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TOKYO三国志 ~埼玉・千葉・神奈川の野望と現実~

CCCマーケティングのプランニングチームです。前回のご挨拶に続き、今回はデータを活用して、街やエリアに新しい視点を持ってみようという試み。もしも、埼玉・千葉・神奈川の近接する三県で東京を分け合うとしたら…という恐れ知らずの企画「TOKYO三国志」をお送りします。
※この記事内で使用するデータは2019年1月~12月のものです。

■三国志を現代日本に置き換えると → 「埼玉=魏」「千葉=呉」「神奈川=蜀」

三国志と言えば、横山光輝・北方謙三・吉川英治といった巨匠による超大作ばかりでなく、映画やゲームにも度々取り上げられる世代を超えた人気コンテンツ。壮大な歴史物語という側面だけでなく、英傑たちの生き様は人生の指南書としても支持されています。同じく中国を舞台にする人気コミック『キングダム』をビジネス書として捉え直す広告が話題となったりしましたが、その元祖と言っても過言ではないでしょう。

この三国(魏・呉・蜀)の絶妙な対立構造を地理的条件なども踏まえて現代日本に置き換えると… 埼玉・千葉・神奈川の関係になると言っても異論はないでしょう。(ないという前提で進めます)
さらに各県を三国になぞらえるとすると、以下のようになります。(異論はありそうです)
●日本一の川幅をもつ荒川流域を支配する埼玉は、黄河流域を制した「魏」
●アクアラインという主要水路を築いた千葉は、最強の水軍としてその名を轟かせた「呉」
●あの関羽将軍が今現在も鎮座する元町中華街を領内にもつ神奈川は「蜀」

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■領土獲得の条件は「たくさん行った者勝ち」

三国志の数ある醍醐味の一つ、領土を巡って繰り広げられる戦いの桁違いのスケール感。ですが、この「TOKYO三国志」での領土獲得の条件は至ってシンプル。都内の市区町村ごとに埼玉・千葉・神奈川からの来訪(流入)者数を出し、一番割合が高い県がそのエリアを獲得するという設定で新しい三国志MAPを作成してみました。基としたのは私たちの保有する移動データ。CCCマーケティングではT会員登録の際の居住地情報を拠点に、そこからポイント変動があった地点を移動履歴として捕捉し、行動分析やエリア施策を行っています。三県が「武」ではなく「歩」の力で平和的に分け合うことが今回のポイントです。それぞれの県に近いエリアへ流入が多いことは予想できますが、ではその境界となる場所はどこか、なぜそうなるのかという考察と共にご紹介していきたいと思います。

■大公開!これが「TOKYO三国志」MAP

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第一印象、いかがでしょうか?
ちなみに各県のイメージカラーは、埼玉=埼京線の緑、千葉=総武線の黄、神奈川=京浜東北線の水色に由来しています。個人的には埼玉勢力の大きさに驚きました。さすが、三国随一の国力を誇った魏を称するだけのことはありますね。

23区のうち、埼玉が10区(足立区・荒川区・北区・板橋区・文京区・豊島区・新宿区・中野区・練馬区・杉並区)、千葉が7区(千代田区・中央区・台東区・江東区・墨田区・葛飾区・江戸川区)、神奈川が6区(港区・品川区・大田区・渋谷区・目黒区・世田谷区)を接収。
多摩地域の26市では、埼玉が17市(西東京市・武蔵野市・三鷹市・清瀬市・東久留米市・東村山市・小平市・小金井市・国分寺市・立川市・東大和市・武蔵村山市・昭島市・福生市・羽村市・あきる野市・青梅市)、神奈川が9市(調布市・狛江市・府中市・稲城市・国立市・日野市・多摩市・町田市・八王子市)を占めています。

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その中でも、運命の分かれ目になった都心エリアに着目してみましょう。
メトロポリス池袋を擁する豊島区日本の頭脳・東京大学のある文京区、そしてなんと首都機能を司る新宿区まで押さえた埼玉がやはり三国統一に最も近いか… と思いきや、そう一筋縄にはいかないのが三国志たる所以。
獲得エリア数では一番劣勢の千葉ですが、霞が関や官公庁が居並ぶ、政治と行政の中枢である千代田区と中央区を攻略。諸葛亮に先んじて「天下三分の計」を立案したとされる魯粛をはじめ、文官の宝庫とされた呉の魂をちゃんと受け継いでいます。

そして神奈川は、有力企業が勢揃いした経済の中心地・港区TOKYOカルチャーの象徴・渋谷区をしっかりとモノにしています。渋谷に関しては、やはり関羽将軍のいる中華街直通の兵站線(東横線)を構築していることが大きいでしょう。東横線の赤いラインが赤兎馬に見えてくるようです。勢力図にも各県の特色が反映されたような、非常に興味深い結果となりました。

■歴史が動いた戦いの地 → 「赤壁=曳舟」「五丈原=立川」

次に、歴史の分岐点となった代表的なあの戦いは「TOKYO三国志」MAPではどの辺に当たるのかを検討してみます。三国志の中で最も有名な高い戦いと言えば、『レッドクリフ』という映画にもなった「赤壁の戦い」ではないでしょうか。南下を進める埼玉(魏)を、千葉(呉)・神奈川(蜀)連合軍が迎え撃った現代の赤壁…それは墨田区・曳舟です。戦場は、長江ならぬ墨田川。燃え上がる船の炎によって赤く染まるのは、川壁ではなく東京スカイツリー。千葉・神奈川軍の巧妙な奇襲作戦によって埼玉は大敗し、その結果天下三分の状態が成立することになりました。

三国分立の始まりが「赤壁の戦い」とすると、フィナーレは「五丈原の戦い」。蜀の天才軍師・諸葛亮と、宿命の好敵手・魏の司馬懿が最後の対決を繰り広げた五丈原の台地には、武蔵野台地の上に位置する立川市が相応しいでしょう。神奈川は南方の奥多摩(雲南地方)にも出兵して背後を固めます(実際に奥多摩は神奈川が押さえています!)が、志半ばにして諸葛亮が立川(五丈原)で陣没。後に埼玉に滅ぼされるターニングポイントとなってしまうのです。

■忘れちゃいけない都民の気持ちは?

一方、ここまでまったく無視してしまっていた東京都民の気持ちに目を向けてみたいと思います。こちらは各県からの流入とは逆の、東京都居住者の三県への流出割合のデータをチェック。都内の各エリアに住んでいる人が最もよく行く県で色分けしたものが下のMAPになります。

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ここで注目したいのが、流入と流出で逆転した(つまり県民と都民の気持ちにギャップが出てしまった)エリアです。埼玉が占拠したにも関わらず住民が神奈川へ遁走してしまったのが、新宿区・杉並区・三鷹市・小金井市。せっかく都庁を押さえても新宿区民に逃げられてしまうとは大きな痛手。しかし埼玉はその代わりに、千葉から台東区民を、神奈川から奥多摩町民を呼び寄せることができました。
とはいえ、都民人気では完全に神奈川に軍配が上がってしまったと言えるでしょう。やはり、三国志でも特に人気が高い蜀のイメージとバッチリ重なります。「埼玉=魏・千葉=呉・神奈川=蜀」説に異論があった人も、ちょっとは認めてもらえたでしょうか。

■終わりにーーデータと企画の関係

データをベースにかなり飛躍したストーリーを書き連ねてきましたが、私たちはデータを企画のための極上の素材と捉えています。料理で例えると、食べたいメニュー(ゴール)を妄想し、最適な材料(データ)を下ごしらえして、調理(企画)を施していく。単に材料を並べるだけでなく、その調理の仕方や工夫に私たちは熱(体温)を込めています。
今回は「データ×エリア」という視点でお届けしましたが、次回以降は「購買」や「人」に焦点を当てたものや、「エリア」についてもさらに深掘りした企画を準備しています。
ちなみに記事では「平日」「日中」「全性年代」の条件でデータを見ていますが、より詳しく知りたい方は下記のリンク先をご覧ください。平日・休日、時間帯別、性年代別のその他の条件でもお試しいただけます。

もっと詳しく「TOKYO三国志」(Tableauで見る)>>

そして… 三国志の作品が気になった人や思いが再燃した人は、ぜひお近くの蔦屋書店・TSUTAYAまで!