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刹那と夏の体温


夏。
ということで学生時代のバイト先の後輩たちと、鎌倉ドライブに行ってきました。

今まで数えきれないくらい訪れた鎌倉。
車で行くのは初めてでした。

この夏の思い出と鎌倉の風景を切り取って、夏の1ページを綴ってみようと思います。


まずはしらす丼!
やっぱり何度食べてもしらす丼は美味しい。

しらすの親ってなんだろうね~という話になりました。
気になりません?(笑)
ウナギ・アユ・イワシなどの稚魚の総称だそうです。思ったよりアバウトですね(笑)


ソフトクリームを食べて、海までてくてく。

あっつい道。潮の香に松の木。



強い海風に立ち向かいながら、海に到着。

きゃっきゃ言いながらひんやりした海に足をつけてみる。

太陽に反射してキラキラする波と、ゆったりと波打つ夏の海。

いつも変わらずここにある海の存在を前に、ふと「大丈夫。大丈夫。」と、心の中で自分に唱えた。
その「大丈夫」は、今まで唱えてきた自分に言い聞かせるような「大丈夫」とは違って、もう何があっても私はきっと乗り越えられるんだという、「私は大丈夫なんだ」という穏やかな確信に近いものでもあった。


海に少し入って、砂浜を振り返ると後輩たちが砂にお絵描きをしていた。
(かわいい(笑))


鎌倉に帰ってきた。
春夏秋冬、数えきれないくらいの思い出がある場所。

夏。
四季が一周巡ってまたこの季節に戻ってきた。

なぜか毎年、一年の中で最も色濃く記憶に焼き付いているのは夏だ。どの季節よりも感情の振れ幅が大きい季節だと思う。

遊んで、勉強して、笑って、泣いて、全力で誰かを愛したこの季節。

夏は、四季のどの季節よりも短く感じる、「刹那」だ。

握りしめた手のひらが、夏の体温を伝えている。

どうせ一瞬で過ぎてく夏。それなら、楽しまなくちゃね。



この前同期が言っていた。

「私、“刹那”がすごく好きなの。こんなこと言うと変な子って思われるかもしれないんだけど、一瞬で消えちゃう儚いものがすごく美しくて好きなの。」

綺麗な感性だなと思った。

「私は、“刹那”が苦手かもしれない。向日葵が満開で咲いてるとね、もう終わりを想像しちゃうの。悲しくなっちゃう。」

カフェラテを混ぜながらそう答える私に、彼女は言った。

「でもね、向日葵は一瞬だけ咲くものだから綺麗だなって思うんだと思う。一年中咲いてたらもう当たり前になって、綺麗だなとか思わなくなっちゃうんじゃないかな。」

新たな視点だった。


多くの人が夏を愛でる。私もその一人だけど、
一瞬で過ぎてしまう刹那的な季節だからこそ、
どの季節よりも尊く、

限りある時間の中で
全力で楽しもうとするからこそ、
記憶に濃く色鮮やかに残るのではないか。

夏は一瞬だからこそ、美しくて残酷だ。



砂浜に引き返すと、後輩たちが

「あこさん~」とニコニコしながら迎えてくれて、ちょっと嬉しかった。

いつでも変わらず、温かく受け入れてくれる後輩たちを持てて幸せだ。


その後、鶴岡八幡宮でお参りをした。

石段を登って、お参りをしようとした直前、ビューっと、涼しくて気持ち良い風が吹き込んだ。

誰かとお参りに行くとき、隣にいる人の幸せも一緒に願ってしまう。(欲張り(笑))
私たちの未来に幸あれ!


夕暮れの国道沿い。

ピンクと紫の空に、暗くなっていく海。

出会ったときは未成年だったメンバーで、鎌倉ドライブは感慨深い。

忘れられない夏の思い出になった。



夜。海沿いを少しだけ運転させてもらった。

海を挟んで向こうに見える江の島が、キラキラしていて、イルミネーションみたいだった。

免許を取って運転できるようになったのは、やっぱり嬉しい。少しずつ運転できる距離が増えるたびに、自信がついていく。

自分の意志でどこでも行ける手段がほしくて、免許を取った。

いつでもどこにでも行けるんだという安心は、私を強くしてくれる。


進めない日も、引きずられる思い出も、たくさん抱えながら進んだ1年間。

学生から社会人という大きな変化を迎えたこの1年。

季節が一回りした時、どこまでも歩いて行けるくらいの自信と強さを兼ね備えて、今年の夏を迎えた。


大丈夫だよ。と、心の中で唱えながらハンドルをぎゅっと握った。

隣でおしゃべりをしている愛おしい子たちを乗せて、夏の1ページが終わろうとしている。


◇◇◇

ちなみに運転はほとんど後輩にしてもらいました(笑)

楽しかったです!!


読んでくださりありがとうございます☺️

おまけ: 可愛いカフェもありました☕️


あこ









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