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【PL】12球団ベストユニフォーム(パ・リーグ篇)
週刊ベースボールにて、僕が尊敬してやまない綱島理友先生が「12球団ベストユニフォーム」というコラムを書いていたので、勝手ながら僕もそれに便乗させていただくこととしよう。いつもセ・リーグからばかりなので、今回はパ・リーグから。
オリックス
まずはパ・リーグの最古参のオリックスから。合併こそあったものの、戦前の昭和11年からある歴史の深い球団である。今回、吸収された近鉄は「番外編」の項を用意し、そこで紹介させていただく。
オリックスのベストユニフォームには、ブルーウェーブ時代の平成3年から12年までのものを。「がんばろうKOBE」や、イチローのユニフォームとして有名なものである。ロイヤルブルーに黄色という派手な色使いながらも、シンプルにまとめられた傑作である。次点で令和元年から使用されている現行版のユニフォーム、「阪急ブレーブス」としての最後のユニフォームが挙げられる。
#オリックスブルーウェーブ
— 野球野郎ぜ (@ya9_yarouZ) March 25, 2022
平成6年 #イチロー は本名の鈴木一朗から #登録名 を当時のプロ野球史上邦人選手初のカタカナに変更した年にブレイクし押しも押されもせぬ球界を代表する選手に登り詰めた。同年就任の仰木彬監督に才能を見出されるとプロ野球史上初のシーズン200本安打を達成した。 pic.twitter.com/q5WHLJ0BUQ
ソフトバンク
続いてはパの古豪・ソフトバンクだ。大阪から福岡へ移転する過程で、親会社も南海、ダイエー、そしてソフトバンクと変わって行った球団だ。物心が着いた頃は既に現行版ユニフォームだったが、失礼だが僕はそれをあまりかっこいいとは思わないので今回は南海の最終版である昭和59年から63年までの5季に渡って使用されたものを。
この深緑の感じが素晴らしいのだ。現在ヤクルトが「燕パワーユニフォーム」として売り出している若草色とは違う、渋い緑は現代でもかっこいいと言われるであろう。お家騒動後のボロボロのチーム状況だったにもかかわらず、何度も復刻されていることがこのユニフォームが優れていることを証明しているのだ。次点ではダイエーホークスの最終版であるFDHと左胸に刺繍されたユニフォームか。
#南海ホークス
— 野球野郎ぜ (@ya9_yarouZ) January 24, 2023
「不惑の大砲」#門田博光 。昭和45年ドラフト2位で南海に入団、大ケガを乗り越え昭和63年打率.311、44本塁打、125打点を記録。40歳で二冠王を獲得し「中年の星」「不惑の大砲」と世の中のおっさん達に希望を与えた。おっさんになった今改めて偉大さを実感する。#不惑の大砲は永遠だ。 pic.twitter.com/lxRMwrzIoc
日ハム
ようやく東日本の球団が出てきた。こちらは東急、東映、ニッタクホームと球団名が目まぐるしく変わっているが、今回は東京から北海道へ本拠地を移したの平成16年から22年まで使用された初代アシンメトリーのものを。
このユニフォーム、当時小学校の低学年だった僕は純粋に目を奪われたデザインであった。野球を見始めてからたったの数年で変更されてしまったのが今でも惜しい限りである。左右で袖の形が違い、立体的な胸マーク。全てがセ・リーグのユニフォームには無い、近未来的なものを感じたものだ。次点では現行版のスカイブルーのユニフォームが挙げられる。
#北海道日本ハムファイターズ
— 野球野郎ぜ (@ya9_yarouZ) November 29, 2023
平成19年は絶対的エースに成長した入団3年目のダルビッシュ有が15勝をあげ球団初の2年連続リーグ制覇に貢献、オフのドラフトでは中田翔の交渉権を獲得した。同年限りでヒルマン監督が退団、後任には元大阪近鉄で指揮をとった梨田昌孝が就任した、初年度3位。 pic.twitter.com/3174ArmuzA
ロッテ
ようやく折り返し。ロッテは僅かながらに、戦後まもなくして作られた金星スターズの血を引いているので、ここに来るというわけだ。実は、「千葉ロッテマリーンズ」という屋号は、パ・リーグで最も歴史の深いものである。こちらは平成7年からマイナーチェンジが繰り返されているが、その初代が原点にして頂点であると感じる。
このユニフォーム、あのバレンタイン監督がピンクのユニフォームをお気に召さず、シカゴ・ホワイトソックス風に作り替えたというのは有名な話である。ビジター・ユニフォームは何度も作り替えられているが、こちらの初代のものが実にシンプルで良い。「Marines」と筆記体で刺繍されたロゴマークは、灰色に黒という地味なユニフォームにボリュームを持たせているように感じる。
#千葉ロッテマリーンズ
— 野球野郎ぜ (@ya9_yarouZ) January 22, 2021
平成6年 千葉移転3年目のオフにGMに広岡達朗を招聘。併せてMLB TEXレンジャース元監督のバレンタインの監督就任を発表。バレンタイン監督がまず着手したのがピンクのユニの変更「戦う者の着る色ではない」とMLB Wソックスをイメージさせた縦縞に変更になったユニは今日まで続く pic.twitter.com/yX7nSLE40A
西武
福岡の古豪が紆余曲折を経て所沢で百獣の王となった。「西武のユニフォーム」として、僕がいちばん好きなのは平成21年から26年まで使われた、デトロイト・タイガース風のユニフォームではあるものの、今回は「九州のライオンズ」としての最終版となってしまったクラウンライター・ライオンズのユニフォームを紹介しよう。
親会社を持たず、ネーミングライツという苦境の中に誕生したのが赤と白のユニフォームだ。帽子のフロント部分は白という色使いが素晴らしい。ロサンゼルス・エンゼルスのシティコネクトに似ていると感じるのは僕だけでは無いはずだ。袖に刺繍されているライオンのマークも、阪神の猛虎マークのようで趣きのある良いものである。
#クラウンライターライオンズ
— 野球野郎ぜ (@ya9_yarouZ) June 4, 2020
福岡野球株式会社5年目、昭和52年にそれまでのスポンサー太平洋クラブから2代目スポンサーにバトンタッチされた。前代未聞のピンクの胸番号のユニと比べたら真っ当なデザインのユニであった。昭和53年オフに西武に身売り。福岡ライオンズの幕引きであった。 pic.twitter.com/mXAgIocLoS
楽天
球界再編を経て、寄せ集め集団として産まれたのが楽天である。東北の地で愛され、今やパ・リーグでも屈指のタレント集団となったことは感慨深い限りである。
個人的に推したいのが平成30年から2年間にわたり使用されたユニフォーム。短命ではあったものの、初の大幅なモデルチェンジは衝撃的であり、一気に流行に乗ったスッキリとしたデザインになったなと感じたものだ。このユニフォームの次作では、クリムゾンレッドが深みのある色に変更されてしまうため、初代のクリムゾンレッドと金色の組み合わせはこのユニフォームだけ。非常にバランスが取れていると感じたのだが、監督人事と同じく直ぐにデザインを変えられてしまったのが惜しい限りだ。
#東北楽天ゴールデンイーグルス
— 野球野郎ぜ (@ya9_yarouZ) January 9, 2023
平成30年シーズン途中から梨田昌孝に代わり代行監督として指揮をとった平石洋介は翌年より正式に監督に就任。平成16年ドラフト7巡目で楽天に入団した平石は生え抜きの選手として初の監督である。現役時代は目立った活躍はないものの選手に寄り添う指導には定評があった pic.twitter.com/CAoCzpGQ6q
最後に
次回はセ・リーグ篇を。乞うご期待である。
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