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配慮のある文章って、なんだろう

文章にかかわる一人として、普段から選ぶことば・表現には最大限気を遣っているつもり。それでも稀に、私の文章に対して否定的な意見をもらうことがある。

そういった反応を見るとやっぱり凹むし、悲しい気持ちになる。すべては思ったように伝わらず、「そうじゃないのに」と残念な気持ちになることも。

だからといって「嫌なら見るな」論になるのも、ちょっと違うと思っていて。

自分の書く文章で誰かを傷つけたり、誰かを不快にさせるようなことは、できるだけしたくない。

配慮のある文章ってなんだろう。
人を傷つけない文章ってなんだろう。

事実ベースの文章よりも、個人の視点や意見、感情が入ってくるほど、それは難しさを増すように思う。


配慮のある文章を書くにあたって、私が思う大切なことは4つ。

■ことばを正しく理解して選ぶ

まずは選ぶことばの意味をきちんと理解し、正しく使うこと。思い込みでことばを使ってしまうことはとても危険で、自分の意図とは違って伝わる可能性が大きい。

また、時代に合わせた適切なことば選びも大切。たとえば今だったら「女らしい」「男らしい」といった表現には敏感な世の中だ。ひと昔前には当たり前だったとしても、時代錯誤なことば・表現には「配慮がない」「ズレている」という反応になってしまう。

■俯瞰して見る

自分の意見や視点だけではなく、もっと広い視野、高い視点で見てみる。自分とは違う意見、立場、環境だとどうなのか。自分の意見やスタンスは、果たして正当に主張できるものなのか。否定的な意見が出るとしたら、それも見越しているのか――など。

文章に熱を込めるほど、まわりが見えにくくなる。そこを一歩冷静になれるか、は大きい。

■誤解を生まない伝え方で

自分の文章が、意図と違って受け止められることもある。読んでくれる人が多くなるほど、その可能性は大きくなるものだ。

たとえ完璧な文章だったとしても、読むのはあくまで読者。捉え方を決めるのも読者。だからこそ、なるべく誤解を与えない・生まない表現を選ぶ必要がある。

編集が入る(複数の目に触れる)ような文章であれば、そういったリスクを抑えられるけれど、個人の発信ではそうはいかない。自分自身が慎重になるほかないのだ。

■覚悟と責任を持っているか

そして、発信をする覚悟と責任、これに尽きる。匿名で気軽に文章を書ける世の中だからこそ、きちんとその心構えを持っているか。

noteやブログ、コラムのような長文だけでなく、Twitterのような短文でもそう。「テキトー」なことば・文章にはリスクが付きまとう。



……と、気をつけたいポイントはいろいろとある。

ただ、萎縮してしまうといい文章は書けない気もしているから、これまた難しい。人目を気にしたまるくて無難な文章は、心に留まりにくくておもしろくない、ともいえる。

読んでもらえなければ意味がない、と考える世の中で、伝わりやすさとことばの鋭さの狭間で、私たちは悩むのかもしれない。

ただ私は、あくまで私の文章は、自分の主張や正義を振りかざすだけのものにはしたくないし、尖った言葉で煽るようなこともしたくない。

私自身も未熟な人間だし、完璧な文章は書けない。だとしたら、上で述べたようなことを心にとめて、愛と覚悟を持って書くしかないのかな、とは思っている。

それでは、また明日。



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