわからない。どこかに行って、そこの風景がばちっと止まってみえる。そこからインスピレーションを受けて作ってはいるけど、別に作品で見ているのはその土地ではないし、私にしか分からない感覚だから。

*やっぱりずっと共通しているのは、個別の具体的なこととか、個々の苦しみ悲しみというものの先にあるものとか、個々の何かというものにフォーカスをそもそもあまり当てていない。個々人が個々の人生を経験していく中で辿り着く何かの場所、人生の中で進んでいった先にある空間領域みたいなものとかがあると思うんだけど。たぶんそういう所は、違いを超えて共有できるものだと思う。そういうのを見せたいかなとか。それって、場所として示すことは難しいしできない。そういうものを、表すというか、生み出すというか、視覚化させるみたいなことなのかなと思った。

そうだね。矛盾というか、すごく見えない部分だし、わからないと言っているのに、私がそれを共有する術は形にするしかない。視覚化するしかない。それは苦しい。面白いけどね。いわゆる”ないもの”を生み出せているのだから。

●《めぐりに滲む》


《めぐりに滲む》2022


*《息の緒の通い路》で初めての個展をした後に、次の2人展が「めぐりに滲む」なんだね。この二つの展示の期間はどれくらい空いているの?

二週間。搬出してすぐに開催したんだよね。本当は、二つの展示は自分の中ではリンクしていて、「息の緒の通い路」の中に繭みたいなものがあるんだけど、あの中で作っているものをそのまま会場に置こうと思ってた。
自分が彫刻という概念を考えた時に、刻々とその時を映し出せるものだと思った。私が彫刻として成り立たせる方法というのは、何かを絶えず動かし続けて、思考し続けていること。だから粘土を焼成して、そのまま焼いた陶器作品を作るのは思考が止まるようで違う気がしていた。
この時は絶えず頭をフル稼働していたから、繭の中で色々なことを考えた。父のこととか、生と死とか。それがたぶん像にはそれが投影されているのではないかな。繭の中で作ったものをそのまま次の展示にもっていこうかなと思ったけど、私の力不足でどうしても搬入できなくて、だから一回積み直すことにした。

*なるほどね。面白い。この船はどういう意味なの?

私はその時人間を造形していたから自分の身体というのが器であるという感覚がすごく強く芽生えていて。

*入れ物みたいに?

そうそう。それは魂と繋がっている。魂のあり場がどこにあるのかというのが私の中では、体じゃないみたいな感じがあって。じゃあ体とは一体なんだろうと考えたんだよね。
人間の中から砂が溢れていて、それはたぶん海とかの、自分にとってのシンボルだったけど。「うつろぶね」という逸話があって、その話がすごく面白かったのね。神様がこの世に来るときに、魂が入っている異界の乗り物というのは「うつろ船」と言われていて。
でもその船のビジュアルの記載がなくて、どっちかと言うとUFOに近い形をしている。それでこの作品は船と自分の肉体としての器性というのをリンクさせていたけど、たぶん今だったらもっと色んな方法があったと思いつつ。

《めぐりに滲む》2022

●《産声のまたたく間に》


《産ぶ声のまたたく間に》2022


《産ぶ声のまたたく間に》2022



*《産ぶ声のまたたく間に》は、臍の緒みたいなものがあるけれど、もう少し生まれることとかを意識したのかな?

この時に私は臍の緒を作りたくなっていて。でも私が見せたかったのは、どちらかというとこの臍の緒の先、先端の方。この時期が、ちょうど祖母が元気じゃなくなってきちゃった時なんだよね。
祖母が死ぬのが怖いって言っていたんだけど、私にはまだその感覚が全然なくて。やっぱり死ぬのが怖いと言う人って、すごく切実に、ちゃんと向き合えたからこそ怖いのかとか、いろいろ考えた。自分の感情も結局怖いのか怖くないのかが分からないけど、向き合えている気がしないから。その言葉にすごい悩まされた時期だった。
だから、死んでいく人がこの先どこに帰るんだろうというのを一番に考えた。私は命って、死んだ瞬間にパッと次の命になる、そういうふうに廻っていくのが自分の感覚としてあった。その視点を出発点として成人の大きさの身体が袋みたいのに包まれて縛られていて、その肉体が延びていくへその緒、というようなどっちかって言うと死に向かうような構成にして。赤ちゃんからじゃないんだよね。
赤ちゃんから延びていくものであるとか、まだ切られていないへその緒であるとかではなくて、これからどこに繋がっていくのか、その繋がっていく先を連想させようと思った。だから成人の体の奥には、どちらかと言うと陸地を連想させる砂が敷かれている。私は臍の緒が伸びていく先には海があることを連想していたけど、どこに伸びていくのかは人に連想してほしかった。

●《残り香をとどめずとも》

《残り香をとどめずとも》2022
《残り香をとどめずとも》2022


*言葉にできないことをビジュアルにして現前化させることって本当にすごいことだと思う。見ていて分かるし、伝わる。それは言葉では成し得ないことだよね。その次の作品は、「残り香をとどめずとも」だけど、これはパフォーマンスだし、今までと表現の仕方が全然違うものだと思うけど、どうだった?

怖かったよ。挑戦するのは勇気がいるけど、ここは私が一番はじけたとこだった。
私は歌うのも、踊るのも、表現というのは基本的に好きなんだよね。でも私が想像するパフォーマンスはすごく華やかで、キラキラしているイメージがある中で、私っていうものを客観的にすごく見てしまって、笑われないだろうかとか、私は自分の身体だけで表現できるのかなと思っていた。
これは3人でのパフォーマンスだったんだけど、それぞれが美術や表現に対してコンプレックスがあって悩んでいる中で、今抱えているすごく激しい感情や些細なこととか、そういうものがあったからこそできたと思し、当時の自分たちだからこそできた作品だと思う。
言葉を発しないコミュニケーションを三人でちょっと物語性を持たせてやっていくんだけど、そういう自分たちが動いた場所の空気や、それを見ていた人たちの空気とか、呼吸とか、そういうものを内包したの。
残そうと思わなくてもそれは必然的に残っているし、忘れることはない。とは言いつつもやっぱり意識しないと忘れていることがすごくたくさんある。その事実が苦しいという話をしたんよね、三人で。それって土地も同じことだよねと話して。忘れたくない、忘れたくないと思っているから、人は写真を撮るし、記憶を残す。でもやっぱり消えていくことをもっと肯定してもいいじゃないかという話もして、それで最後に焚火をした。
当時、海の水をひと掬いすると、骨の成分が絶対入っているみたいな話をしたのね。どの海にも骨をまくと、成分的には含まれるんだって。それがすごく興味深くて、どこに行っても自分たちの欠片は残っていく。残ってしまう。小さい反抗だけど、場所や行為とか、そういうものを肯定して燃やして、空間の中に戻していく。その点に着地して、このパフォーマンスが生まれたんだよね。

*消えることを肯定するっていうのが、今聞いていて一番心に残った。消えていってほしいという気持ちと、でも残っていくことが救いでもあるようなこととか。

すごく良かったよ。 思考の整理にもなったし。やっていることは単純だからね。シンプルに火を囲んで、皆で見るとか、いるとか、歌うとか、そこが一番良くて。
自身の制作に対する教員の講評が物凄く嫌だったんだよね。それで私たちは一枚紙きれを用意して、表現とは自由で、そういうことに縛られていたくないみたいな、すごい短文で書いた紙を最初に教授に渡して、一言も発さないままパフォーマンスを始めたの(笑)。

そして教授一人ひとりに楽器を渡した。笛を吹いたことのある教授に笛を渡すとか。それを嫌がる人もいたんだよね。それが面白い所で、人前で何かをするとか、先生たちは恥ずかしくて拒む。演奏する、歌うとか。同じ表現の方法を持ってるのにね。そこを無理やりさせるとか、思い出してもらうとか、同じ場所で同じラインに立って共有する。裏テーマみたいなものがあって、それは一緒に何かを作っていくことに巻き込んでいくことだった。

*大事なことだね。同じ地平に立ってね。
そうそう。だから物凄く良い経験になった。教授たちから言葉が最後に出てこなかったんだよね。「本当に良かったね」という言葉しか(笑)多分、色んなことを考えてのことだけど。この後から自らの身体を取り入れ始めたから、私の転機になった作品かな。


●《ゆりかご、みみもとでゆれて》

《ゆりかご、みみもとでゆれて》2022


《ゆりかご、みみもとでゆれて》


*今回出展してもらう作品はいつ制作したものなの?

今年。作ったのは、12月から1月にかけて。
岩手県の遠野市に行ったのが12月で、その時はまだ作品の痕跡もなくて。でも遠野に行った時の体験から、今回は絶対にこの体験からものを作りたいと思った。
*改めて作品の制作経緯とか聞いてもいい?
佐渡に行った時に、芸術祭のスタッフの子が世話をしている牛を見に行ったんだよね。その時期に牛が出産して。
牛の出産に立ち会っている人が他にいるから、私が実際に見たわけではないけど、そのあとずっと頭で反芻していた。私はまだ生の瞬間というのを生々しく自分の中にインプットしていない。良くも悪くも。例えば、表現する時に直接的な赤とかを避けている部分があったりする。私は痛覚がちょっと敏感というか、苦手で避けている。
今も絶えず考えていて、私はそもそもあの声を聴いたのかなとか、私の中に残っている声が何なのか、この風景は何なんだろうとかを思った。自分の中で、出産を取り巻いた経験が残っちゃったんだよね。

ぐるぐると思考だけが体を支配していた。牛舎の周りを周回したりして、そこには牡蠣殻があって石巻でのこと(同年夏に石巻のホワイトシェルビーチに足を運んだ)を思い出したりして、ふと土地と土地が結びついたりもした。
その後に遠野に行った。遠野も佐渡もたまたま選択した土地で、あまり理由はなくて。例えば佐渡だったら、民間の能が盛んだったからとか。遠野は、たまたま生と死みたいなことをもっといい言葉で描いていた、「トオノメグリトロゲ」というプロジェクトが行われているから、じゃあそこ行ってみたいなとか。それぐらいのきっかけだった。それで夏に、「五百羅漢」に案内してもらったりして。佐渡に行った後に一回遠野に行って、冬にもう一回自分のリサーチのために遠野に行ったんだよね。
だから冬に五百羅漢に行った時は、先輩と一緒に行ったんだけど静かな山の中に二人で入って。そうしたら急にカモシカと目が合っちゃって。五百羅漢は道がないから岩場を歩いて行くんだけど、やっぱりびっくりした。カモシカの方が人間慣れしているから、ちょっと先の林から私たちを見てきて。
すごい雨の日だったし、山の中だから、いわゆる光とかも差していなくて、その時間帯の明るさというのが刻々と続いていた。遠野土地だから言い伝えとかすごい信じているんだよね。

*なるほどね。伝承とかが当たり前に根付いていて、その人の死生観や価値観に染み入っていたりするんだね。

そこらへんを魂、火の玉が飛んでいても全然びっくりしないんだろうなって思ったりとか。町がそれを肯定しているというか、そういう思考だったりとか、歴史とか、そういう雰囲気をを感じた。
佐渡と一番の違いはやっぱりじっとりしている空気感。山に囲まれている所だから、体感としてはすごく湿度が高くて、じとじとしているような土地で遠野の言い伝えに、山は神様の土地だから16時以降は山に入っちゃいけないというのがあって。それは神様たちの時間に、人間が入るべきじゃないというような考えがあった。
ちょうど私たちがいた12月11日は、山の神様の日の前日。16時を超えると夜になるから、言い伝えとしては山にいてはいけない時間だったんだよね。五百羅漢に行く前にある火伏の神様を祀っている愛宕神社を通って行くんだけど、今の時間に帰ったら、16時に神社の前を通るか通らないかギリギリのタイミング。怖いから早く帰りたいけれど、カモシカはこっちから視線を離してくれない。現実と伝承が混在し、えもいわれぬような体験だった。

*えー!そんなに!

心霊的な怖さというよりは、カモシカを通して神様を見て、森自体からの視線を浴びている感覚になっていた。それはたぶん土地の力だと思う。それを信仰しているという土台があるから、そこに私たちも少し入り込んでしまっていた。
カモシカを「あおじし」と呼ぶんだよね。人は山に入る時に、狼とか神様とかに聞かれるとまずいから、人間の世界の言葉じゃなくて山の言葉を使う。その時のカモシカの名称が、「あおじし」だったの。何であおじしっていうのか明確な記載は無いけど、私は血の赤黒さが青という連想なのかなと思ったりしたんだよね。
牛とカモシカは四足歩行しか似ているところはないけど、やっぱり自分の体験というのがすごく重要だと思う。何かに見つめられる感じとか。だから、畏怖、畏敬の対象として捉えていた。

目があったカモシカ



*だから今回の作品でも、大きな目がぱっとあるんだよね。

そうそう。だから目をつけたかった。出産とか、キーワードはすごく沢山あって純化したアウトプットできないけど、体験全部をひっくるめて何か私は消化したいなと思った。例えば祈りの場。体験からリンクしたイメージを掛け合わせて造形したのが、今回のような形。


《ゆりかご、みみもとでゆれて》2022

*なるほどね。ポートフォリオには、佐渡の知人が妊娠していて、みたいな話も書いていたよね。

それもあった。やっぱり生と死がすごく回っているよね。同時期の10月に、おばあちゃんが亡くなって。佐渡の牛の出産があって、知人が妊娠していることが発覚して、そのあと東京にいる時におばあちゃんが亡くなっちゃったから、その時期は生と死が目まぐるしく変わってしまって。
作品の中に百合を入れる(百合の刺繍の入った布)のは、空間に人間という不在の存在を表したかったから。
佐渡は空き家がめちゃめちゃ多いのね。社会問題になっているくらい。ある土地の中に、草がぼうぼうとに生えていて、人の手も入らないから誰かがいた痕跡が徐々に薄れてくる。鉄砲百合の群れはあんなに美しいのに、乱れ咲いているのが気持ち悪かった。
だから一本だけ百合を刺繍することで、空間から去っていった「少し前までそこにあったはずの生(人間)の存在」を暗示させようとした。

*異様な怖さというようなものがあったのかな?

そう。異様な怖さという感じがした。晴天の日なのに、何もかもが辻褄が合わない、チグハグな感じ。
目の前に広がる風景もすごく覚えていたけど、今思うと私は今目の前の空き家を見ているのか、そこにあった昔の風景を見ているのかみたいな所に繋がってくる。そこを考えていたら、不在の空間みたいなものを描いて見たくなって、自分の出来事とリンクさせて作って見たのがこの前の展示だったんだよね。
*なるほどね。今までずっと聞いていると、やっぱりずっと生と死が根底にあり続けているよね。
でも言葉の限界だよね。生と死だけじゃないから。今回の展示とかもやっぱり他者に説明するとなるとやっぱり、「生と死をあらわしたいのね」とか言われたり、そう受けとられることが多い。でもそうじゃないんだよね。


《ゆりかご、みみもとでゆれて》2022



*難しいよね。やっぱりテーマはずっと変わっていないのかな?

変わっていない。本当にそれは変わっていない。もしかしたら、父親が倒れていたのが、二年生の頃だったら、一年生は別のことをしていたかもしれないけど、良くも悪くも当時にそういう経験をしたから。
やっぱり中学校の時に自分の強迫性障害を発症して、ずっと自分がそこがピークで苦しかったから、死にたいとちゃんと思った時もあったし、生、生きることも、死に向かう姿勢も身近ではあったと思う。言いたくないだけで。だから福祉関係のアートとか、色々な取り組みがあって、見るのは好きなんだけど、やっぱりその人たちに何が救いになるのか全く分からない。自分には言いようがないというか。でもそこに関心を持ち続けられているのは、自分が当事者になったことがあるから。だからこそ身近に感じられる。

*そうなんだね。でも元々根底には生と死みたいなことを考えているところがあったのかな。

考えてたかな。中学一年生の時に、強迫性障害が発症してから生活の中の行為にすごい出ちゃうようになったり、綺麗か汚いかみたいなところで自分が物事を判断するようになったりして、友達とあまり上手く付き合えなくなったんだよね。でも元々は本当に底抜けに明るくて、クラスの中心みたいな感じだった。演劇で主役をやりたいし、やりたいからやるって言えるタイプだった。だから、性格は変わっていないんだけど、表にはなかなか出られなくなった。
でも高校に入る時に、友達ができないのは嫌だなと思ったんだよね。だからめっちゃ苦しかったけどちょっとずつ直していったんだよね。自分でルールをつくることによって、自分の思考を変えて行くと言う方法で少しずつ直して、今はあまり残らないようになった。いわゆるちょっと綺麗好きとか、潔癖とかっていうところで説明が止められるぐらいになった。自分で、生きていく術を獲得していく感じだった。だから苦しんでいる人たちの気持ちとかすごく分かる。

*そうしたら、中学時代は本当に辛かったね。

そうだね。生きた心地が本当にしなかった。苦しかったけど、そういう経験が自分を救ってくれていると思う。
*そこが強さだね。本当にすごい。私は、自分が死ぬことに対しての恐怖はあまりないけど、自分の周りにいる人がいなくなることが凄まじく恐怖だし、本当に嫌なのね。だからみんな私より長生きして欲しいと本当に思うし、その苦しみが自分にとって一番の苦しみなのね。でも、日常の中でどうしても死と向き合うこともあるわけで、その時は当たり前に落ち込むと思うけど、心に結構来たりする?

どっちもある。分からなくて、落ち込んでも体が動くんだよね。だから不登校になったこともないし、中学校は皆勤賞なの。だから私は結構来るけど、目に見えてはこない。でも諦めている部分とかもある。例えば亡くなってしまうこととか。時々私は死と生だったら、生のほうが強いイメージがあるって話してくれるのは、たぶんそういうことがあるのかな。死のことはすごく考えたり見てはいるけど、生きていることを前提にして自分が回っていたりとか、自分の感情があったりするから、どうやっても生きていかないといけないというのも込めて、感情の中で判断していたりもするから。
どっちかと言うと、人が亡くなることみたいな無常よりも、卒業式とか、生きている上での別れの方が私はつらい。
私の中心にあるのは、やっぱり感情かもしれないんだよね。私が死ぬことは怖くないけど、詩に触れることで私の感情がすごく揺さぶられることが怖いかな。

●タイトルと音について


*毎回、展示のタイトルが詩的でとてもいいけど、いつもどうやってつけているの?

最初私は格好いいものをを付けたいぐらいな気持ちしかなかったんだけど、一番最初に紹介した水の映像が投影されていて、水色っぽい作品は “indwelling” っていう入り込むとかって意味だけど。先生に教えてもらって安易に付けたんだよね。英語にするとカッコいいかなって(笑)。でもそこでその哲学の先生に、言葉が持っている力をもっと考えた方がいいと言われて。

*ドキッとするね、それ。

うん。日本語だったら表現できていることとか。例えば「息」の他の読み方もしている、むすこの「むす」とか。そのむすこの「むす」は、「結び」とかそういうことにも繋がっていたりとかって言う派生を考えた時にすごいハッとさせられた。日本語の面白さ、奥深さとか。
だからそれでしか表現できないことってあるのかなと思う反面、英語にしたらどういう訳し方があるのかなっていうことにも意識も向いている。
でもさっきみたいに、生と死とかをくっつけちゃうと限定されるじゃん。だからタイトルと作品が若干人によっては結びつきにくいことも考慮しながらも、そのタイトルだけでも何か物語のように感じられる案を考えている。

*なるほどね。

例えばリサーチしている時に、ノートに書き込んだりするじゃん。そしたらその中からもう一回最後に読んで、気になるキーワードを切り抜いて、あとは作品がどういう状況を表しているのかとか、どういう気持ちだったのかを書き出して、リンクする所を抽出してみたいな感じ。言葉は結構慎重に選んでいる。
「ゆりかご、みみもとでゆれて」は、最後の一呼吸を思って付けたタイトルで、ゆりかごっていうのはやっぱり赤ちゃんの時に自分が入っているところではあるけど、生きていく中で誰かのゆりかごにもなる。サポートみたいな意味でもあるし、自然に帰った時に、自然が循環しているんだったら、私という構成要素が何かのゆりかごにもなると思った。ゆりかごが私にとっての生の象徴だった。
「みみもとでゆれる」というのはそのままで、何かの生きている生き物の声とか呼吸っていうのが、一瞬だけ耳元で鼓膜を震わせる情景が浮かんで合点が行っている。鼓膜か何かでか細く生き物の呼吸がしていて、その呼吸が耳に届くみたいなイメージを付けたりとか。
「産ぶ声のまたたく間に」は同じような感じだけど、最後に、死ぬときにその先に何があるかという話になる。何が生に繋がって、どこに行くのか。
私はそれは、例えばその時はおばあちゃんのことを考えていたから、おばあちゃんが死んでも次の生に生まれ変わっていてほしいなと思った。自分の目の前にあるのは例えば、おばあちゃんの遺体なんだけど、自分の知らない所で赤子が産声を上げてたら嬉しいなとか。聞こえない声を想像して、「産ぶ声のまたたく間に」というタイトルにした。
最近の「星影のたもと,うたは渡るる」は、先輩が星座と鳥の渡りに着目していて。その鳥たちが、10月とかに北の星にある北極星みたいなものを目印に渡りを始めるのね。そこで星座がキーワードとして出てきたけど、朝焼けにまだ空に星が若干残っていて、その星のある位置を目指して鳥が渡っていく。
歌とか、鳥がすごくさえずるような春を連想させるものを運んでいくから、星の下で鳥が渡っていくみたいなイメージにしたりしているね。タイトル付けるのが一番楽しい(笑)。

III「作家自身について」


●作品の特徴である色について


*今までの作品を見ていても、ずっと白、グレー、黒を多用している印象があるけれど、その色味みたいなものは自分の中で決まっている何かの要素があるのか知りたい。

私は色味があるものが作れなくて。「○○だから白です」とかじゃなくて、ギラギラしているようなものが単純に好きじゃないのもあるし、でも好きじゃないと言いつつ、お洋服ではそういうのたくさん着るから、たぶん私が表現したいところとか、そういうのをイメージする色がやっぱり無色だったりとか、白がすごく強いとか、そういう感じ。
色覚的にも私は何も異常もないけど、色が入るとその空間が侵されている感じがしてすごく嫌だ、というのが本当にあって。
*何もないということが大事なんだ。白とか黒とか、あるけどないというか、ないけどあるみたいな。
自分の作品を作る中で、いわゆるスピリチュアルにはあまりなりたくなくて、なりたくないというか、そこだけじゃないから。いわゆる美しいとか、そういうインスタ映えするような空間を別に作りたいわけじゃないけど、自分でも作った空間がすごい綺麗だなと思うし、やっぱりそういう部分に運ばれてたり、見てたりしているだろうなって思うことが多々あるけど、、、。話を戻すと、色は本当に白だね。
白のトーン、黒までのトーンで作っているかもしれない。

*うーん。確かに。私は秋田に行ったことがないからあれだけど、日本海とか、東北の海の感じとか、空とか景色観も心象風景っぽいのかなと思ったりもするんだけど、自分の生育環境とそういう表現と結びついていると思う?

ちょうど二日前ぐらいに思った。私、次の作品で塩を使おうと思っていて。私は、自分が作品で砂を使っているのがずっと自分の中で疑問で、なんで砂がいいんだろうなと思っていたけど、海水を会場に入れられないかって考えていたんだよね。
その時に、海水を煮だして、塩にしたら入れられるんじゃないかなとかと思ったことと、すごく悲しいことがあって、その日は泣いていて、涙が口に入ったときに、すごいしょっぱくて、やっぱり自分の中にある物質や見えない部分と、海水と羊水の成分がちょっと似ているとか、そういう所がなんかリンクしている気がした。
だから塩のビジュアルにしたけど。たぶんそこから私が気づいたのは、単純にその一面の雪景色がずっと近くにあったからなのかなと思っている。やっぱり何か踏みしめる感覚とか、そういうあまり色のない風景が自分の故郷の風景だから、そこは少なからず繋がっているなと思ったりして。

*海はずっと近くにあったの?

近くにはないかも。今の秋田市があるのに、海側だから、湯沢は全然山に挟まれていて、思い出すんだよね。思い出とかで、家族で海に行って、こういう撮影をしたとか、こんな石を拾ったとか、こういう大きい犬と出会ったとか(笑)すごく覚えていて。
雪はそんなに覚えていないの、たぶん近くにいすぎて当たり前のことだった。海の記憶はすごく残っていて、事細かにというのではなくて、行ったということがすごく大きい出来事として覚えていて、別に綺麗だからという理由じゃない気がするけどね、覚えているだけ。本当にそれだけ。

*やっぱり秋田という土地性とか、雪とか、気候的な所を含め、そういうものが本当に影響が強いだろうなって、話聞いていても思ったし、作品見てても思った。なんか生まれるべくして生まれている作品な気がする。今後も秋田にいたいと思う?

あんまり思わないかな。好きだけどね。好きだし、いなくなることを考えたらすごい寂しいんだけど、まだ見たい所の方が多いから行きたいなと思う。でも旅先に行くと、自分の知っている土地をついつい探している分もあるよね。ここは似ている、ここは懐かしいとか。
それはすごく相反する感情で、別の土地に居ながら、すごく懐かしい部分を自分が欲して選んでいるし、それ以外視界に入ってこない。あるあるかもしれないけど、こういうものだろうな、やっぱり行ってみて初めて気づいた。

*佐渡によくリサーチに行ってるじゃない?佐渡の風景とか、新潟だから海が似ている気はするよね。色味とか。実際行けばやっぱり違う場所だというのはあると思うんだけど、なんかこう似ている気がするの?それはさっき言ったような似た場所とか探している部分があることと通じている?

通じていると思う。佐渡だからじゃなくて、この間も言ったけど、廃れていく所や場所に自分の気持ちがフォーカスされていくのはそういうことで。結局廃れちゃったり壊れちゃったりしたお家とか、場所って違いが分からないじゃん?今表札がなければ、誰々さんの家だったとかももちろん分からない。ただの空き家とか、そういう風景に違いを持たせるのはやっぱりその土地が持っていた記憶とか、出来事のような気がする。
風景が違えど、秋田と九州のどっかの田舎でも、風景が似ているところが全然あると思うけど、住んでいる人が違えば全然違う所に見えるとか。
あまり私は好きじゃないけど、人の営み、記憶のこともそうだし、今まで起こったこともそうだし、そういうものが一番違いを際立たせているのかなと思うから。空き家の話に関してはもう想像するしかない。
ちょうどさっきノートに書いていて、私はそこをずっと悩んでいて、自分は風景を見ているのか、今ここというのを見ているのか、そうじゃない過去のこと、不在の何かを見ているのか。どっちもというのがあるけど、何が大切なのか?を考えていて。ここではないどこかと言いながら、どこでもないどこかかもしれないし、今ここかもしれないし、もっと時間的な話で、何でもない一瞬ということかもしれないし、言葉にするときにやっぱり全然違うことだから、なにが正解なのか?ちゃんと見つけないといけないなと考えている。

*人の営みとか、そういう記憶的なものがあまり好きではないと言っていたけど、それは人の営み自体を見ることがあまり好きではないの?

見ることが好きじゃない理由は、人間そのものにたぶん関心がなくて、行われたことというのは私にはすごく魅力的に感じてて、、好きじゃないのかもしれない(笑)
例えばここでは、こういう古写真とか、そういう白黒の写真で昔の農家の風景が写っているとか、そういうのはすごい好きなんだけど、いざそれを知ろうとすると、全然面白くなくて。面白くないというか、人の温かさとか、そういうコミュニティーを作りたいとか、嫌いじゃないけど、そういうのに前向きになって、じゃあそういうテーマでやっていきましょうとはならない。
どこかずっと存在として独立している。たぶん自分自身もそうだし、いわゆる「個」というものを私はすごく重要な気がして、それぞれ。そこに別に繋がりがあったとか、コミュニティーがあったとかにそんなに関心があるのではないと思う。そういうのがあったからこそ、ずっと繋がってきたものがあるのも知っているし、表裏一体だなと思いつつ、あまり関心がない。

*なるほど。私も人間という生き物とか人間って何?っていうことにはすごく関心があるけど、一人ひとりにはあまりない。その人の私生活とか、残したものとか、そういうものにあまり関心を持っていなくて。人間という生き物自体に関心があるけど、個々の事象ってあまり興味がない気がしているんだよね。

個々の事象よりも、人が住んでいた形跡を追うのが好き。とも思いつつ、そこに住んでいた個人の具体的な過去に関心を抱いたりもする。それが個人特定的ではなくて、不在を目の前にして他者像を想起していくのも好き。

*だから、個別名称ではなく、概念ぽく物事を捉えたいのかなって感じがする。なんか、個別の佐藤さん記録はどうでもよくて、その人間がいて、そこにいた誰々と一緒にいたとして、段々年月が経って、それで今のようになっていったという現象というか、概念というか、そういうことの解像度が荒くていい。そういう所に関心がある気がする。

そうかもしれない。この間に佐渡に行って、知り合いのもう亡くなったおばあちゃんちに行ったけど、いわゆる日本家屋で、本当に大きくて、三世代分の家が繋がっているわけ。それぞれ独立していて、玄関のところを屋根で繋げているんだけど。
その時の生活のままで残っていて、埃とかはあるけど、アルバムだったり、机とか、あと日本人形が置かれていたりとか。ちょっと前までそのおじいちゃんがおばあちゃんが住んでいるときに最後まで使っていた部屋というのを見せてもらったけど、やっぱりすごい生活感があった。日差しがすごい入っていて、ベッドの近くに紙切れがあって、薬があってみたいな。
そこまで鮮明に見たことがなかったから分からないけど、やっぱりすごい入ってくるんだよね。その人のことそんなに知らないからというのもあるけど、すごく身の回りのことからその人を想像する体験が初めてで、それはすごく面白かった。たまたまその人だからすんなり入ってきたのかもしれない。逆にそんなプライベートな部分って見ちゃうと感情移入しすぎて駄目だから。

●原動力について


*自分が何かを作る時とか、きつい環境に置かれた時に奮い立たせる物とか、原動力のようなものはどういうものがあるのか聞いてみたい。

感情でいうと、怒り→悲しみっていう要素だと思うから、発信源には多分怒りがあって、ちょっと際どいラインではあるけど、私の場合は怒りか悲しみか、みたいな感じ。
日常を送る中で「なんでなんで」という疑問が物凄く強くて、個人的な「思い通りにならない」からの「なんで」もあるし、社会情勢とかはあまり詳しい方ではないけど、社会に対しての「なぜ」とか、そこはすごく純粋な疑問でというよりも怒りと称した方が近い。
原動力は何なんだろう。あるけど、言葉にはできなくて。ただ、ニュアンスで伝えるとしたら、物凄い感情の威力ではあると思う。いい作品を作るから褒めてとかじゃなくて、ただ見てくれないことに対しての怒りとか、そういう、中心に自分があるからこそ、発せられるエネルギーに近い。


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