祖母からの贈り物
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祖母からの贈り物

2021年1月おわり、祖母99歳危篤からの、その後持ち直したとの連絡が千葉実家からあった。2ヶ月ほど意識が薄れたり戻ったりを繰り返す入院状態が続いていたが、3月のお彼岸の時期に亡くなったとの連絡があった。

1月の終わりの連絡が来る数日前、ちょうど「今年、誕生日が来たら100歳になるのかあ」と感慨深く祖母のことを思い出しながら、私というものを作り上げるにあたって、祖母の存在は大きかったなあと改めて考えていた。

祖母は、私にとっては反面教師。

生まれた時から家を出るまで、三十余年、ずっと同じ屋根の下で暮らしていた。

中学生の頃、母の仕事の帰りが遅い日は、塾に行く前にお腹が空いてしまうので、夕飯にオムライスをよく作ってくれた。今どきのテフロンフライパンでも、昔の鉄フライパンの感覚で作るので、油ギトギトのオムライスになり、塾で緊張しているのも相まって、私はいつもお腹が痛くなった。

高校生、大学生になって、私がファッションに関心を持つ頃になると、単なる好奇心かららしいが、「何買ったの?」とか「へーいいね」といいながら袖を通したり、革靴を試し履きする。

ワクワクして私のものって買ってきたのに、なぜお前が最初に着る? しかも足サイズ違うお前が足の形に合わせて伸びやすい革靴を勝手に履くのだ?!と怒り、何度かそのミスを繰り返して学んだ私(と母)は、あるときから買ってきたものは祖母の目に触れないように、忍者のように帰宅し、買ったものを隠して暮らした。勝手に履かれたら嫌な大事な靴は帰宅後、靴箱ではなく自分の部屋に戻す必要があった。

私は一つ一つ、「これを大事にしたいから、これを選んでこれをする」というタイプ。祖母は世代的に自分がどうしたいという意思を表に出さず、「みんながそうするようになっているからそうする」というタイプ。生活の感覚がまるで違う。

お盆のお墓前りやお節作りなど、年間を通し決まった年中行事ルーティンがあり、それをしないとソワソワしだすが、じゃあご先祖様とのつながりを大事にとか、道具にこだわってきれいに使うとか、年末年始の歳神様のお迎えのために「こういう理由があって用意するんだよ」とか理屈や美学を理解して孫に伝えているのかというとそうでもない。

私は何事も、ものごとの理屈や美学をめちゃくちゃ知りたいが、祖母に聞いたところで「さあ〜」と全く関心のなさそうな返事しかもらえないのだ。

「出来事にまつわる学びが0ってあるんだ!」という衝撃。私にそうみえただけであって祖母の中で0だったわけではないかもしれない。実際は学びがあったとしても、それが言語化していかない市井の人のささやかな暮らしといえるかもしれない。

良くも悪くも全てを言語化して、学び、成長して生きようとしている自分の罪深さを感じたし、世の中で耳にした、祖母のから代々連綿と受け継がれる生活の知恵や日本の文化!おばあちゃんの知恵!みたいなことをどこかで期待してしまっていたんだな、私と気づく。

こんな風に、生きる感覚の違う、自分では理解できないような気の合わない他者の感覚を持った人が家族の中にいたので、「え?」みたいなモヤモヤが日常で重なっていくのが地味にストレスだった。他人だったら合わないなあと、離れれば済む。でも目の前に毎日いるから、まだ自分に自信のなかった私は、どうしてもひっかかってしまう。

今の私だったら「人は人、私は私」、「こういうひとなんだね」とそのまま受け止めて何も思わないかもしれない。でも小さかった私は目の前の「違い」に対して波立ち、私の世界をより強く持って対抗するしかなかった。

日々の行動一つとっても、進路選択においても、「私はこうしたい」という自分を持つことが私にとっては何よりも大事なことなのだ、と知れた。

そうやって人生を選んできたから、自分で納得のいく、ささやかで小さなことも美学と理屈を持って大事にして生活する、今の私が出来上がった。

身近な存在で、大切にできる関係が作れたらそれはそれで素敵だけど、そうでもない経験できたので、家族という箱に変な期待感もないのが、いまの私の曇りない幸福を作っている理由の一つになっている。

祖母には感謝している。こうやって出来事を咀嚼して清々しく振り返れるぐらい私が大人になるまで長生きしてくれてありがとう。

危篤状態で祖母が救急搬送された病院は、海の埋立地だった。
千葉の海の目の前〜なんなら幼少期は船の上暮らし〜で育った祖母なので、故郷の海の上でマイペースにしばらく遊んでいたのかもしれないねと家族は話している。

人はいつか帰るべき場所に帰る。

ありがとう、さようなら、ごきげんよう。

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