もう一つの椅子
東京から遠くのまちへ引っ越しました。 あたらしいまちで出会ったもの・人・ことの日記です。
「東京の人は冷たい」と言いますが、東京生まれ育ちの人はそれを言わない。これは外からやってきた人間から見た日記です。筆者は千葉県出身です。 過去から現在入り混じった日記のようなもや短編エッセイなど東京に関係ないものもタイトルに反して、たっぷり放り込みます。2019年末、東京から引っ越して関西に住んでいます。
もう一つの椅子について
「人は、究極には存在そのものがその人という表現だ」と私は思っている。私の場合、その表現を「もう一つの椅子」というフレームワークに託しているのだと気がついた。 2014年以降、自分のやりたいを少しづつ体感として試して、かなえて、失敗して、学んで。これまでの様々な出来事や出会いの点と点が、一つのストーリーとして繋がって表現できるような気がしたので、 「もう一つの椅子」のポートフォリオ的な、プレゼン資料を作ってみました。 PCでみると見やすいです。矢印を押しながらプレゼン動か
悲しい知らせがあって 私の毎日が普通に続くことが辛くなっていた 毎日は続いて良い そんな夜どんな夜 幸せ 悩んでたことはどうでもいいことだった 穴に逃げ込んだら 私は猫になった 穴にもぐれば 新しい扉のパスコードを手に入れる 究極のアジールは 究極のパブリックだ
いろいろな人と、話をしていく中で、 もう一つの椅子は「社会化されない、居場所の創出」が、一貫したテーマだと定まった。 「社会化されない」の定義は、 経済的に価値がある・ないとか、 正しい・正しくない、 を外から与えられた一つの物差しで自分を測らず、 自分の”ありのまま”を真ん中に、自分の内なる世界を捉えること。 それを軸に研究や表現を模索していく。 一度気がついてしまった自分の本質の道を行き出したら、 それ以前の自分に戻れないのが少し寂しい。 人生の不可逆において
8年前の年末のこと、私は地元のハローワークにいた。 その年の春の終わりに軽いうつ病と書かれた診断書を片手に仕事をやめた。 心も体も弱っていた私は、1ヶ月の間は食べる時とお風呂に入る時と心療内科に通院する時以外は布団の中にいた。 心療内科では、毎日家事でできたことに丸をつける表をもらって帰った。 そして「ただ生活する」ということをまず取り戻した。 病院に通い始める前日までも当たり前のようにやっていたはずの、洗い物をするとか洗濯を干すとか、ささやかな生活動作すら、疲れすぎていた
noteマガジンにじわじわとまとめている「ノラ椅子図鑑」 この1年ほど、ノラ椅子について人と話すうちに、私のノラ椅子への思いは「研究」という形で結実していくことになりそう。 学問分野だと「文化人類学」とか「社会福祉」の領域からのアプローチで、まちの風景研究。 保育士としてサポートしている「こどもみらい探求社」さんがFacebookで月に一度配信する「世界を広げる時間」というコーナーに「ノラ椅子」をテーマに出演しました(2021年11月9日)。 「ノラ椅子とは?」にはじ
路上観察をベースにした研究のアイデアについてあるとき話していたら、なぜ風景に関心を持つようになったのですかと質問されて、疑問に思った。 いつからわたしは風景を特別なものとして生きているのだろうか? ひとつ思いつくのは、高校生の頃だ。いわゆる渋谷系といわれる音楽や単館上映の映画が好きだったわたしは、土日や学校帰り、生まれ育った千葉から東京の渋谷へ電車で1時間半かけて遊びに行っていた。わたしが高校生の頃は渋谷のセンター街を闊歩するコギャルがメディアでは大ブームで渋谷は怖いイメ
2021年1月おわり、祖母99歳危篤からの、その後持ち直したとの連絡が千葉実家からあった。2ヶ月ほど意識が薄れたり戻ったりを繰り返す入院状態が続いていたが、3月のお彼岸の時期に亡くなったとの連絡があった。 1月の終わりの連絡が来る数日前、ちょうど「今年、誕生日が来たら100歳になるのかあ」と感慨深く祖母のことを思い出しながら、私というものを作り上げるにあたって、祖母の存在は大きかったなあと改めて考えていた。 祖母は、私にとっては反面教師。 生まれた時から家を出るまで、三
「思考整理のアシスタント」の個人セッションを初めて2021年7月で半年になりました。 詳細と申し込み方法はこちら 人は考え事をするとき思うに、頭の中にまとまりないけどつらつらと思い浮かぶことがあって、それを人に話すことってない。 でも思考整理のセッションでは、とにかくこんなこと話していいのかなとか気にせず、いまその人が整理したいと思っていることを、そのまんま話してもらうのです。 気がついたら20分も一人つらつら話した後、「あれ、このまま話してて大丈夫です?」と一回聞い
東京都江戸川区にある東京メトロ東西線・西葛西は、リトル・インディアと呼ばれている。 東西線の通勤時間帯に電車にのると、西葛西から行徳にかけて、確かにインドの方と思しき人がけっこう乗降している印象はある。 だが、西葛西駅を降り立っても、明白に「インド人街」といった感じではない。 マンションが多く、コンビニや銀行、食事処、塾やクリニックが入居した雑居ビルが並ぶ、典型的な東京都内のベットタウンの駅前である。 2、3あるインド食材店へいくと、その周囲には買い物したり自転車で通
2021年になった。 年末年始になると、新しい年の占いを読んだりして、どんな1年になるかな?どんな1年にしようかな?と棚卸しする時間が増える。 フリーランスになって4年。 これまでと大切にしようと思うことが変わってきた。 今年意識すること。 「ティータイムをとって一息つく時間を大事にする」 今までもお茶大好き、おやつ大好き、で休憩のティータイムの時間は、よくとっていたんだけど、 ついチャットで仕事のやりとりをしながら、、、とか心はそわそわ、バタバタしがち。 淹
子どもの頃、恥ずかしがり屋で、人前で話すのが苦手だった。 苦手というか恐怖。 教室で先生にさされて、やっとの思いで発言すると、クラス中のあちこちから、「聞こえませ〜〜ん」という無邪気な大合唱が襲ってくる。 自分としてはこれ以上なく大きな声で発言したつもりでも、だ。 泣きたい。パニック。 ちょっと大きくなってからも、友達に話しかけているつもりなのに「え、独り言?声小さいから、話しかけられてるのか独り言がわからない」と言われたこともあって、「うーん、そんなに小さい声かあ
「もう一つの椅子」は、「いろんな居場所の隣に「どうぞご自由にお掛けください」とあなたのために椅子を用意しておく」そんなコンセプトの、主宰する私の半径で起きる小さな親切のおすそ分け活動の総称です。 2020年、ステイホーム生活でハマったのが石を磨くことなのですが、どうせなら、複数人がzoomのギャラリービューで並んだ状態で、30分くらい、無音で、何かをひたすら磨く動画を作ろうと思い立ちました。 私の隣で、言葉を交わさないけど、みんな思い思いに、それぞれの場所で、磨きたいもの
荻上直子監督の映画『めがね』に出てくるもたいまさこ演じる「サクラさん」は、福の神かもしれない、とふと思った。 「めがね」あらすじ 『めがね』は、小林聡美演じるタエコという一人の女性が、何もない小さな島の民宿ハマダに滞在しながら、ただそこで過ごすお話。 この島でやることはたった一つ。「たそがれる」こと。 民宿のオーナーのユージ(光石研)、島の高校教師ハルナ(市川美日子)、春になると島にやってきて、民宿を手伝い、海辺の小屋で島の人たちに小豆かき氷をふるまうサクラ(もたいまさ
なぜこのまちに住むことに決めたんですか? そう聞かれることが多い。 夫婦で、引越しにあたって、住むとしたら?を想定し、2年ほどの間で3、4回関西を訪れた。 なんだかここいいね、落ち着くねと二人で意見が合う場所が、いくつか見つかった。 共通していたのは、気に入って長く住んでいた東京のまちと特徴が似ているところだった。 何かと何かの境界のまち、川がある、最寄駅の1日の乗降客数がほぼ同じ(まちの規模感、出歩く人の数が一致する)、スーパーがたくさんあって便利など。 どうせ
詩と生活のZINE『ゆめみるけんり』の「いま寄り添うためのことば」の投稿の呼びかけをみて、詩を寄稿しました。 趣旨はこちら 詩を寄稿するのは初めてのことで、気持ちはとてもざわざわしています。 私は、起きたことに対して、不器用でも戸惑いながらでも、自分に正直に向き合い、言葉を紡げる方のことが好きです。 この趣旨には、その正直さを感じたので、自分の作品に対して、最も厳しい審査員である自分を一旦脇に置き、偶然手にしていたロシアの映画監督・タルコフスキー日記に励まされ、寄稿に
実家のある団地の入り口には、喫茶店がありました(今は無い)。 場末な感じの。年季入ったマンガが並んでるかんじの。 ちょっと奥にある漫画には埃かぶってた。 新聞広げるてタバコもくもくの常連さんと、草野球チームのガタイのいい青年たちがガヤガヤやってくる。 そこは、「珈琲とカレーの店」でした。 中学の頃は、土曜の昼とか母と一緒にたまにいってたんですが、高校のとき、期末テストの帰り、制服来たまんま、学校帰りにチャリで遠回りして一人でカレー食べに行ったけね。 単独行と町歩き