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シャンフルーリ『諷刺画秘宝館』より「日本の諷刺画」

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19世紀フランスの小説家・美術批評家シャンフルーリは、親友ボードレールの勧めで、西洋の諷刺画を古代から現代まで通覧する「諷刺画の歴史 Histoire de la caricat… もっと読む
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記事一覧

シャンフルーリ『諷刺画秘宝館』序文

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わたしがここに6巻目を公刊するシリーズは、当初の考えでは『古代の諷刺画の歴史』から『現代の諷刺画の歴史』まで一筋に進むものだった。だが最後は、未だ多くの秘密を残している謎めいた東洋をもって終えたい。とりわけ、これまで言われていなかったことを言うということが、とても扱いの難しい題材について書くということと同じくらい、わたしを駆り立てたのだ。

この研究の主

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シャンフルーリ「日本の諷刺画」第1章:日本人の特徴

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聖フランソワ・グザヴィエ〔フランシスコ・ザビエルの仏語読み〕は、イグナチオ・デ・ロヨラに宛てた手紙で、日本人の性格と知性を大いに称賛している。「日本人について話したら、きりがないだろう。わたしの心に、本当に喜びをもたらしてくれる」

この些か甘ったるいほど好意的な評価まで行かなくとも、その開放的な雰囲気、善良な気質、何についても気前よく理解する力のおかげ

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シャンフルーリ「日本の諷刺画」第2章:雨しょぼ

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あるフランス人の旅行者が、東京に着いたとき、夕食のあと友人たちと茶屋を訪れた。日本の茶屋とはヨーロッパでいう宿屋や喫茶店のようなものだが、違いはというと、感じの悪い「給仕」の接客ではなく、若くて美しい、いつもにこやかでとても礼儀正しい娘が、旅行者をもてなしてくれることだ。外国人一行が入るとすぐ、4人の可愛らしい藝者が立ち上がり、雨が踊り、つまり「雨の舞」

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シャンフルーリ「日本の諷刺画」第3章:日本の漫画と主な題材の一般的性質

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滑稽、諷刺、揶揄、異形といったことにかかわる様々な分類をきちんと区切るのは難しい。パロディの領域では対立と交雑が常であり、それこそがヨーロッパにおいて「諷刺画」という言葉の意味を大いに拡げてきた。風俗の陽気な描写、下層階級の日常風景、庶民の憂さ晴らしによくある滑稽な揉め事といったものを、ある作家は諷刺画という分野を構成する数多くの小道具に進んで混ぜ込み、

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シャンフルーリ「日本の諷刺画」第4章:日本の民話や民衆画に見られる人間の諷喩としての動物

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多くの日本の画集に、狐の絵が見られる。人間の服を着て、人間の仕草や仕事を真似ている。狐は、日本の民話や伝説に登場する唯一の動物というわけではないが、猫や鼠やノーザンパイクや蛸よりも重要な位置を占めるのだ。狐の狡知と奸計は、西洋で中世仏独の諷刺詩に多く見られるように、東洋でも古代より寓話に表わされ、よく知られてきたようだ。

伝説が民族から民族へと伝わった

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シャンフルーリ「日本の諷刺画」第5章:太っちょと痩せぎす

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図像学に少しでも関心のある方なら誰でも、ブリューゲルによる2枚の版画『太っちょと痩せぎす』を多分ご存じであろう。天才の作品よろしく、そのコンセプトは簡潔だ。

太った男たちが厨房でご馳走に夢中である、その天井には豚のモツや脂身の塊が鈴なりに吊られているようだ。戸口には痩せこけた音楽家がおり、不幸者の吹くミュゼット〔バグパイプ〕に合わせてカチカチと骨が鳴る

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シャンフルーリ「日本の諷刺画」第6章:日本における死の舞踏

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仏・独・瑞の教会が一連の絵画で人間の虚しさを描いていた頃、ある僧侶によって同種の教えが12世紀の日本でも説かれていた。こうした思潮がヨーロッパと日出づる帝国の双方で流行していたからといって、驚きはしまい。古来より、同邦人を導くことを天職とする者は、死に至る生という現象を案ぜねばならなかった。瞑想する知性にとって、いかなる人間も逃れられない死を終章と

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シャンフルーリ「日本の諷刺画」第7章:日本の諺

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旅行者たちが充分に風俗を知ることのできなかった国民について研究するうち、わたしは諺に頼ることとなった。国民の常識は往々にして諺のうちに数語で凝縮されている。そうした坩堝の中に、民族の機微が溶かし込まれているのだ。

セルバンテスの物語で最も生き生きとしている人物は誰か?サンチョだ。見かけは低級な腹心役だが、無尽蔵に諺を作り続け、ときに憂い顔の主人〔サンチ

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シャンフルーリ「日本の諷刺画」第8章:北斎、その先達と後継者

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これまで日本人は幸運にも美術の学会や学派を欠いてきたが、この民族にも人間や自然の描写すべてに関する何らかの分類が必要となった。この分類は、序列のある区分けというよりは体系的な特徴づけの必要に応じてのものだろうが、それでも藝術の頂点には、ヨーロッパと同様、仏教の伝説を描く宗教画家を置き、その下に歴史的場面を描く画家、さらに下の位に風景画家、花鳥画家、そして

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シャンフルーリ「日本の諷刺画」第9章:秘画

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日本には、独創的な絵の画集、というより正確に言えば、長さは何mもあるが縦幅は狭い絵巻が存在する。そうした絵巻は、金の刺繍に飾られた絹地で装幀され、巻物と呼ばれており、様々な素描が連ねられ、それを日本人は卓上に広げ、実に特殊な情景パノラマの進展に応じて、様々な主題についてあれこれ言うのだ。

親切なことに、『気さくで優雅な中国』の著者ジュール・アレーヌ氏〔

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シャンフルーリ「日本の諷刺画」第10章:仮面、空想、悪夢

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日本人はどのようなリキュールを飲んでいるのか?

日本の絵師の想像力によって生み出された幾つかの絵を見たら、このような疑問が一度ならず好事家の心に生じるはずだ。奇想画の中には、空想というよりむしろ悪夢の系統に分類すべき、非常に奇妙な要素を持つ創作がある。

アルコール飲料が、そうした異形の絵を生み出させるのだろうか?

中毒患者の髄まで貫く動揺を後から手

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シャンフルーリ「日本の諷刺画」第11章: 行く日本、来る日本

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日本の諷刺画は、この本に載せた様々な絵から分かるとおり、皮肉よりも奇想や奇矯と結びついている。風俗情景、愉快な調子で描かれるリンパ質の国民性、厭味よりも人のよさをもって描かれたオランダ人やイギリス人の略画は、ヨーロッパで諷刺画と呼ばれる辛辣な藝術と完全に対応するものではない。

日本の貴族に対して攻撃的な筆鋒が向けられていると断言する旅行者もいるが、それ

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