見出し画像

雪国へ、透明なアートに会いに行く【十和田市現代美術館】


一月の頭に青森県の十和田市現代美術館に行きました。

載せたいと思いつつ、バタバタしていて気づけばもう2ヶ月以上も(!)経ってしまいましたが、ようやく記事が書き上がりました。

素敵な作品たちをお裾分けします🍎

作品の説明文は、美術館のパンフレットより引用しています。


◇◇◇

1,フラワー・ホース

フラワー・ホース
チェ・ジョンファ
1961年韓国生まれ

戦前、旧陸軍軍馬補充部があった官庁街通りは、「駒街道」という愛称で市民に親しまれています。通りに面した広場には、色とりどりの花で覆われた1頭の馬が、今まさに走り出さんと力強く立ち上がっています。美術館を訪れた人々を迎えるウェルカムブーケでもある<フラワー・ホース)は、馬とともにあった十和田の歴史や平和への祈り、未来への希望をも象徴しているかのようです

有名な入り口の作品。
白い雪に華やかな花畑が広がるように、美しかった。


2,スタンディング・ウーマン

スタンディング・ウーマン
ロン・ミュエク
1958年オーストラリア生まれ

皮膚のしわやたるみ、透き通って見える血管、髪の毛の1本1本まで再現した克明なディテール。対照的に、高さ約4mという非現実的なスケールがその存在の異様さを際立たせます。ミュエクは、老いや孤独といった人間の普遍的なもろさが垣間見える瞬間を捉えた彫刻で知られています。角度によって厳しそうにも優しそうにも見える表情や虚空を見つめる静かなたたずまいが、見る人の共感や想像を促します。 

確かに、本作品は見る角度により女性の表情が変わります。

穏やかな表情?
こっちから見ると少し怖い

誰しもが一度はきっと味わう“老いや孤独”を耐え忍ぶ厳しい表情、やがて穏やかに受け入れる覚悟を持つ。それは諦めなのか達観なのかは、静かな表情から読み取れない。


3,水の記憶

水の記憶
塩田千春
1972年大阪府生まれ

十和田湖にあった一般の古びた木船。
それをつなぎ止めるかのように無数の赤い糸が、まわりに張り巡らされています。船は、未知の場所へ導くと同時に、水上を渡るという点で死と隣り合わせの存在であると塩田は言います。船、そして1本1本を捉えることができないほど何層にも編まれた糸からは、場所やものに宿る記憶や人の縁、死といった、私たちの「生」に連なる目には見えない不確かな存在を想起させられます

ある“もの”や“場所”には、そこに留まったことのある人々の無数の想いや願いが宿っている。それは決して目には見えないけれども、確かにそこに存在した人・生命・時代があり、それらは今この瞬間にその“もの”や“場所”に触れた私たちの人生と交差するのだと思わせられる。


4,オン・クラウズ(エアーポートーシティ)

オン・クラウズ(エアーポートーシティ)
トマス・サラセーノ
1973年アルゼンチン生まれ

透明なバルーンの集合体が、網目状に張り巡らされた紐で空中につなぎ止められています。人が中に入ることを想定してつくられた本作は、国境や領土という概念から解放され、雲のように形を変えながら空に浮かぶという、サラセーノが構想する新たな都市のあり方を提示しています。同時に、互いにしっかりと結びつくバルーンの姿は、地球環境の多様性と相互作用性、そして自然界の生態系の様相を示唆しているようでもあります。

国境や領土という概念から解放されれば、戦争はなくなるのでしょうか。
だとすれば、なんて希望のある都市の在り方だろうと心が軽くなった。
でもやっぱり人間は弱いから、それでも争いは、悲しいかな、無くならないのかもしれないね。


5,光の橋

光の橋
アナ・ラウラ・アラエズ
1964年スペイン生まれ

無機質な素材でつくられた幾何学的な形状の彫刻。中に入ると、その力強い見た目とは対照的に、柔らかな青いネオンの光と浮遊感漂う音色が空間を満たしています。女性作家であるアラエズは、男性中心につくり上げられた伝統的な彫刻表現や、強さ、硬さなどの、いわゆる男らしいとされるイメージのあり方に疑問を投げかけてきました。強靭さとはかなさをあわせもつアラエズの作品は、いつ傷つき壊れるとも知れない弱さやもろさを含みもつ、私たちの本質的な姿を映し出すようです。

柔らかなプリズムのような光。

形状は硬く角張っているのに、色は柔らかく淡い。中をくぐり抜けると光に包み込まれ優しい気持ちになる。


6,コーズ・アンド・エフェクト

コーズ・アンド・エフェクト
ソ・ドホ
1962年韓国生まれ

赤、オレンジ、半透明のグラデーションで配色された無数の人形が、かたぐるまで連なり、シャンデリアのように天井から吊られています。同じポーズでつながる人形の連続性は、世代から世代へと知識や記憶が連綿と受け継がれていることを表現しています。作品タイトルは「因果関係」を意味し、私たちの生が、他者の生との絶え間ない連鎖の中にあり、過去や未来とも呼応していることを想起させます。


近づくと無数の人々の連なりが見える。

私たちは今この瞬間を生きているけれど、それはスクリーンショットのように切り取られたものでなく、過去の人類や前の世代が紡いだものを私たちは享受していて、そして今の時代の私たちの在り方が未来の人類と、次の世代に繋がっていく。

当たり前だけれども、生きることに必死でつい忘れてしまう、大切なことをこの作品は思い出させてくれる。


7,PixCell-Deer#52

PixCell-Deer#52
名和晃平
1975年 大阪府生まれ
所蔵:個人

「PixCell」とは、Pixel (画素)とCell(細胞、粒、器)を表す、名和による造語です。大小の透明な球体で隙間なく覆われ、直接触れることのできない鹿の剥製の表面は、拡大され歪曲した画像として一粒一粒に閉じ込められ、見ているうちに動く映像のようにも感じられます。物質が画像や映像=情報の集合体へと変換されたこの作品は、まるで常にスマートフォンやパソコンなどを通してものを見ている私たちの状況を表しているかのようでもあります。

この作品はとても残酷でアイロニーに満ちていると思った。

なぜなら、一目見て、私はこの作品の美しさに強く惹かれてしまったから。
この美術館で一番美しく魅力的な作品だと思った。どの方面から見ても美しくキラキラ光る鹿から目を離すことができなかった。

そして、解説を見た。
私が見た美しさは、本物の美しさではないのだと思った。

スマホとSNSが普及したこの時代、美しくて魅力的な画像や映像がすぐに届く場所にあって、画面を見て私たちは「きれい〜!」と声を上げる。
でも私たちの目に届く情報はデジタルによって加工されたもので、本物が直接に生に放つ情報とはギャップがある。そしてそのギャップは無いもののように、見過ごされてしまう。

今はとても便利な世の中で、私たちは今この瞬間スマホ一つで世界のどこにでも飛ぶことができる。
でも、デジタル媒体を通して世界の美しさを捉えることで満足してしまうこと、時にその美しさを本物だと思わせてしまうような、恐ろしい力がデジタル世界には潜んでいる。

でもそれにすら気づくきっかけってなかなか無い。いや、忘れさせられているのかも。
だから、私はこの作品は人類への皮肉だと思った。


8,おまけ

時間がギリギリだったけれども、どうしても見たくて駆け抜けた、草間彌生さんの作品。

雪を被ったかぼちゃ、作品がとても愛らしい。


◇◇◇

透明で儚いアートたち。でも意味と想いが強く込められている。

十和田市美術館の作品たちは、人間の生と繋がりに問いかけてくるものだと思いました。

でも、作品を見るだけでは気付くことができず、解説を読んで初めて作品に込められた真意に気づく。目の前にある不可解な作品の意味や、作者の想いが見える瞬間が本当に面白い。
だから、私、現代美術がとても好きなんです。


5年前の冬に、パリのポンピドゥーセンターに行きました。とても大きい近現代美術館です。

すごく面白かった。アートとは何かを考えさせられる、そんな作品に出会ったことが衝撃的だった。

帰国してから数年間の間、何度かポンピドゥーセンターを思い出して、また必ず行ってみたいと強く思う。月日を重ねた今だからこそ、あの時と作品も異なって見えるのだろうなと好奇心がくすぐられる。

5年前のポンピドゥーセンター


◇◇◇


最後は心がパリにまで飛んでいってしまいましたが(笑)、以上が十和田市現代美術の紹介でした。

美術館のカフェで食べたアップルパイが美味しすぎて感動しました。

ジェラートは冷たくてミルクの濃厚な味がして、りんごは素材の味がしました。忘れられない美味しさ、また青森県のアップルパイが食べたい🍎


長くなりましたが、最後まで読んでくださりありがとうございます☺️



あこ

この記事が参加している募集

オンライン展覧会

旅のフォトアルバム

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?