大事な人に"ありがとう"を言わなくなったなと思ったそこのあなたへ。

わたしはいつもだいたい2.3年先に夢を描いていて、それが叶うように毎日生きています。
当然その中で1年後にやりたいこと、半年後にやりたいこと、1カ月後にやりたいこと、明日やりたいこともあります。

今日の自分が2年前理想としてた自分になれているのか?

1年前理想としてた自分になれているか?

半年前理想としてた自分になれているか?

そう考えたときに「なれてる、その時願った夢の中で生きてる」と本心で言えます。

毎日こうやって生きている中で、今考えたら有り得ないけど、3.4年前は毎月200人以上には会っていたし、メッセージもひっきりなしに来るけどご丁寧に全部ちゃんと返事してたな。

若い女の子が世界一周したとか、自分も旅がしたいんですけどとか、どうやったら夢が叶いますかとか、やたらとそういうことばっかりあった。

昔から良くも悪くも、やたらと人が集まってくる。

その中で次につながる人がいるかどうかわからないにしても、そういう繋がりを作ってそこから仕事に発展していったりしてたのは事実。

旅をすれば人と会ってたし、仕事をすれば人と会ってたし、飲みに行けば人と会ってたし、冗談抜きで【丸一日一人でいた】みたいな日は前までは本当になかった。

ブログやこういうところで書く文章を読んでくれて「会いたいです」と言ってくれてそういうのが嬉しかったのもあるけど、なんだか会わなきゃいけないような義務のような気もしていた。

ただ、ここ何ヶ月かで感覚が真逆になった。

全く人と会いたくないとかいうわけではない。

そういうわけではないけど、必要以上に人と会いすぎたし、会うのはもうやめようと思うようになった。

人と会いすぎただけのような気もするけど、毎月何百人と会っていると結局一人ひとりがおざなりになる。

なぜ歳をとると1年が早く感じるのか?

それは時間の感覚が変わることによるもの。

5歳にとって1年とは人生の1/5と大きな割合をしめるが、50歳にとっては1/50とほんの小さなものでしかなくなってしまう。

この感じ方の違いであって、人と会う絶対数が上がれば上がるだけ大切な人でもそうでない人でもその時間の重たさが等しく軽くなってしまう。

それでいいのだろうかという純粋な疑問ゆえ、あまり人に会うのはやめようと思った。

会うべくして会う人は何をやってても、どこにいても必ず会うと思うから。

それに、誰にでも優しいは本来いいことだとは思うけど、誰にでも優しいということが人を傷つけたり裏切ったりすることがあるからだ。

会うべくして会う人は、友達とかそういう枠を超えて人生のお付き合いをするようになるのだと思う。

久しぶりとかも関係ない。

お互いがお互いのやるべきことがあるのだから、それをリスペクトしあえる人間関係。

あなたがやってることだからなんでも肯定するよ。

言うなればそんな感じ。

今まで会った人すべてがそういう人ではもちろんなかったけど、遠く離れててもまたいつかあの日の続きを始められるような、そんな大切な人がわたしにはもうすでに両手で数え切れないほどいてくれる。

情けない姿もカッコ悪い姿も知っていて、酔って垂れ流してしまった本音を知っていて、それでも「それでいいじゃん」と言ってくれるそんな人たち。 

日本中どころか世界中にいてくれる。

旅をした中で得られたもので一番良かったことは、若い女の子が世界一周したとチヤホヤされることでも、仕事をお願いしたいと頼まれることでも、過去の恩恵で生きていけることでもなく、そういう人と出会えたということなのだろうと思う。

またいつか、その一人ひとりとの時間がやってくるはず。

その時に1/100とか1/200とか時間の比重を下げたくない。

その絶対数が5とか10だったらと考えるとそのほうがいいとやっぱり思う。

100人と1時間あって話すのと、10人と10時間すごすのって全然違うはず。

それを求めてるし、求める自分になってしまったのだろう。

そこに物とかお金とかが発生するのが仕事。

わかりやすくして、納得しているだけなのかもしれないし、そういう関係は物やお金でちゃんと切れる。

誰といたから幸せだとか、誰といられなくなったから不幸だとか、自分の幸不幸を他者に委ねるような事ももうしたくはないししないけど、ただわたしを変えてくれるだとかわたしに教えてくれるだとかわたしを愛してくれるだとか、そういう出会いは大事にしたいと思っている。

自分主体のわがまま人っぽいけど、だけどこれはわたしの人生だから。

ずっと昔から大事にしていることがある。

Be a giver.
与えられる人でいたい。

身近な人を幸せにできる人でいたい。

贅沢な悩みだとか絶対他の人が経験しない悩みだよねとか言われたこともあるけど、かつて「会いたい」と言ってきてくれたその人達の望むわたしでなくなったらもう価値がないと失望され、時にはわざわざ余計なことを言ってくれる人もいた。

そんなことは最初からわかっていたつもりでもわたしはモノでも機械でもないからちょっと辛いものがあった。

子供の時から今の今まで人との出会いの殆どはお悩み相談だった。

どうしたらいいか、こうしたいけど、こんなことで困ってて。

そういう相談を山ほど受けてきて、答えるようにしてきた。

その中で感情移入してしまったり人の闇を背負ってしまったことさえあった。

散々そういう生き方をしてきて、勉強にもなったけど正直もういいと言えるほどやったので、あまりもうわたしがそういう役をやらなくてもいいのかな、と。

わたしは基本的には最初から100%信じていて、何かあるごとに信用が減っていく減点方式の価値観で人と接しているようで、おそらく一般的には逆の加点方式なのだろう。

まず他人を信じない。

当たり前といえば当たり前だけど、おそらく旅した後の生活がわたしを真逆に変えたのだろうと今は思う。 

世界を旅していた頃もそうだし、その後会いに来てくれたとんでもない数の人もそうだったけど「はじめまして!」と名乗るその人物を疑ってかかるなんてことをしていたら頭がおかしくなっていたと思います。

疑って生きるなんて、正直楽しくはないし疲れるの極み。 

純粋にもうそういう生き方をしたいと思わない。

それよりももっと真剣に、物も持たず、目の前の大事な人を大切にし、小さなことで喜べるような時を過ごしたい。

1日に何十人と日本各地や世界各地から人が会いに来てくれてるなかで「信じる」ということは自分がうまく生きるための術だったように思います。

それも今となってようやくそう思える程度で、そのときはあまり深くは考えてませんでした。

そのほうがただ生きやすかったと感じていただけ。

頼ってくる人も数え切れないくらいいるわけで、そしてわたしはそういった人を100%信じるところから始めてしまう。 

有難いことに誰も見てなさそうなところに書いた記事でもひょんなことからコラムのお仕事をもらえたり、なにか仕事に繋がったり。

「仕事を教えて」とか「一緒に仕事したい」とか言ってくる人がこれまでもたくさんいて、ほとんどがやってく中で失敗していきました。

結局仕事とは「楽しいもの」でないのだから。

やりたくないこと、つまらないこと、めんどくさいことも当然出てきます。 

それを都度乗り越えていくことが継続。 

楽しいのは最初に想像して作り始めるその時と、ある程度満足できたその瞬間と、お客様や従業員が喜んでくれたと感じられるその瞬間くらいのものです。 

むしろ大体がめんどくさい。

嫌なことを続けられなければ成功はないし、けどわたしなら何でもホイホイ成功しているんだと信じて疑わない人々は上手くできないわたしを見て失望するのです。

そうして失望されるのは構わないけど、仕事は走り始めてしまっているからこそ、後片付けをわたし自身がしたり損失を出したりなんてこともたくさんありました。信じられない程しんどかった。

そのために命を燃やすような生き方をすることが普通のようになってしまっていた。

いつものように旅をすればまた何か変わるだろう。

正直、人生最後の旅になるかもしれないと思いつつ、先月日本に帰って来ました。

それに、ただ単純に死にかけたということもあるけれど。

「旅をすればなんとかなる」と思っていた自分もいたけど、それでなんとかなったのは20代前半までだったのだと気が付きました。

旅をしようがどこにいようが、好きな時に好きなことが出来ることが贅沢すぎることに気づいた。 

でもやりがいがない。

穏やかな豊かさの中で生きるということを東南アジアで経験したけど、多くを望まず、有るものを有るだけ頂く。

在るもので満足しようとする。

無いのものは無いと割り切る。 

そういった価値観の変化に人間は対応できるんだと、人生で大きすぎる発見だった気がします。

日本を旅し、世界を旅し、様々なことを学び、様々なことを人に伝え、自身もいろんな経験をして、数多くの人に出会ってそう思います。

信じられる確かなものは、価値をすり合わせることもそうかもしれないけど、それでもいいよねと認めてあげられること。

目の前の人と会話する。

それがどれだけ幸せで大切な時間か、挨拶できることが幸せなことか噛み締められる余裕をもちたい。

サービス業をしたことがある人なら分かると思うけど、社会人にしては圧倒的に「ありがとう」を言う機会があります。

職場でも「お疲れ様でした」「おはようございます」で済んでしまうような環境であればやっぱり言う機会は少ない。

旅をして、それってとても勿体ないようなことのように思うようになりました。

日本でも世界でも、行く先々、出会う人たち、本当に良くしてくれる。

危険だとか言われる国だとしても。

わたしの場合、誰かがしてくれたことに対してお金や物で返せないことも多々あります。

なぜなら旅してるとき身分上どうしても不自由なことしかないから。

なぜこんな訳分からない日本人に?って思うくらい優しくしてくれることも多々ある。

そんな人達にわたしから何もお返しが出来ないからこそ、せめてちゃんと"ありがとう"とお礼だけは言うようにしています。

当たり前のことをそれっぽく言ってるだけのようだけど…

どんなに思っていても、感情は目に見えるものじゃないから、やっぱり言葉にしないと伝わらないこともあると思う。

なので、あそういえば最近"ありがとう"を言ってないってドキッとした人は是非言ってください。

旅をしたからこそ知れた世界と出会えた人がいます。

もしかしたらもう旅はしないかもしれない。

良いことも悪いこともたくさんあった。

けど総じて良かったと思います。

ありがとう。