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父を愛した人はツイッターを本名でやっちゃうようなやつだった

ちょっと前にも父について書いたのに、最近また父について考えている。大嫌いで興味がなかったはずの父のことを、やはり私も人並みに思っていたということなんだろうか。

父について「もやついていたこと」が、ひょんなことで楽になったので、いまの気持ちを書き残しておきたいと思う。旅でなくても、恥は書き捨てたい。

だらしない父

数年前に死んだ父は、女性関係がだらしない人だった。それは葬式のとき母の前に付き合っていたらしい元カノが通夜にも葬儀にも参加していたことからも明らかだった。元カノだったとして、葬式に行くものなのかな。私は元カレと友達になれるタイプじゃないのでその感覚は理解できない。

晩年(というには長すぎる期間だったかもしれないが)父は、母以外の女性と関係を持っていたようだった。私も姉も、もちろん母も、それに気づいていて、父が帰ってこない日は「今日パパは別宅の日」と明るく話した。軌道に乗っていないはずの父の仕事で泊りがけの案件があるはずもなく、家族全員が彼の嘘に気づいていたのだが、父だけはそれがバレていることを知らなかった。私たちはそれがおかしくって笑っていた。

母だって表にこそ出さなかったが、きっと父が別宅を持ったことを悲しく悔しく思っていたに違いない。が、父には「別宅の件」よりも困った面が他にもたくさんあったので、せめて父が不在のときくらいは笑おうと思っているように見えた。

父を愛せる人ってどんな人?

私はとにかく疑問だった。父のことが苦手で、母と父が仲良くしているのさえほとんど見たことがない私にとっては、父が誰か女に愛されていることが不思議だった。

ひどいかんしゃく持ちで、酒癖が悪く、金はないのに加齢臭もある。べつに顔も良くない。太っているし持病がある。360°どこから見たってただのオジさんだった。客観的に見ても私なら選ばないし、ましてやそれが人のもので、人の親であれば、リスクを犯してまで手に入れたいような代物ではないと思った。

パパ活やら売春やらという言葉を理解できるようになってから、もしかして母がひもじい思いをしているのは、その別宅の女との関係のせいだろうかと思ったりもしたが、父の通帳は母が握っていたのでそれはなさそうだった。

でもそんな父は、女から選ばれていた。
いったいどんな女だったら父を選ぶのだろう。

私のそんな疑問は、父の葬儀でふんわりと解決した。
その女は私たちが気づいていないと思っているらしく、通夜も葬儀もしっかりやってきた。両日やってきた女は母曰く元カノらしい人と、父より少し年下か同じくらいの気の強そうな女だけだった。

「ああ、この人かな」
その人を見た時、ふんわりとそう思った。

とはいえ、そんなことを考えている心の余裕はなかった。父が死んで、家族とちょっとの人だけ呼ぶつもりで借りた会場がパンパンになるくらい、思ったよりたくさんの人がやってきて父を偲び、泣いていた。
そんな様子を見ていたら、常々「なぜあんな人が」と思っていたのに、私も父を愛しいと思って涙が止まらなかった。
葬式というのはその人生を、終わりよければ…とまとめあげて麻ひもで封をするのだなと思う。

父とタバコ

時は戻って通夜の終わり、明日の葬儀に備えて打ち合わせを終え、家に帰る前に家族で父の顔を見ていた。

「きれいな顔でよかったね」
「苦しそうじゃなくてよかったね」
「みんなに来てもらえてよかったね」

みんなポツポツと父に話しかけて、また明日来るね、と帰ろうとしたときだった。

通夜に来ていた女が、父が吸っていた(晩年は私たちには吸っていることを隠していた)タバコを持ってやってきた。これがその女だった。

彼女はあのう、と言って、
「これ好きだったやつだと思うので、棺桶に一緒に入れてください」
と母にタバコを手渡した。

女が帰ったあと、母はタバコを見て一言、「こんなこと普通するのかね」と言った。

そのときはまだその女だという確証がなかったので、そのタバコをありがたく受け取って棺桶に入れてやった。
けど、今思うとあれはどう見ても宣戦布告で、母に対する「あたしは好きなタバコを知ってる」というアピールだったように思えてならない。

なんて気の強い女。
そして母もたぶんそれを分かっていた。母も割と強い女だ。

翌日の葬儀にもやってきた彼女は、「昨日は」と声をかけた母ににこやかに会釈をした。
もしかしたら、家にいながら父を助けられなかった母を、私達を、人殺しと思っていたのかもしれない。知らんけど。

葬儀は滞りなくおこなわれた。通夜ほど涙は出なかったが、それまで毅然としていた母が、喪主として最後に感謝の意を参列者に述べたときにぽろぽろ泣いたので、私もなんだか辛くなって泣いた。
声を上げそうになったのがみっともなく思えて堪えていたら余計しゃくりあげてしまって、肩を揺らしていたらポンと手が添えられた。

あのタバコの女の手だった。

私は正直「は?」と見知らぬ女の手にとんでもない嫌悪感を持った。振り返ることもしなかったけど、横目で確認したその髪は見慣れない色をしていて、クルクルと細やかなパーマがかかっていて、誰であれ知らん人であることは明らかだった。

私にとって父のために涙を流すことは、そこらへんの娘が泣くのとは訳が違うと思っていたし(きっとそんなことはないんだけど)、それは母を思った涙でもあって、誰にも触れてほしくないものだった。

というかお前、誰?

女は私の背中を擦りながら「大丈夫よ、大丈夫」と言った。
父の女だとかそういうのはまだ分かってなかったけど、その女が「大丈夫」と言って私を慰めることに酔っていることが手から声から伝わってくるようで、私は泣くのをやめた。すぐにその手を払いたかったけど、割ときちんと育てられた私にそんなことはできず、ただその手から伝わる温もりのようなものが気持ち悪くて、内臓がぐるりとかき回されているような吐き気に襲われていた。

野球チケット

父は趣味が多い人だった。ゴルフ、スケボー、バンド、野球、お酒、アニメ、漫画、読書、映画……。政治のこともよく、右だとか左だとかブツブツ文句を言っていた。

晩年凝っていたのはバンド活動と、野球観戦だった。ほとんど会話がなかった私達にも、バンドの練習がある日には「練習行ってくる」とひとこと言ってから出かけた。今思えば後ろめたくない用事がバンドだけだったのかな、とも思う。

野球観戦は昔から好きだったのは知っていたし、好きなチームが勝つと嬉しそうにしていたから分かっていたけど、実際に見に行っていることは知らなかった。
なぜ知らなかったのか?

父が死んで、葬儀が終わってから私達は片付けに追われた。父が会社をやっていたこともあって、その処理は大変だったようだ。当時私は大学生でバイトもしていたが、母はいろんなトラブルで仕事を辞めたし、姉もストレスでバイトを辞めたからほとんど片付けは二人がやっていた。

香典返しのため、参列者のリストを整理していた姉が、「この女の人、タバコの人かな」と言いはじめた。

両日参列していた女の人で、母の知らない名前はその人だけだったので、それは明らかだった。そのとき姉がハッとしたようにロックの開かない父の携帯を取ってきて、通知画面を見て大声をあげた。

「やっぱり! この人別宅の人だよ!」

父が死んで、バタバタとしていたときにも父の携帯にはいくつか連絡がきていた。そのなかには、「連絡がなくて、心配です」と女性名義のメールもあって、その差出人とタバコの女が同一人物であることが分かった。

私達は「不倫相手の葬式に両日参加するって正気?」「タバコなんか渡すかフツー?」と女子らしく盛り上がった。

やがて父の財布を広げて、その女名義の野球のチケットや野外フェスにいったチケット、映画のチケットなんかがボロボロボロボロ出てきて、私達は堪えきれず笑い出した。
父は本当に本当に子どもだった。

父のツイッター

父はIT系の仕事をしていたのに、いや、していたからなのか、ネットリテラシーというものがないように思えた。父のTwitterは漢字フルネームで鍵のない状態で開放されており、私も普通に見ることができた。しかもIDには住んでいる地域(結構狭い)が平気で書いてあった。もしかしていかれてた?

私はネットストーカーな気質があるので、父が生きている間にそれを見つけ、もちろん絶対に必ずフォローこそしないが、時々検索して見ていた。

ツイートは本当に本当にくだらないことばかりで、「野球の勝ち負け」「読んだ本」「最近の若い奴らは」「右とか左の話」だけで、私のことはもちろん、家族の話は一切なかった。してほしいとも思わなかったけど(だってIDに住んでいる地域が平気で書いてあったし)。

死んでからはもちろん一切の更新はなく、私も存在すら忘れて過ごしていたのだが、一年ほど経ってふとタバコの女のことを思い出し、父のフォロワー一覧を見たら、なんと一番上にその名前があった。彼女もまた本名を公開しており、住んでいる地域も平気で話していた。類は不倫も呼ぶのだな。

鍵もかかっていないそのアカウントをタップしてみると、それもまあ父と並ぶほどくだらないもので、「野球の勝ち負け」「仕事の話」「右とか左の話」と並んでいて、次に多かったのは「父の話」だった。父というのは彼女の父ではなく、私の父のことで、彼女からしてみれば「彼氏の話」だった。

タバコの女のツイッター

特に、父が死んでからは「彼氏の話」に拍車がかかっていた。私は父が死ぬちょっと前まで遡って、順を追ってみてみることにした。プライベートを覗いてごめんよと思うけれど、本名でツイッターをやっておきながら鍵をあけているってそういうことだ。

検索されて出てきたら父の名前までわかってしまうから、色々端折ったり変えたりして書くとこんな感じだった。

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父の死が伝わっただろう日
「ちょっと受け入れられない。嘘だと思う。」

一週間ほど経った日
「予約してたチケットが今更届いた」

二週間ほど経った日
「好きな果物を買った」

その月の終わり
「今月はつらかったけど、頑張って生きていこう」

何忌かの日
「今日も好きな果物買った」

一か月ほど経った日
「ちょっといいお酒を供えてあげよう」

何忌かの日
「もう行っちゃったのかな」

初めてのお盆
「おかえりなさい」

初めての命日
「いいお酒を買った。一緒に飲もう。」



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女のツイッターを見始めた時の気持ちは、嫌いな奴のプライベートを覗いてケタケタ笑ってやろう、というようなひどいものだった。

でもどんどん読み進めていくうちに、なんだか私までつらい気持ちになった。
ああこの人は父を、あんな父を本当に愛していたんだな。

そこまで考えて、私は見るのをやめた。彼女のしたことを認めるのも、父のしたことを肯定するのも、彼女に同情するのも、間違っていることだと思ったから。
検索履歴も削除して、父のアカウントのことごといっぺんに丸めて頭の裏側に追いやって、忘れることにした。

娘の結婚

父が死んで、数年した時、私も姉もたまたま同じ年に入籍した。父が死んだ後に付き合った人で、生身の父に挨拶することはなかった。

たまに、もし父に結婚の挨拶をしていたらどうだったかな、と考える。父は堅物でいたい願望を持っていたところがあるので、きっと一度は厳格な男ぶって、「仕事は何をしているんだ」なんてかっこつけたことを聞いただろうな。でもなんだかんだ、自分が人にあれこれ言えるようなことをしてきていないのを分かっているから、「分かった」なんて言って認めるんだろうな、なんて。こんなのは誰も得しない二次創作みたいな妄想だ。

死から時間が経ち、家を出て結婚して、距離感が苦手だった家族とも上手く関われるようになって、だんだんと子どもの事なんかも考えるようになったら、父の事をなぜか我が子のように思うようになった。あの人はうんと不器用だったけど、自分が傷つけたと思ったらお土産を買ってきたりしていて、あれはあの人なりに「ごめんね」と伝えたかったのかな、なんて、育ててもらったはずなのに、父の事をちょっとおかしく、かわいく思えるようになった。もしかすると親不孝なことかもしれない。妻不孝・娘不孝を相当された記憶があるから、知らないけど。

その代わり、結婚して世間的に自分が彼のものになり、彼が自分のものとなってみると、あの女と、あの女に対する父の気持ちへの思いは、はっきりとした怒りに変わっていった。

ほとんど会話のなかった私たち家族は、私の大学卒業というゴール(解散)を目指して毎日少しずつ日々を消費していた。その道の途方もないことといったら。一度違うピースと無理やり重ねてしまったから、もう端がぐずぐずになってしまって、もう二度と元の通りにははまらないことを私たちは知っていた。私はなるべく大学の先輩の家や彼氏と過ごすか、バイトするかして家にいないようにしていたし、母は家計のやりくりのためにやりたくもない仕事をして食いつないでいたし、姉はそんな家にお金を入れるために毎朝早く起きて割のいい仕事をしていた。もうみんなぐちゃぐちゃだった。歩み寄る必要も、その意味もなかった。パパには別宅があった。
父が別宅に逃げたり、酒に逃げたり、タバコに逃げたりしている間、私たちが向き合って消費していた日々は、もう元には戻らなかった。

結局ゴール前に父はリタイアして、別宅事業も頓挫し、私たちが解散することはなくなった。女三人は寄って強固となった。しかし三人寄っても、先にも述べたように父が死んだ後の処理はほんとうに大変だった(ようだった)。

私の大学費で既にグラグラだった家計に、父が残した借金やら、払っていなかった諸経費、葬式代、お墓代、全部が一気に押し寄せた。それはもはや津波だった。私たちはあっさりと飲み込まれた。

色々な人たちの助けや、さまざまな制度でなんとかぐずぐずの瓦礫の中から立ち上がって、私たちはまた三人集って固まって歩き始めることができた。

意地の悪い私は今もまだ思ってしまう。
もし、解散してから父が死んでいたら?
あんなに父を愛していたはずの女は一般的な香典を包んできて、タバコ一個の負担をしたら、将来を誓った相手が死んでしまった悲しい女として一生生きていけるのか?

母は気丈な女で、母の涙を見たのは後にも先にもあの葬式の日だけだ。私は正直、母ともずっと毎日一緒に暮らしていけるかと言われると自信がない。母の事が好きだけど、いま離れて暮らしているときの方が母を素直に愛せている。

たまに実家に帰った時、仏壇があるからどうやっても父の話になる。

母は、「私が死んでも大変じゃないように」と父と一緒に墓に入ると言っている。そのための墓を買って、そのためのお金も払った。私はずっとそれが疑問で、別に死んだあと墓の中にずっと住んでるなんて風には考えてないけど、あんなに苦労を掛けられた男と同じ墓に入ろうなんて、正気じゃないと思った。

結婚してから、父と母がどんな新婚夫婦だったのかが気になるようになった。実家に帰ると少し、思い出したときに若い時の話を聞くようにしている。

聞いてみて分かったのは、母は父を愛していたのだということだった。たぶん、父も母を愛していたのだと思う。それを確かめる術はもうない。

母が父に編んだというカーディガンがずいぶんと綺麗な形で出てきたり、昔パパにもらったのよ、と言って何度も直したであろう時計を身に着けて出かけたり、昔あそこに出かけた時にパパはこうだった、ああだった、姉が生まれた時にはああだった……母の話から断片的に集まっていく父と母という夫婦の記憶の答えは、どうやっても愛でしかなかった。

母は強い女だ。私たちにも、父にも言わなかったけど、きっと一緒に墓に入ってやってもいいくらいには、父を愛していた。
母は強い。葬式に来て不倫相手の正妻に直接タバコを手渡してくる女よりもずっとずっと強い。

女の気持ち

母の気持ちをなんとなくわかった気持ちになったら、今度はタバコの女のことが知りたくなった。不倫なんて泥棒と一緒で、どう考えたって認められるべきものじゃない。でも、そんな道徳に反したことをしてしまうほど、あんな父の事を愛していたのか、とも思えてきた。

ある日スーパーへ行く道を一人自転車で走っていると、なんとなく、「あの女の人に話を聞きたい」と漠然と思った。
怒りをぶつけたいわけではなかった。
ただ単純に、どんな気持ちだったのか、あの女の人の前で父がどんな風だったのか、どんな男で、どんな話をしていたのか、聞いてみたいと思った。

父が別宅を持ったことがなんとなく分かってから何年も恨めしく思ってきた女と、そんな人に愛された父の事を知りたいと思った。

これで終わりにしよう。私の知らない父の事を教えてもらおう。

そんな歪んだことを考えて、私は何年かぶりに父のツイッターを検索し、そのフォロワーの中から女のアカウントを引っ張り出した。だいたいなんでも相談してきた夫にも内緒で、私はその女に、ダイレクトメッセージを送ろうと考えた。

頭の中で何度も、向こうが警戒しないような文言を考えた。今思うとどうやったって嫌な気しかしないだろうけど、苦しめたいわけでも悲しんでほしいわけでもなかった。とにかく、私が知らない父を、人に愛されるような父を知ってみたいだけだった。

まだアカウント名は本名のまま、アイコンも変わらず、父のフォローも外していない。鍵もかかっていない。私はほとんど使っていないアカウントでツイッターにログインして、ダイレクトメッセージを送ろうとした。

しかし、しかし!!!

なんということか、彼女はダイレクトメッセージだけは受け取らない設定にしていたのだ!

本名で鍵もかけず、時々インスタグラムのリンクも載せるような彼女が、ダイレクトメッセージだけには鍵をかけていたのだ。

散々考えた彼女を傷つけないためのメッセージの数々が、まばたきするたび目の前をチカチカ出たり消えたりするのを見た。しばらく呆然とした後、どっと脇汗をかいて、
「あ~~~~~~~~~~!」
とだけ言った。そしたら笑えた。ちょっと笑ったら、もう止まらなくて、一人でげらげら笑った。一人でこんなに笑ったのは記憶の中では生まれて初めてだった。

「送れなくてよかった」と心がドクドク言っていた。「そうだよ」と頭がズンズン言っていた。

父と浮気していた女は、本名で鍵を掛けずにツイッターやっちゃうようなひとだったけど、浮気できるだけあって、ダイレクトメッセージの受信設定くらいはしっかりできちゃう人だった。
私はこのことに妙に納得して、もう彼女の事も、私の知らない父の事もどうでもよくなった。

愛してくれて

彼女をフォローする気もなく、もうDMする気もまったく起こらず、私は「私の知らない父関してはまぎれもなくどうでもいいひと」になった。

でもなんとなく悔しくて、女のツイートをちょっと遡ってやった(自分のためにあくまで上から目線は保つ)。

最近のツイートも大差ない。「野球の勝ち負け」「仕事の話」「政治の話」と、「元彼氏の話」。命日には毎年二人で酒を飲んでいるらしいし、あいかわらず果物を供えて、お盆にはナスやきゅうりを用意して待っているという。なんて健気な女だろう。

本当にこの女とこの女が愛した男のせいでめちゃめちゃになった私たち家族の時間は二度と帰ってこないし、お金も帰ってこないし、それに関しては許してやるもんか、と思っている。

だけど私は、こんなこと絶対母には言えないけれど、女に「父を愛してくれて」と思う。続きは立場上言えない。
でも、ボロボロだった父が生きていたのはきっとこの人のおかげだった。
不本意な結果だと思うし、今もあなたを縛り付けている父を近くにいながら生かせなかったことを申し訳ないとも思う。

父を殺してしまってごめんなさい。
父を愛してくれて。

ああこんなことで

こんな風にして、父についてもやついていたことが、ひょんなことで楽になったので、いまの気持ちを書き残した。書き捨て!書き捨て!

こうやって不倫相手の娘に記事のネタにされるから、本名で鍵かけないでツイッターやるのはマジでやめたほうが良いと思うよ!

お互い出会うことがもう二度とありませんように。さようなら。

よしなに…