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#54 三日坊主でいい

三日坊主でいい。
なんなら1日で終わってしまってもいい。やらないよりマシだろう。
その三日間で、一つでも知識が増えているのではないか。
楽しいことや困難なことなど、何かしら体感できたのではないか。
良かったではないか。それの何が不満なのか。その上、空っぽだったはずの時間も満たされた。
それ以上は求めない。卑しいほどの欲張りはしない。寧ろ、感謝して立ち去るぐらいがいい。
考え過ぎずに、次へ行く。
考えることに特化しない。

三日坊主は中途半端である。それは疑いようもない。
それに罪悪感とか嫌悪感というものを人は感じるようだ。
なるほど中途半端の副作用は確かにある。
例えば、物事をちょっと経験すると、訳知り顔になって、批判的になる者などがそれだ。
否、批判的というよりも一言居士といったほうがいい。
殊に電脳空間に散らばる意見にはそういう例がよくある。誇大な期待と希望の成れの果て。
だが、そうした副作用を差し引いても、やはり何かをやったほうがいい。
その副作用の存在を認知できていれば、恐らく問題はない。
手を動かす。足を動かす。体を動かす。思考する。慣性の力を止めない。
生きる意味など、きっとない。それで、それがどうしたというのだ。
意味はいらないし、そんなに欲しければ後付けでも遅くない。
ちょうどいいものがきっと見つかる。
幼少期に拾い集めた石ころや雑草のように。それは意図せず見つかるものだ。
力で以て、でっち上げたっていい。しかし、それには技術が要る。経験なき技術など、そんなものがどこにあるのか。
だから、今は動いていればいい。
意味がなければ始まらない、などという強迫的な理はもういらない。
この世の運動に逆らわない。あの世の救済に依存しない。
意味の遥か昔から、とうに世界は動いている。

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