『日本のスポーツビジネスが世界に通用しない本当の理由』の本気紙芝居
今日は朝から子どもたちと『破壊殺ドッチボール』をやりました。(鬼滅の刃の技名をさけびながらボールをぶつけ合う、新競技です)
のっけからスポーツビジネスに反旗を翻すようで恐縮ですが、私はスポーツをすることは好きですが「スポーツをみること」には、あまり興味がありません。ですが、昨晩の大坂なおみ選手の全豪オープン決勝は、ついつい見入ってしまいました。(なおみ選手、優勝おめでとうございます!)
本書は前職のコンサルティング会社の大先輩が、オリックス・バファローズ、横浜DeNAベイスターズ、ジャパン・プロフェッショナル・バスケットボールリーグ事務局長の経験に基づき記した「日本のスポーツビジネスが世界に通用するようになる」ための本です。表紙はバスケットボールですが、野球もラグビーもでてきます。
どんなことが書いてある本なのか?
目次抜粋に加えて、公式のnoteに『Chapter01 GOVERNANCE』の一部が公開されていたので、よかったらこちらもどうぞ。(そちらに全目次も掲載されてます)
スポーツビジネスの意思決定のややこしさ(1/6)
スポーツビジネスにおける最重要事項とは何か。
総論としての私の答えはいつも決まっている。「ガバナンス」だ。(p.23)
クラブチームも、リーグ(チームが集まった競技団体)も、何を大事にするべきなのか、どんな思い込みをすてて、どんなことに向き合うべきなのか。
ガバナンスというと『統制』という堅いイメージをもってしまいますが、ここでは『リーグを主語にしたリーダーシップ』と『アイデンティティ』を重視した考えかたを発信しています。
チーム同士の競争に目を向けるのではなく、リーグとして何を目指すか。そこにはBリーグの初代理事長であった川淵三郎さんの教えが生きています。
プロ選手のもう1つのプロとしてのキャリア(2/6)
Bリーグを含めたプロスポーツは、磨き上げた技術や戦術を披露することで特別な興奮を味わってもらい、明日への活力、夢、感動といったものを提供する。(p.66)
では、プロフェッショナルなリーグをつくるために大事なことはなんでしょうか。
重要なことの1つはチームの経営者が、経営者としてプロであること。さらには、プロ選手がプロとしての心構えをもちながら、セカンドキャリアとして経営に参画することだと、発信します。
スポーツに真摯に向き合ったプロとしての姿勢は、立ち振舞いとして生き方としてのプロでしょうし、中国にはプロ選手を引退後に経営を学び、クラブを率いるプロ経営者になったヤオミンさんのような方もいます。
場としてのあり方と、降格への恐怖(3/6)
スポーツビジネスの現場といえば、アリーナ。
福岡Paypayドームの敷地内には、BOSS E・ZO FUKUOKAがあります。
ふだん「球場で野球を見たい」と思わない人も、休みの日に商業施設で過ごしているときに「わーーっ!!!」という歓声がきこえたり、わいわい盛り上がりながら帰るサポーターの人々を目にすると「いっかいくらい見てもいいかも」となりそうです。
京都にも本格的なクライミング施設を備えたスタジアムがあることを知りました。亀岡という立地のためか、通勤でも目にすることがなかったのですが、いつか行ってみたいです。(京セラさんの球技場だからいかない、というわけではありません)
さらには、日本では常識的な1部、2部のリーグに対し、昇降格のないリーグ運営のあり方を提案しています。
降格をかけた試合は、サポーターもハラハラして盛り上がる一方で、クラブチームの経営側は気が気じゃありません。NFLもNBAもMLBも、昇降格のない閉鎖型のリーグとして既に運営しており、新規参入の扉はもちつつも、全チームが運命共同体として、リーグを盛り上げる体制になっています。
「スポーツのなにをみるのか?なにを楽しむのか?」のあり方も、アリーナという場のあり方と、リーグのあり方の進化に伴って、変わっていくのかもしれません。
スポーツはだれのためのものか?(4/6)
ラグビーの畠山健介選手がこのようなことを言っていた。「世界の人がつながり、1つになることができるコンテンツは、宗教、音楽、そしてスポーツだと思う」と。
日本にどんな球場があり、どんなプロ選手がいるのか、詳しくない私は、もちろん海外の動向にもめっぽう疎い。(恥ずかしい限り。。)
NBAとFIBA(NBAの上位組織)は、アフリカリーグ開幕の準備を進めていることを、初めて知りました。有望選手のスカウトはもちろん、これから人口が増え、可処分所得も増えてくるアフリカというマーケットに腰を据えて取り組む覚悟がみえます。
日本人は恥の文化の影響からか、謙虚こそ美徳とし、「出る杭は打たれる」の精神で、なるべく目立たないようにする傾向があるように思います。
しかし、それではまずい。アジアのリーダーとしての自覚を日本バスケットボール界はもつべきだと、著者は激励します。「海外にもライバルがいる」という視野をもてば、スポーツへの期待感はどんどん湧いてくるはず。(そのぶん、不安感も高まるからこそ、ガバナンスがだいじなんでしょう)
スポーツへの想いの波及(5/6)
スポーツを試合会場で観てもらうには、「誘う、誘われる」の人間関係を読みとっていかなければならない。(p.157)
「招待券でお得だから観る」「上司に誘われたから観る」「球場にはいけないけど、スマホで観る」といった、色んな流れがあるスポーツ観戦。
私は昨日「日本人選手の大坂なおみの全豪オープン決勝戦だし、おじいちゃんの家でみんなでカニをたべながら、たまにはテレビ見ながらもいいかも」とおもって、テニスを観戦しました。(ちなみに妻もソフトテニス部)
スポーツを楽しんでもらうには、競技の境界を越え、文化の境界を越えることがきっかけになるかもしれない。フィロソフィーという組織としての心の持ちようが一貫したものであれば、一見多様でばらばらにみえる活動も、流れを汲み取れるサポーターからは共感してもらえるのかもしれません。
そもそも、スポーツは人種や年齢の境界を越える力がある。カニをそれぞれつつく我が家の食卓を1つにしたのは、まちがいなくスポーツでした。
スポーツは楽しいだけじゃない(6/6)
仕事だから「夢の実現」ではない。自分のためではなく社会のために働くのであり、そこでは楽しさよりも厳しさを感じることが多い。(p.220)
スポーツ選手による、地域貢献活動は今に始まったことではないけれど、これまで以上に期待と影響力が高まっていることは間違いない。
地元のサポーターとの交流だけでなく、国内を越えてものごとをみるきっかけをつくる。「あのプロ選手の国の人は、どんな生活を送っているんだろう」と思いを馳せることから、「先進国で暮らすわれわれは、どう生きるべきか」を改めることにもつながっていく。
現代に生きるわたしたちのあり方を見つめ直す、スポーツを通じた世界規模での一体感のもつ可能性は、予想がつかないし、ワクワクさせられます。
ビジネスのプロとしての仕事観(プロローグ)
スポーツ歴は高校までで、それも野球無名校の補欠だった私には、スポーツ界での上下関係もしがらみもない。何よりも、コンサルティングファームでスキルセットをしたおかげで、「もしスポーツから離れても、何とか生きていける」と考えることができた。
「好き」と「仕事」を必要に応じて切り離すのは、とても、とても重要だ。そうでないと、自分の意見を主張できない。「間違っている」と思うものに対して戦えないのだ。(p.224)
さいごに、勇気づけられる仕事観についても紹介したい。
コンサルティング会社をやめてから5年間、私は京都にある製造業企業の新規事業部門で働いています。
「新規事業とは、これからどうあるべきか?」に向き合うことは、見方を変えると、これまで大事にされてきたことに対し「それは間違っている」と意見することが必要になることにもなります。『まだない未来の肯定』は、『積み重ねてきた過去の否定』になる。
そんなときに「嫌われたくない。みんなと同じでいたい」という気持ちが強すぎると、言いたいことも言えずに、「おっしゃるとおり」しか言えなくなってしまう。
「間違っている」と思うものに対して戦うための武器であり、不安や恐怖と向き合うための拠り所であり、プロフェッショナルとして信念を貫き通すための軸をもつことができたのは、間違いなくアーサーDリトルでの経験があったからなんだと思います。無力な私に経験の機会をくれた人たちへの、感謝と尊敬を、noteじゃなく、どこかで直接伝えたいと思います。
私のための本なんじゃないか、と思うほどに、何度も読み返すことになりそうな一冊です。よかったら、ぜひ直接よんでみてください。
このnoteでつかったパワーポイントを添付しておきます。ご参考まで。
「仕事観」も「人生観」も「スポーツ観」もゆさぶられました。まずは京セラドームにかぞくでいきたいとおもいます。
ここまで読んでくださり有難うございました!
コメントやメール等、お気軽にご連絡いただけたら嬉しいです。
ではでは。