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「いま寄り添うためのことば by ゆめみるけんり+て、わた し」に詩を寄稿しました

詩と生活のZINE『ゆめみるけんり』の「いま寄り添うためのことば」の投稿の呼びかけをみて、詩を寄稿しました。

趣旨はこちら

詩を寄稿するのは初めてのことで、気持ちはとてもざわざわしています。

私は、起きたことに対して、不器用でも戸惑いながらでも、自分に正直に向き合い、言葉を紡げる方のことが好きです。

この趣旨には、その正直さを感じたので、自分の作品に対して、最も厳しい審査員である自分を一旦脇に置き、偶然手にしていたロシアの映画監督・タルコフスキー日記に励まされ、寄稿に至りました。

私は前向きな人間なので、どんなときでも、日々の小さな楽しみを見つけてしまう性質で、「辛い時のはずなのに、いつも楽しそうで、そこがいいところね〜」と母に言われるくらいなのです。

このところの生活の中での変化は、私の場合大きいわけでなく、多少いつもより余っている時間が増えて、料理に、工作に、おえかきに、コマ撮り動画作成に、資格の勉強に、講座やセミナーに、と「淡々といつも通り」過ごしています。

人の発する言葉の内側にある、感情の波にも敏感なところがあるので、辛い状況におかれた人がたくさんいると、同じように不安なっていない私が申し訳なくなって、元気をなくしてしまうことがあります。

今まで、私が「どんなときもニコニコして安心感を与えてくれる」と思ってくれている人がいました。
反対に、私が「どんなときも明るく楽しく生きている」ことで、傷ついてしまう人もいました。

どんなつらいときでも、日々の小さな楽しみを見つけ、
そんな小さなことが自分の救いになると信じてきたけれど、
明るいところから遠くにいった人には、救いにならないことだってあることを知らなかった。自分自身もまた、小さなことが救いにならなかった日も、ほんとうはあった。

ただ、自分のうけた傷は、結局のところ、自分で癒していくしかないと私は思っています。

そしてその時は、これ以上行く先のない、彼岸の淵に旅することもある。

この詩は、彼岸の淵から生きる方に自身を押し戻して、明るい場所にまた帰ってきてほしい、そんな誰かへの手紙です。

20代の半ばに書いた歌の歌詞を元に、今の気持ちを乗せて再構成しました。私にとっては、私の根っこである「前向きさ」の源流となる詩です。

作品:もう一つの椅子「犠牲」