1897年、在リヨン日本領事の山田忠澄とフランス人の妻マルグリットの間に生まれた山田菊(キク・ヤマタ)は、戦間期にはヴァレリーをはじめとするフランスの文人たちと交流しながら日本を舞台とした小説をフランス語で書いていましたが、講演で日本を訪れていたときに開戦を迎えたため戦時下を日本で過ごすこととなります。戦後はジュネーヴ郊外の小さな村に暮らし、1975年に亡くなりました。ここに訳した『八景 Les huit renommées』は、山田菊が1927年に著した日本紹介で、表題には八景とありますが全6章です。原著には藤田嗣治が路地裏の月から稲叢ごしの富士山まで日本各地の情景を軽妙な筆さばきで描いた挿絵が多く挟まれているのですが、noteには掲載できませんので、ご了承ください。()は原註、〔〕は訳註、太字は原文ローマ字表記の日本語です。
アンリ・ミュルジェール『ボヘミアン生活の情景 Scènes de la vie de bohème』は1845~49年に文藝誌『海賊 Le Corsaire』で連載され、1851年に出版されました。全23章。同年代の友人であった詩人ボードレール、短編作家シャンフルーリ、諷刺画家ナダールといった藝術青年たちとの暮らしを元に書かれた小説で、いま言われているところの「ボヘミアン」、すなわち藝術や文学を志しつつ未だ何者にも成れない高等遊民のような若者、という概念を打ち立て、プッチーニのオペラ(1896年)やカウリスマキの映画(1992年)にもなりましたが、肝心の原典が戦前に抄訳されたのみ(森岩雄「ラ・ボエーム」、『世界大衆文学全集20』、改造社、昭和3年)で入手も困難なため、ここに訳してみる次第です。()は原文にあるもの、〔〕は訳註、太字は原文で強調を意図したイタリックです。
19世紀フランスの小説家・美術批評家シャンフルーリは、親友ボードレールの勧めで、西洋の諷刺画を古代から現代まで通覧する「諷刺画の歴史 Histoire de la caricature」シリーズ全5巻を刊行したあと、そこで扱わなかった東洋の諷刺画について『諷刺画秘宝館 Le musée secret de la caricature』(1888)に纏めます。この翻訳は、そのうち日本の部« La caricature au Japon »を訳したものです。全11章。初出は1885-86年のL'art : revue hebdomadaire illustrée誌での連載です。()は原註、〔〕は訳註、太字は原文ローマ字表記の日本語です。原著の豊富な挿絵はnoteには掲載できませんので、ご了承ください。なお割愛した前半部はトルコの影絵芝居カラギョズについて書かれています。
【原典:Rodolphe Töpffer, « Elisa et Widmer » dans Nouvelles genevoises, 1845】
【本作の初出は「ジュネーヴ万有文庫 Bibliothèque universelle de Genève」誌の1834年3月号ですが、シャルパンティエ版『ジュネーヴ短編集』(1841)にはなく、のちのJ.-J. ドゥボシェ版『ジュネーヴ短編集』(1844)に挿絵つきで収録されています。フランス語で書かれていますが、表題からも分か
シャンフルーリ「将来の版画」
【原典:Champfleury, « L'imagerie de l'avenir » dans Histoire de l'imagerie populaire, 1869】
【19世紀フランスにあって、あまり顧みられていなかった大衆藝術に着目し、民俗画の研究を行なっていたシャンフルーリは、まだ識字率の低かった当時、複製藝術である版画を国民教育に使うことを提言します。太字は原文にある強調、()は原註、〔〕は訳註です】
1. 教育手段としての素描について
何人かの偉大な人
ロドルフ・テプフェール「ふたつのシャイデック」
【原典:Rodolphe Töpffer, « Les Deux Scheidegg » dans Nouvelles genevoises, 1845】
【本作は、シャルパンティエ版『ジュネーヴ短編集』(1841)にはなく、のちのJ.-J. ドゥボシェ版『ジュネーヴ短編集』(1844)が初出となります。フランス語で書かれていますが舞台はドイツ語圏スイスの山々で、表題の「ふたつのシャイデック」とは「グローセ・シャイデック(原義「大きな峠」)」と「クライネ・シャイデック(原義「
ジュール・バルベー・ドールヴィイ『テプフェール』
【原典:Jules Barbey d'Aurevilly, « Topffer » dans Les œuvres et les hommes : XII. Littérature étrangère, 1890】
【バルベー・ドールヴィイは厖大な作家評を書いており、外国文学(フランス以外の国)作家シリーズの中にジュネーヴのロドルフ・テプフェールについての短評があります。テプフェールの作品は、大まかにいって漫画・小説・紀行の三分野に亘りますが、ここでは主に紀行が評価されてい
【原典:Théophile Gautier, « Du beau dans l'art » dans la Revue des Deux Mondes du 1er septembre 1847】
【副題に「没後出版されたテプフェール氏の『ジュネーヴの画家による考察と閑話』について」とあるとおり、ジュネーヴの作家・マンガ家であるロドルフ・テプフェールの美術批評に対する応答として書かれていますが、実際にはほとんどゴーティエ自身の唱える「藝術のための藝術」についての解説となってい
【原典:Rodolphe Töpffer, « Du progrès dans ses rapports avec le petit bourgeois et avec les maîtres d'école », 1835】
【ジュネーヴで寄宿学校の校長をしていたロドルフ・テプフェールは、ジュネーヴ・アカデミーで修辞学講座の教授を務め、また保守派の論客として「ジュネーヴ万有文庫 Bibliothèque universelle de Genève」誌の常連寄稿者でもありまし
【原典:Rodolphe Töpffer, « De la partie pittoresque des voyages de De Saussure », 1834】
【ヨーロッパで観光旅行が一般にも広まった19世紀はじめ、アルプスには登山客が押しかけるようになりました。しかしジュネーヴにいて観光客を迎える側だったロドルフ・テプフェールは、そうしたスイス旅行の流行や紋切型のスイス描写にうんざりし、同郷の地質学者オラス=ベネディクト・ド・ソシュール(言語学者フェルディナン・ド
【原典:Olympe de Gouges, Réflexions sur les hommes nègres, 1788】
【オランプ・ド・グージュは「女性と女性市民の権利宣言」(1791)の著者として有名ですが、それに先立つ1788年、黒人奴隷制度を主題とした自作の劇「ザモールとミルザ、あるいは幸福な難破 Zamore et Mirza ou l’Heureux Naufrage」を書き、コメディ・フランセーズで上演しようとしました。ここに訳したのは台本に附された文章で、さ
【原典:Victor Hugo, « Congrès de la Paix 1849 » dans Actes et paroles tome I : Avant l'exil 1841-1851, publié en 1875】
【1849年にパリで開催された平和会議にて議長を務めたヴィクトル・ユゴーによる開会・閉会演説です。ここでユゴーは「ヨーロッパ合衆国 États-Unis d'Europe」という構想を提示し、ヨーロッパ統合の歴史におけるひとつの重要な宣言となってい
【原典:D'Alembert, « Observations sur l'art de traduire en général, et sur cet essai de traduction en particulier » dans Mélanges tome III, 1759】
【正式な表題は「翻訳技術一般について、そしてとくにこの翻訳の試みについての考察」です。「この翻訳の試みについて」とあるのは、この文章はダランベール自身によるタキトゥス『年代記』の抄訳の前に置かれ
【原典:Louis-Charles Fougeret de Monbron, La Capitale des Gaules ou la Nouvelle Babylone, 1759】
【放浪の諷刺作家ルイ=シャルル・フジュレ・ド・モンブロンが、晩年にパリの堕落を難じた小冊子です。都市の頽廃とは虚飾と実態の乖離であり、その最たるものが賭博と演劇だと考えているのは興味深いところです。なお本編に対する批判に答えた続編(Seconde partie)もあるのですが、拙訳では割愛しま
【原典:Madame de Staël, « De l'esprit des traductions », article inséré dans un journal italien, 1816(Sulla maniera e la utilità delle traduzioni (tradotto in italiano da Pietro Giordani), in «Biblioteca Italiana», Gennaio 1816)】
【スタール夫人による翻訳論