テオフィル・ゴーティエ「藝術における美について」
【原典:Théophile Gautier, « Du beau dans l'art » dans la Revue des Deux Mondes du 1er septembre 1847】
【副題に「没後出版されたテプフェール氏の『ジュネーヴの画家による考察と閑話』について」とあるとおり、ジュネーヴの作家・マンガ家であるロドルフ・テプフェールの美術批評に対する応答として書かれていますが、実際にはほとんどゴーティエ自身の唱える「藝術のための藝術」についての解説となっています。太字は原文にある強調、〔〕は訳註です】
テプフェール氏の『ジュネーヴ短編集』は有名だ。あまりに器用で、あまりに独創的な筆致によって、こちら〔(テプフェールの祖国スイスに対して)フランスのこと〕でも評価されているから、あらためて触れる必要はないだろう。『牧師館』『遺産』『伯父の書斎』そしてとりわけ『恐怖』は、スターンとグザヴィエ・ド・メーストルとベルナルダン・ド・サン=ピエールが、じつに地方的な独特の味わいのうちに見事に溶けあった短かい傑作である。今日は別の視点からテプフェール氏について検討しよう。
『ジュネーヴ短編集』『ローザとジェルトリュード』『ジグザグの旅』の著者は、誰もが知っているとおり寄宿学校の校長だが、はじめは美術の道に進もうとしていた。真の適性によって絵画へと導かれたものの、視力衰弱のため、断念とまではゆかぬまでも、少なくとも正式な職業としては心ならず絵画を諦めた。テプフェール氏の油彩画も「中国のインクによる淡彩画」〔水墨画のこと〕も見られないのはとても残念だ。しかし、真面目な絵画は知らないにしても、指で何度も滑稽な画集〔まだマンガ(バンド・デシネ bande dessinée, BD)という言葉がないため、この文章では「マンガ」「マンガ家」にあたるものがさまざまな表現で呼ばれている〕をめくってきた、それは一連の線画であり、クレパン氏、ジャボ氏、ヴィユ・ボワ氏、クリプトガム氏といった、創作による滑稽な登場人物たちの椿事を次々と見せてくれた。ジュネーヴの諷刺画家による愉快な空想に、かの偉大なゲーテも微笑み、石版画の小さな冊子はヨーロッパで好評を得た。
テプフェール氏の諧謔画家としての才能を伝えるために、フランスで同等のものを見つけるのは難しいだろう。ガヴァルニ〔Paul Gavarni〕の優雅な繊細さでも、ドーミエ〔Honoré Daumier〕の荒々しい力強さでも、シャム〔Amédée de Noé, dit Cham〕の剽軽な誇張でも、トラヴィエ〔Charles-Joseph Traviès de Villers〕の陰気な諷刺でもない。むしろイギリス人のクルックシャンク〔George Cruikshank〕に似た作風だ。ただし、ジュネーヴ人のほうは機知が少なく、素朴さが多い。エトルリア美術に匹敵するほど大きく単純な線で壁に絵を描く子どもを、細心の注意を払って研究しているのが分かる。彼の本の最も魅力的な章のひとつで主題となっているほどだ。また、エピナル版画からも着想を得たはずだ。アンリエットとダモン、さまよえるユダヤ人イサク・ラクデン、ジュヌヴィエーヴ・ド・ブラバン、ピューラモスとティスベーの美しい絵が、書斎や仕事部屋を飾っていたに違いない。そうしたものから、自分の想像を、力を削ぐことなく、何本かのはっきりとした線で表わす技法を学んだのであり、解剖学的な細部や市民の現実に対する関心は、朗らかな大胆さを一瞬たりとも邪魔しない。また、彼の絵のいくつかは、カゾット『悪魔の恋』の旧版を飾った挿絵にも並ぶが、最も丁寧で最も完成された挿絵は、軽快かつ意味深長な落書きを忘れさせはしない。
『ジュネーヴの画家による考察と閑話』について述べる前に、テプフェール氏の素描の特徴、少なくともペンで描かれた冊子の実作から見て取れる性質、冬の夜長を温め内輪の集いを楽しませる特性について、少し指摘した。彼は、想像とその具現化との間にある夾雑物を、可能な限り減らしたい、なくしたいと考えている。小学生の落書きで、軍服の革装具や肩章やボタンがほとんどヒエログリフのように描かれた兵士の絵は、下手な絵描きがアトリエで二年間かけて丁寧に陰影をつけたローマの戦士よりも優れていると、彼は正しく見抜く。形の定まっていない木炭画の中で、兵士の概念は、精巧に仕上げられた素描の中での戦士の概念よりも、はるかに力強く輝いている。もしテプフェール氏が絵画の練習を続けていたら、間違いなく素朴さを追求していただろう、なぜなら、素朴さは何にも増して生まれつきの才能である、あるいはそう思われているが、とはいえ、自生した貴重な植物を手厚く保護するように、素朴さも育てたり変質を防いだりできるからだ。
はじめ『ジュネーヴの画家による考察と閑話』は中国の水墨画についての論考だったはずだ。しかし著者は、第一巻を書き終えたあと、淡彩画も墨も出てこないのに気づいた、これは非常に小さな欠点である。実際、気まぐれな作家が、作品を表題に合わせるという些細な利点のために、自身の思いつきを曲げる理由がどこにあろう?
テプフェール氏は第六感の章から始める、というのも、触覚、聴覚、視覚、嗅覚〔味覚がないのは原文ママ〕を越えた、どの感覚とも関係ない自然物の知覚機能があるのだ。第六感は、他の知覚を卑しい奴隷のように使っている。第六感の明確な場所を定めるのは難しい。脳にあるのかもしれないが、誰が断言できよう? 動物は第六感を欠いているし、多くの人間もそうだ、なぜなら人間は三つの階級に分けられるからだ。――植物人間、動物人間、知的人間である。大多数の、ごく実直であるには違いない人間は、木が空を見るように、あるいは羊が草原を見るように、自然を見る。また別の、もっと力のある人間は、青や緑を知覚するが、何の結果も導かない。幾人かは色調の差異や関係に気づき、そこから美の感覚、空のうちにも草原のうちにもない概念が生まれる。この者たちは第六感を働かせている。傴僂ではないが瘤があり〔瘤は何らかの才能を示すとされる〕、ボワローが秘密の作用と呼んだもの〔ボワロー『詩法』第一歌〕を持っている。
もしあなたが瘤を持っていないならば、真っ当な商売や儲かる仕事を探したまえ。ただし、どうか信じてほしい、パレットの穴に親指を通したり、請求書や領収書を切る以外に紙を使ったり、鍵盤の象牙に指を置いたりしてはいけない、なぜならあなたは、今も昔も将来も、ドイツの学生が言うところの俗人〔philistin:原義は「ペリシテ人」。ドイツの大学生が部外者をPhilisterと呼んだことから〕、フランスの藝術家が言うところの俗物でしかないからだ。藝術には何か立派で独特なものがあって、最も明晰な頭脳や最も正確な推論に最も広範な博識や最も粘り強い仕事が合わさろうとも、第六感がなければ無駄なのだ。これは、才能のある者は鍛錬してはいけないという意味ではなく、才能のない者に鍛錬は全く役立たないという意味である。この点で藝術は学問と異なるのであり、それぞれの藝術家によって改めて始められるのだ。重要でない幾つかの物質的な手法を除いて、常に何でも学ばねばならず、藝術家は自分の小宇宙の全てを作らねばならない。藝術に進歩はない。蒸気船がギリシャの三段櫂船より優れているとしても、ホメロスは乗り越えられておらず、ペイディアスはミケランジェロと同等であり、現代には並ぶ者はいない。詩人も画家も彫刻家も、各々が自分の秘訣を持っており、レシピを残さない。カンヴァスの肌理、色の扱いかた、使う絵筆の選択、これらは皆、自身の経験によって得られるものだ。化学者、数学者、天文学者は、偉大な先人たちの残した地点から学問を始め、才能があれば、他の学者たちが学問を始める地点を引き上げる。しかし美の理解は、刺激となった外部の形態や象徴を用いて自らを表現するのであり、加算的に完成されるのではない。自分の内面を翻訳する術を持たない者は、藝術家ではないのだ。模倣は手段であって目的ではない。たとえば、ラファエロは処女的、ルーベンスは官能的、レンブラントは神秘的、オスターデは田舎的である。ラファエロは自身の構想した型と最も近い形を自然から探す。最も美しい女性や少女の頭をいくつか選んで、特徴を抽出し、顔の楕円形を引き伸ばし、こめかみに向かって眉が細くなるようにし、瞼と唇を弓なりにして、自分の中にある崇高なモデルと合致させる。ルーベンスが求めるのは、艶のある肌、金色の髪、朱色の口と頬、煌めくベルベット、しわくちゃのシルク、火花を飛ばす金属である。胸裡にある永遠の祝祭、盛大な村祭りを翻訳すべく、ルーベンスは緋色や金色、大理石や紺碧を、それらを見出せる場所のあちこちから借りてくる。レンブラントは、夢想家、守銭奴、骨董屋、錬金術師の魂を持ち、古い建物からは黒い拱廊や黄色いステンドグラス、丸天井から地下室まで続く螺旋階段を、雑貨屋からは古い甲冑や行李、でこぼこの壺、異国や一昔前の服を、シナゴーグからは最も禿げた、最も不潔な、最も皺の寄った、最も汚く臭いラビを取り出し、そうした奇妙奇天烈で恐ろしい形を獣臭い陰鬱な作風の中に入れて、光と陰の作品を描き、自分の夢、あるいは悪夢を具現化するのだ。オスターデは、田舎の家庭的な感情がしみじみと表現されている室内画において、フラマン人を樽の傍や馬の上や木の長椅子に座らせるとき、村人の肖像画を描いているように見えたとしても、目の前にいる村人を模写しているわけではない。自身のうちにある理想の田舎を再現すべく、村人を使っているのだ。さらに、ラファエロの聖母ほど処女性を持つものはない、ルーベンスの女性たちほど快活さに溢れたものはない、と言ってよい。レンブラントの素晴らしい銅版画の中で、肘掛椅子から半身を起こしている、二本の尖筆で描かれた男ほど、部屋の壁に輝く大宇宙を、飽くなき、探るような、鋭い目で見つめた錬金術師はいないし、最ものろまで、最も愚鈍で、最も不格好で、最も茶色い襤褸をまとった、最も土臭い、最も煤けた田舎者も、オスターデの農夫と比べれば、ほとんど都会人である。これらの画家たちは、そうした処女、遊女、錬金術師、農夫を、どこで見たのか?
ここで、藝術家は完全に主観的なのだと結論づけてはならない。客観的でもあるのだ。与えも貰いもする。もし美の典型が藝術家の心のうちに理想的な状態で存在するならば、それを表現するために必要な記号を自然から貰う。そして記号を変形させる。構想の種類に応じて記号を加えたり削ったりして、現実では何の興味も惹かない対象に、表現によって重要性や魅力を持たせる。画家の捨象や嘘が、対象に感情や情念、様式、美を与えたのだ。われわれは毎日、草原にいる牛や使われなくなった橋、小川の浅瀬を渡る動物たちを目にしているが、まったく目に留めない。同じものが、パウルス・ポッテルやカレル・デュジャルダン、ベルヘムの絵筆で描かれると、なぜあなたを立ちどまらせ、惹きつけるのか? 皆が称えている、真に迫った模倣のためか? とんでもない。最も正しい絵画は誰も眩惑しないし、眩惑は藝術の目的ではない。そうでなければ、最高の傑作は騙し絵になってしまう、そして騙し絵は、最も凡庸な画家が数学的な正確性を用いて描いているのだ。ジオラマ、パノラマ、ナヴァロラマ〔Navalorama:海の景色を遠近法によって再現する器械〕がこの分野で驚くべき成果を上げたが、ペーテル・ネーフ、ファン・デ・フェルデ、バックホイゼンは、カンヴァスで一瞬たりとも騙さないため、依然として室内画、建築画、海洋画の王者であり続けている。
したがって絵画は、外にあるものの再現に限られた分野のようで、一見すると模倣の藝術と思われるが、そうではないのだ。画家は自分の中に絵を持っており、画家と自然の間をカンヴァスが仲介している。風景を描こうとするとき、画家を駆り立てるのは、特定の木や岩や地平線に後押しされた、それを写生したいという欲求ではなく、田舎の爽やかさ、野原での休息、恋の憂鬱、静謐な調和、理想の美といった、自分に相応しい言語に翻訳しようと試みている特定の夢である。正確な景色を描くよう努めるにしても、そのために画家の個人的な構想が感じられなくなるわけではないだろう。陰気な構想であれば、最も朗らかな自然を暗くするだろう。陽気な構想であれば、砂だらけの乾燥地帯に花々を見つけるだろう。森や湖や山の景色を通して描くのは、自分の魂である。彫刻家が彫像を、詩人が牧歌を、音楽家が交響曲を創作しようとするのは、あらかじめ構想された美意識のためである。各々が、自分なりの方法で、美の予感と欲求が真の藝術家に引き起こす夢想、願望、崇高な動揺や不安を表わそうとする。
さて、中国の水墨画からずいぶん離れてしまった。少しは話しておかねばならない。本物の墨は、端正な輝く断面、粒の細かさ、極度の硬さ、そして想像を越えた割りやすさを特徴としている。――これほど幅広い色調を持つ黒インクは他にない。セピア〔イカの墨で作る黒絵具〕やビストル〔煤とゴムで作る黒絵具〕は、温かみのある赤っぽい色調が何より魅力的だが、墨の繊細な灰色や強烈な黒に比べれば粗野である。セピアやビストルの下品な魅力に抗いたまえ、きっと報われるはずだ。色調に生彩を欠くあなたの水彩画は、より繊細で軽快になるだろう。とりわけ、線の細さ、凝りすぎ、忍耐じみた綿密さ、毛先まで手入れされた小筆は避けたまえ、お嬢さんの絵になってしまう、広がりと力強さに欠けるのだ。穂先が細く、しかし腹が少し膨らんでいて、顔料を含んだ水滴を腰に溜められ、すっきりとした途切れない色調を作り出せる筆をくれ。紙についていえば、問題は深刻だ。愛国心を脇に置いて、スイス人もドイツ人もスペイン人もフランス人も、イギリスの紙を買わねばならない。――その紙がワットマン紙〔イギリスのジェームズ・ワットマンによる手漉きの高級画用紙〕でありますように! トーション紙〔ごわごわした手漉きの画用紙〕は、インクの染みの黒、引っかき傷の白、引き伸ばしてざらざらになった筆致で効果を狙ういかさま師にくれてやれ。
ここでテプフェール氏は、命を吹きこまれた道具がそれを使う人間に抱かせる愛着の度合いについて、感傷的で面白い脱線をしている。墨は、金箔や青龍、われわれには分からない文字で覆われているが、その持続性、変わらぬ奉仕、絵具皿の中で回転させる〔墨を磨ることを言っているのであろう〕ときの満足感、指で温められると生じる微かな龍涎香の匂い、密かで確かな千もの性質によって、尊敬の混じった友情が生まれるのだ。忠実な伴侶であり、いつも前に置いたままの状態で再会する。真面目で、静かで、恨みごとを言わず、いつもあなたの意のまま、前日に別れたときと同じく、ごく淡い真珠色から力強い黒まで、あらゆる色調を自由に操れる。この墨條は、あなたの老後の杖となるだろう。どんなに試し書きや殴り書きをし、フィンガルの洞窟や月の明かりを描いても、せいぜい墨を一、二リーニュ〔1リーニュは約2.3mm〕減らすだけだ。あなたと同じくらい長持ちするだろう。
絵筆はそれほど確かな関係にない。偶然と気まぐれに満ちている。今日はよくても明日は悪い、絵筆に含ませた水滴が絵の最も美しい場所に落ちる。漏らし、飛び散らせ、滲ませ、感情を込めた一筆の途中で毛が抜けたり、意地悪く先端が割れて壺口や水差しの縁に押し当てても整え直せず抜けた歯の跡のようになったりして、絵筆を何本も持つ破目になる。絵筆は贔屓ではあるが友人ではない。とっかえひっかえするのだ。
紙については、使うのは一度きりだ、それしか言うことはない。紙には親しみも慣れもなく、受動的で、あなたの仕事とは何ら関わりを持たない。巧みな手つきに震えもしなければ、無作法な手つきに抗いもせず、俗な言いかたをすれば、ただ全てを忍んでいる。この臆病な追従が、紙の特徴を充分に表わしている。つまり、紙は心に何も語りかけない。紙を愛することはできない。われわれとしては、テプフェール氏よりもさらに進んで、紙に強烈な反感を抱く。机の上に不気味に置かれ、端から端まで小さな文字で埋めねばならない、陰気で冷たい大きな白紙の、何と不吉なことか! それを見ると、最も勇敢な者さえ震えあがり、死ぬほど悲しい気持ちになる。確かに、画用紙の雪原には、原稿用紙ほどの憂鬱は含まれていない。
そこで、テプフェール氏は、草原の驢馬を実演の主題とする。われわれもジュネーヴの画家と同じように驢馬が好きだ。彼の驢馬はスイスの素朴で可愛らしい驢馬で、毛並は「赤毛」、性格は禁欲的だが、キャベツの葉やアザミが現われると食欲旺盛になる。親切だか卑屈ではなく、小川を越えるのに必要ならば自主性を発揮する。サンチョ・パンサを乗せたのを誇りに思い、房飾りや羽根飾りや鈴で飾られ、馬と同じように敬われ、同じ飼葉桶で餌を食べ、家族の一員となり、艶のある柔らかい毛並を夫人たちに親しげに叩かれ、連峰の狭い岩場を、色とりどりの布をまとった騾馬や同輩かつ仲間であるアンダルシアの馬に混じって、勝ち誇ったように見事に歩くスペインの驢馬に馴染んできたわれわれにとって、テプフェールの驢馬は、少し毛が抜け、少し瘦せて、少しみすぼらしく見えるかもしれない。しかし、そうだとしても魅力はある。気の抜けた耳はある種の憂いを帯びて傾き、目は夢見がちで、腹の白い毛が好印象となっている。
テプフェール氏は、この実直な四足獣の前に立って、単純な輪郭によって基本的な姿を描いた。まだ始まったばかりなのに、われわれは偽りの只中にいる。藝術のはじまりは嘘なのだ、自然界には線などないのだから。曲線は互いに入り組んでおり、輪郭は存在しない、けれども、この便利な補助なしに、どうやって空間の中で対象の占める場所を限定できよう? 背骨から頭まで一本線を引けば、驢馬の体つきを細部まで切り抜ける。ほら、耳と尻尾だ。目や鼻面は描かれていないが、この初歩的な絵を見て驢馬と分からない者は三歳児でさえいないだろう。内側の線が何本か、肋骨の盛りあがりや筋肉といった若干の外観を描いて、驢馬の細部を表現するだろう。これが藝術の第一歩だ。それから、太陽に照らされていない部分を濃淡をつけたインクで塗れば、肉づけ、奥ゆき、外形ができあがり、あとは色をつけるだけで、完全に似せられる。驢馬という種の一般的な特徴に加え、その驢馬の個性、さらにはその日その瞬間の特異性をも表わした驢馬のできあがりだ。物思いに耽っていたり、喜んでいたり、しかめ面だったりするだろう。さて、二十五人の腕利きの画家を集めて、この驢馬をモデルに与えれば、互いに全く異なる二十五頭の驢馬ができあがるだろう。こちらは灰色、あちらは赤っぽい。一頭目は峻厳な雰囲気、二頭目は天真爛漫な表情だ。それぞれの画家が、自分の才能に最も適合した性格を引き出しただろう。ところが、ひとりの画家に二十五頭の驢馬を写生させると、どれも同じように見えてしまう、これは画家が内なるモデルから絵を描いており、外のモデルを変形させている証拠だ。
動物は絵を理解できるか? 一匹の猫が、鏡に映った自分を見て、もう一匹の猫と思って一緒に遊ぶ。しかし、この動きは錯覚に輪をかける。では、よくできた絵を、適切な向きと明るさで見せたら、絵に描かれたのが自分だと認識できるか? いくつか珍しい例を挙げられるにしても、いっそう疑わしい。単純な線画では自分と分からないに違いない、最も聡明な猫、ムル猫でさえ、その姿を描いた紙を見せても無駄だ〔E.T.A.ホフマン『牡猫ムルの人生観』の主人公で、人間の言葉を解する猫〕。分かっていないそぶりをするだろう、もっとも鈍い農夫、もっとも注意力のない子、もっとも愚かな野蛮人でさえ一瞬も迷わないのに。確かに、ゴドフロワ・ジャダンの飼い犬として有名なブルドッグのミロード〔Mylord:「閣下」の意〕は、主人の描いた自分の絵に激しく吠えかかり、カンヴァスに噛みつこうとした。しかしミロードは藝術家や詩人たちの間で育った文学犬であり、そうした交友関係によってほとんど人間に近い存在となっていたのだ。
もっとも、描線というのは、抽象的な、単なる約束事であるにもかかわらず、あるいはそれゆえに、藝術の最も高度な構想、最も高尚な必要性を担える。ミケランジェロに一片の木炭と壁の片隅を与えてみよ、数本の描線で、美しいもの、壮大なもの、崇高なものの観念を、この上ないほど印象的な木炭画で鮮明に描いてくれるだろう。この偉大な藝術家じしん、完成させた絵では、それ以上の効果を与えられないだろう。画家の想像と観衆との間には最低限の図形記号しかなく、単純な線があなたを巨大な世界へ、画家の魂に数多ある超人的な創作の只中へと導いてくれる。
こうした考察から、テプフェール氏は、正確性や学識を欠くと思われる次のような結論を述べる。線は何より重要であり、藝術が高度になるほど効果や彩色を必要としなくなる。素描だけで、最も高尚で最も詩的な構想を具現化し、単色画や銅版画といった簡素な手段を使って、美の印象を作り出せるだろう。テプフェール氏によれば、藝術が厳格な目的から遠ざかるにつれて、より物質的で込みいった方法を使わざるを得なくなるという。ラファエロの聖母やミケランジェロの巫女は、線の高貴さによって色の力を必要としないが、見慣れた風景や身分の高くない人物は、色に頼らねばならない。風景画は色なしでは済まない、なぜなら風景画は多彩な色調や陰影の対比によってのみ存在するからで、つまり全てはパレットの介入が必要なのだ。風景の素描には人物の素描のような厳密さはない。幹は右にも左にも傾き、岩の割れかたはさまざまで、葉は高いところにも低いところにも茂る。したがって、ここでは線はあまり重要でない。われわれはテプフェール氏の主張に全面的に賛同するわけではないが、彼自身あちこちに適切な制限を加えている。風景の解剖学は、人体の解剖学と比べて、目には見えないが同じくらい厳密な法則を持っている。木の幹を傾けたり直立させたりするのは当てずっぽうではないし、枝をどちらに向けるかも些事ではない。それぞれの植物に特有の姿勢があり、その秘密を捉えねばならない、そして、風景の美しさが、女神や聖母の美しさのように単純な線画では表わせないと信じていることについては、もしテプフェール氏がダリニー氏〔Théodore Caruelle d'Aligny〕やベルタン氏〔Jean-Victor Bertin〕、コロー氏〔Jean-Baptiste Camille Corot〕、ベルル氏〔Jean-Joseph Bellel〕によるペンや鉛筆の素描を見ていたら、木の概念を最も簡素で基本的な手法によって表現できると理解したはずだ。
確かに、彩色には素描が必要であり、素描なしに彩色が存在するとは考えられない。色調が展開するには、ある種の境界が必要だ。たとえ周囲から物体に到達し、あらゆる種類の線を避けたとしても、やはり存在する隠れた素描に至るには違いなく、だからといって色が劣位にあるという結論にもならない。素描は旋律であり、彩色は和音である。別の藝術になぞらえるのを許していただきたい。旋律は和音なしでも存在できる、それはそうだが、和音を排除したら、どれほど豊かな機微、どれほど強力な効果を失なうことか! 美の観念は、線の選択と同じく、色の選択によっても表現される。パオロ・ヴェロネーゼ〔Paolo Veronese〕が柱廊の白い列柱をターコイズ色の青空に浮かび上がらせ、ルーベンスが銀灰色の頬に薔薇色の斑を乗せたとき、このヴェネツィア人やフラマン人は、ラファエロがラ・フォルナリーナの輪郭をなぞったのと同じくらい、優雅、美、華麗といった概念をはっきりと表現している。
テプフェール氏は、自身の主張を裏づけるべく、古代の絵画に遡って、間違いなく彩色技術よりも完璧な素描によって輝いていると主張する。アペレス〔Apelles〕やパラシオス〔Parrhasius〕、ティマンテス〔Timanthes〕、ポリュグノトス〔Polygnotos〕、ゼウクシス〔Zeuxis〕の作品は、何も残っていない。無慈悲なる時が、蝶の羽から鱗粉を落とすように、こうした崇高な作品の名声のみを残して消し去ったのだ。唐松の木の板も、それが貼られていた大理石の壁も、なくなった。プリニウスをはじめ古代の作家たちは、こうした有名な藝術家たちの制作過程を、ほとんど教えてくれない。ヘルクラネウムとポンペイの発見がなければ、われわれは推測するしかなかっただろう。残念ながら、ふたつのミイラ化した都市から取り出されたフレスコ画は、劣った藝術家によって制作された純然たる装飾作品である。しかし、ギリシャやローマの絵画がどのようなものだったか、フレスコ画からも充分に正しく想像できる。今も残る古代彫像は、多神教や擬人化宗教の支配下で藝術が高みに達していたことを、一瞬たりとも疑わせない。絵画は、白い姉である彫像と非常に親密なため、同じ歩調とならざるを得ない。偉大な彫刻家の生まれる時代には、優れた画家も生まれるのだ。――古代人は油絵を知らず、フレスコ画やテンペラ画、蝋画を描いた。そうした画法で、充分な結果を得られた。われわれは、テプフェール氏のように、アペレスの絵がその構成や作風、純粋に素描のみによって輝いていたとは考えていない。ティツィアーノの淡いカンヴァスのように、亜麻色の明るく静かな彩色、単純かつ強固な地域性、安定した艶消しの調和を備えていたはずだ。アペレスのカンパスペ〔アレクサンドロス大王の愛人。アレクサンドロス大王がアペレスにカンパスペの肖像画を描かせたところ、その見事な出来栄えに、自分よりもアペレスのほうがカンパスペを理解し愛していると思い、絵の褒賞として下賜した〕は、色調や効果において間違いなくヴェチェッリオの愛人に似ていた。彩色の肝は、一般に考えられているように緑、青、赤の鮮明な色調での使用ではなく、端から端まで連続した色調と全体の調和である。この意味でギリシャ人は彩色に優れた画家であり、アペレスが淡い色の箇所に透明感を与え、あまりに華やかな色合いを引き締めるべく絵に塗ったニスを見れば、ギリシャ人が藝術のこの要素を重視していたのが分かる。それに、極彩色の建築を造り、彫像に色を塗って金色に輝かせたギリシャ人が色彩感覚を持っていなかったと、どうして信じられよう?
色彩に正当な地位を与えよう。素描、奥行、色彩は、絵画の三位一体を成している。色彩には一定の重要性があり、藝術の他の要素と強く結びついているため、彫刻や淡彩画の中にさえ感じられる。髪の毛の何と彩やかなことか! と、あるいは似たような言葉を、彫刻家があちこちの白い像の前で言うのを、毎日聞いているのではないか?
彫像という単語を契機に、話を変えて、彫刻家の問題をテプフェール氏と討議してみよう。彫刻家は、現実の世界から粘土や大理石の塊を借りてきて、自分なりの美の理解方法を表現する。プラクシテレスは、美と愛と調和を夢見て、ウェヌスを作る。大理石という冷たく気高い雪のような素材に、生命のしなやかさと温かさを与え、反抗的な石を自分の思うがままにしなければならなかった。女神たる女性が、しだいに塊の中から姿を現わす。白い目、色のない髪、理想と現実の距離と同じくらい現実から隔たっているにもかかわらず、誰もが彼女を称える。輝くような澄んだ青白さを、現実味がないと捉える者がいるだろうか? 古代人が彫像に色を塗っていたからといって、少なくとも現在、頬や唇を赤くし、瞳を入れ、髪と眉毛を黒くして、蝋人形を惨めな亡霊のような姿にすることを、誰が求めるだろう? したがって、藝術は絶対的な真実ではなく相対的な真実のみを必要とするのだ、というのは、モデルの完全な外見を再現していない大理石の彫刻が、偉大な藝術家の魂の炎によって温められて、愛や昂奮、感嘆を呼び起こすからだ。このウェヌスは、何世紀も触られたために磨かれ、われわれに完璧な美しさを見せているが、プラクシテレスは不満だったに違いない。制作中、一度ならず気落ちして鑿を落としただろう。最も美しい女性にも勝る洗練された姿でさえ完全に満足できないとは、どのような事前の構想に基づく型と比べたのか? 現実の肉体のうちに、どのような腕や胸や肩を見て、大理石の崇高な嘘と比べたのか? ラファエロもまた、ガラテアを描いたとき、満足のゆくモデルに出会えないと嘆いていた。自身のうちにある特定の観念を使ったのだ。「わたしは美しい女性と優れた目利きに恵まれていない!」と、〔バルダッサーレ・〕カスティリオーニ伯爵に手紙を書いている。
こうした偉人とは対照的に、凡庸な藝術家はいつも自分の作品に満足している。どんなにつまらない成果でも、着想と同じくらい高水準なのだ。器用な手先と作業中の偶然から、ときに予期せぬ効果となって、喜び驚く。実行が思考を越えるのだ。
つまり、模倣の藝術と思われているが、むしろ変形の藝術である絵画は、自然から離れれば離れるほど、より強い力を発揮するに違いない。画家が何より求めるべきは、対照の透写ではなく解釈である。どうか画家には真実ではなく真実らしさを描いてほしい。
とてつもない才能を持っていた藝術家ド・ラベルジュ〔Charles de La Berge〕は、数年前に亡くなったが、自然との無謀な闘いに全力を傾けた。紋切型は描こうとしなかった。木を描けば、絶望的な精度で写生した。葉の一枚一枚が肖像画のようだった。折れた小枝、ざらざらして節や苔のある幹などを、ダゲレオタイプよりも忠実に再現した、というのは色つきだからだ。ド・ラベルジュが春に始めた習作を完成させる前に、秋が来てモデルの葉を落としてしまうことも多々あった。ときにはアザミやゴボウひとつに三十枚や四十枚の画用紙を費やした。晩年には、ラ・フォンテーヌの寓話をもとに、風景画として《乳しぼりの女と牛乳壺》の絵を描いた。悲しむ少女の足元に流れる牛乳を表現するため、サン=マリー通りの小さな家の中庭で、どれほど壺の水を地面に注いだか! まだ元気だった頃、リンゴの木や壁面、描きたい植物の前に、葉や藁で作った小屋を建てさせ、そこで何ヶ月も作業を続け、巨人の勇気や才能で小人の綿密な仕事を行なった、というのも、ド・ラベルジュの構想とは、ごく率直に、自然に取って代わることだったからだ。広けた視野、無限の細部、遠景や近景といった効果によって、絶対的な真実を具現化したかった。遠近法は、藝術家のほうから差し出すのではなく、鑑賞者の距離によって生まれるべきだった。あばら家の屋根を描いたとしたら、六歩離れて見ると屋根だけが認識でき、一歩離れて見ると瓦ごとに別個の様相や特有の色調、ひび、欠けた角、まだらな苔が見える。並外れた視力が、スイスの時計職人や天から火を盗むプロメテウスのようなこの仕事に役立った。病が進んで外出できなくなると、森から木を切り出してアトリエに運ばせた。最後の作品は、両手ほどの大きさのカンヴァスに、堀の向こう側で座った老婆に見守られている羊を描いた絵だ。これらの絵を差し置いて、最も重要なオランダ絵画は、ヴァン・ロー〔Charles-André van Loo〕である。確かに、絵画の才能に恵まれた者がいたとすれば、それはラベルジュである。――ホルバインの肖像画にも劣らない彼の肖像画をひとつかふたつ見たことがある。――しかし、誤った体系に迷わされており、いくら真実の外見を備えていようとも、自分の小宇宙を閉じて、内なるモデルではなく外のモデルに倣って描いていた。直観、演繹、記憶を拒絶し、その場での写生しか認めなかった。自分を藝術家から鏡へと変えてしまったのだ。おかしなことだ! 前代未聞の綿密さ、途方もない忠実さにもかかわらず、この絶対的に真実である風景画は、ジュール・デュプレやキャバ〔Louis-Nicolas Cabat〕、フレール〔Camille Flers〕といった、効果が現実を置き換えている風景画と比べると、真実味がないように見えた、というのは、これらの相対的に真実である藝術家たちは自身の知性と感情を結びつけており、細部の正確さを欠いていても全体の真正さによって充分に補われているのだ。
危険のなさそうな道に迷いこんだ哀れなラベルジュの例が証明したとおり、自然の模倣だけが藝術家の目的であってはならない。では、藝術家の目的とは何だろう? 美だろうか? しかし美とは何だろう? これは非常に複雑で晦渋で難しい問題であり、何巻本を書いてもほとんど先に進まないだろう。文学的な美についてすら明確ではないのだから、造形藝術の美については猶更だ。もっとも、定義がないわけではない。
美はそれ自体で存在するのか、それとも相対的に存在するのか? 花はそれ自体の潜在能力において美しいのか、それともわれわれにとって美しく見えているだけなのか? カントによれば、美という観点から見た事物の美的性質は、完全に主観的、つまり、事物が本当に美しいのではなく、われわれの精神的な法則によってわれわれに美しく見えているのだという。なるほど、人間知性の一致が美をもたらし、普遍的かつ不変的な性格を保証するというのは、気高く偉大な考えかただ。しかし、そうした前提を置くと、現実が単なる外観に還元され、現実の否定につながらないだろうか? 過度の観念論は、物質世界をあまりにも断定的に抑圧しないだろうか? さらに疑問がある。藝術の美は自然の美なのか? この樫の木は、絵の中と同じように森の中でも美しいのか? 絵の中のほうがよく見えがちだ、なぜなら森の中ではほとんど目立たないからだ。ただし、それだけではない。ここには、ドードーナやドルイドの森にふさわしい、葉を茂らせた見事な力強い樫がある。あちらには、曲がって割れた幹、雷で折れた先端、折れて片手落ちになった枝の、テプフェール氏が言うところのずんぐりした樫がある。そうだ! もし優れた絵筆で再現されれば、前者より後者を選ぶ愛好家はひとりではないだろう。しかし樫の美しさは、ゆがみ、割れ、曲がり、荒々しく変形し、葉が落ちかけ、破れたり赤茶けたりした葉をつけていることにあるのだろうか? こうした特徴ほど、美しい木という概念から離れたものはないに違いない。画家は、力強い素描、荒々しい作風、激しい筆致によって、曲がった幹に老成や威厳、孤独、憂鬱といった意味を表現させるだろう。恐怖を与えたいのであれば、幹をそれとなく人間の横顔や幽霊の姿のような形にするだろう。醜い要素をすべて入れた上で、絵画的にも性質的にも美しくするのだ。だからロ・スパニョレット〔ホセ・デ・リベーラのこと〕の恐ろしい絵が、腹を裂かれた殉教者やぼろを纏った浮浪者を描いていても、楽しい神話の優雅な主題を描き、鮮緑の草原に白妙の女性、群青色の空に薔薇色の愛だけを見ることができるグイド〔Guido Reni〕やアルバーニ〔Francesco Albani〕の絵と同じくらい、あるいはより美しいのだ。同様に、獣の伝染病や、血膿と泡の混じった黒い血を吐いて死ぬ雄牛を描いたウェルギリウスの詩は、藝術に必要な美しさを全て備えており、涼しげで青々としたテンペ渓谷や柳に向かって逃げるガラテアを詠った詩に並んでいる。
ここから藝術のための藝術という有名な命題へと一直線につながるが、テプフェール氏はこの命題を全く理解せず、馬鹿げていると決めつける。「藝術のための藝術とは、形のための形、手段のための手段、と言っているようなものだ」と憤慨して叫ぶのだ。この教義をきちんと理解すれば、いかなる主題であろうと関係なく、それぞれの藝術家によって込められた理想、感情、作風にのみ価値がある。テプフェール氏は、シェイクスピアやモリエールが客観的かつ主観的であり、美の探求を自由に歩んでいると称賛する一方で、ヴォルテールが自分の詩を自分の特定の計画や目論見に奉仕させていると非難するが、彼は自分が狂気であると宣言した教義を称えているとは気づいていない。藝術のための藝術とは、信奉者にとっては、そのものの美しさ以外の何にも束縛されない仕事ということだ。シェイクスピアが『オセロ』を書いたとき、嫉妬に捉われた人間を示す以外の目的はなかった。ヴォルテールが『マホメット』を書いたとき、この預言者の姿を描くという意図だけでなく、一般的に狂信の欠点を、とくに当時のカトリックあるいはキリスト教の司祭の悪徳を示すという意図があった。ヴォルテールの悲劇は、この異質な要素を入れこむのに苦労し、哲学的な効果を出すために、絶対的な美の美的効果を欠いている。『オセロ』は先入観を些かも裏切らないが、百科全書派らしい長台詞の『マホメット』よりも百クデ〔1クデは肘から中指先端までの長さ(約50cm)〕上にある。
テプフェール氏が多くの機会にジュネーヴの狭い視点から攻撃する現代の流派の理念とは、まったく偏りなく、まったく打算なしで、扱っている対象と関係のない暗示や方向づけに頼らず、美そのもののための美の追求であり、これこそ最も高尚で最も哲学的な藝術との向き合いかたに違いないとわれわれは信じている。
藝術のための藝術という教義に反対する者たち、とりわけテプフェール氏の大きな誤りは、形が観念から独立しうるという信念だ。観念なしに形は生まれないし、形なしに観念は生まれない。魂は肉体を必要とし、肉体は魂を必要とする。骸骨は、支持構造のない肉塊と同じくらい醜い。テプフェール氏のいう、よく彫刻された美しい壺に平凡な酒しか入っていない、という対比は、適切でない。蓮形の聖杯から天使たちが現われ、取っ手の曲線で翼の抱擁を交わすベンヴェヌート・チェッリーニの銀製の酒瓶は、たとえシュレーヌやアルジャントゥイユのワインしか入っていなくとも、ボルドーや特級のラフィット、インド帰り〔コス・デストゥルネルのワインのこと。ボルドーからインドへ出荷したものの売れ残ってフランスに戻されたコス・デストゥルネルのワインが程よく熟成されていたことから〕で満たされた長口で長首のガラス瓶よりも優れている。ソムリエやワイン鑑定士でもない限り、そう思うだろう。藝術において形は、程度の差はあれ苦いドラジェ〔アーモンドの糖衣菓子〕である倫理や哲学を包む巻紙ではないのであって、形に美のほかの用途を求めるのは、あらゆる高次の息吹を感じられず普遍的な視点を持てない精神の表われである。ピブラック〔Guy du Faur de Pibrac〕の四行詩や法律家マシュー〔Pierre Matthieu〕の文章を最良と看做しかねないこうした傾向は、テプフェール氏でさえ否定している。
ならば藝術は、偏屈な無関心主義で、生きたものや同時代のものから氷のように切り離され、理想的なナルキッソスのように、水面に映る自分自身だけを称え、自分自身に恋するのでなければならないのか? いや、藝術家は何よりもまず人間である。藝術家は、同意するにせよ反発するにせよ、同時代の愛憎や情念、信仰、偏見を作品に反映させてよい、ただし神聖な藝術が常に藝術家の目標であり手段ではないという条件の下で。美の永遠なる法を満たす以外の意図で行なわれたものは、後世には何の価値も持たないだろう。仕事が終わったら道具は捨てられる。採掘と彫刻は違うのであり、ある時期において壁を壊したり鉱山を掘ったりするのが有用で、壁が崩れ鉱山が爆破されたら職人の技術と勇気が充分に称賛されるとしても、そうした労働は後に何も残らない。だから藝術家たちは哲学の一派や政治の一党に奉仕しないよう気をつけてほしい、理論を積んだ荷車が深い轍に嵌まるのは放っておき、調和のとれた連、高貴な型の頭、不変かつ普遍の美を調べ求めたと分かる純粋な線の胴体によって、どんな功利主義者よりも人間の完成に役立ったと信じてほしい。ホメロスの詩、ペイディアスの彫像、ラファエロの絵画は、いかなる人間観察家の論文よりも魂を高めた。彼らは、自分からは理想に気づかなかった者に理想を認識させ、それまで物質的であった心にこの神聖な要素を導入した。
藝術のための藝術とは、形のための形ではなく美のための形を意味するが、美とは関係のない思想、何らかの教義のための転用、直接的な有用性はすべて別である。知性のない不誠実な極論によって有名になったこの命題を、それ以外の方法で理解した者は、現代の流派の師にも弟子にもいないだろう。テプフェール氏と口論する破目になったからには、誰もが詩を記憶し口ずさんでいる現代の最も偉大な詩人のひとりに対する悪趣味な攻撃を使って、彼を非難してみよう。教育的な口調は『ジュネーヴ短編集』を書くことのできる優雅で繊細な心には相応しくない。その時代遅れの批評には、何か田舎じみた古臭いところがあって、素晴らしい本に汚点を作っている。
ここで美の定義に戻ろう。テプフェール氏の定義を紹介する。「藝術における美とは、完全に人間の思考のみから生じるものであり、自然物の再現を通じて自らを表わす以外のいかなる束縛からも自由である」――この命題に続いて、もうひとつ、次のような命題が与えられている。「美術全般、とくに絵画において、使用される表現記号は高度に慣習的である、というのは、美術で再現する自然物に応じてしか表現記号が変化しないはずだとしても、時代や国、流派、個人によって絶えず変化するからだ」
絵画の慣習的な記号なるものは、自然物の再現であるのを止めて常に同じになってしまうのだから、その変化や相違を主張するテプフェール氏には全く同意できない。時代や国、流派、個人による違いは、自然の中に存在理由がある。テニールスとレオナルド・ダ・ヴィンチ、ペイディアスとピュジェ〔Pierre Puget〕、ブーシェ〔François Boucher〕とジェリコの作品どうしがほとんど関係ないのは、慣習的の記号が場当たり的に変化したからではなく、気候や時代、習俗、風習、そして何よりも藝術家のものの見かたや作風によって変わる型が異なるからだ。模倣、あるいは翻案であれ、それが忠実であればあるほど、より多様になる。少し皺のついた大理石のトゥニカ(チュニック)を着るペイディアスの時代のギリシャ女性、薄雲の中で神秘的に微笑むモナリザ、磁器人形のような姿で居酒屋の女中をからかう農民、真っ白な子羊を牽く摂政時代ふうの化粧をした羊飼いの娘は、断じて気まぐれではなく、同時代の型を正確に表わしている。美が藝術家の思考のみで生まれるとは、もはや言えないだろう。いつも前もって概念が存在するわけではない。高貴な、優美な、あるいは珍しい型との出会いが想像力をかき立て、偶然の出来事がなければ生まれなかったであろう作品をもたらすこともしばしばだ。多くの画家や彫刻家は、外から美の印象を受けとり、物質から観念へと進んでゆく。したがって、自然から借用した形を先験的な美の観念に着せるのではない。まったく逆の動きだ。観察し選択した型を生かすべく、あとから心に息を吹きこむのだ。観念に形を与えるのではなく、形に観念を与えるのだ。魂が肉体を得るのではなく、肉体が魂を得るのだ。この最後の過程は、最も簡単なように見える。カウカーソス山で磔刑となった巨神〔プロメーテウスのこと〕は、自分の粘土像を作ったとき、天から炎を奪い、自分の手でこね上げた似姿の物言わぬ腹に松明を押しあてた。
人間の脳による空想は、果てしないように思われるが、とても限られているのだ、創られたものの形しか想像できないのだから。最も怪物じみたキマイラでさえ現実味があり、おかしな見た目は別々に実在する部位を組み合わせているにすぎない。ライオン、ヤギ、ヘビはそれぞれ、ベレロフォンによって殺された醜い獣〔キマイラのこと〕のものとされる手足を持っている。メガロニクス、魚竜、翼竜、マンモス、パレオテリウムといった大洪水以前の動物や、もっと最近の時代でも、ニューホランド〔オーストラリア大陸のこと〕の奇妙な動物たち、さらにはガス顕微鏡〔自然光ではなくガスを燃やして光源とする機構の顕微鏡〕によって明らかとなったうごめく世界は、鉛筆や鑿の気まぐれを予め根拠づけていたのだ。グリュプスやヒュドラ、ドラゴン、ハルピュイア、メドゥーサ、セイレーン、トリトンは、自然史によって引き受けられている。装飾の分野では、限りないように思われながら、植物の葉や萼、枝、梢が、唐草模様、渦巻模様、枝葉模様といった図案をことごとく提供している。アメリカやインドの花は、素晴らしい花を発明したと思っていた装飾画家が盗作者か模倣者でしかないことを、すぐさま証明する。当のサラセン人でさえ、線の絡みや組み合わせにアラベスク模様の原理を求めても、円や三角形、四角形といった数学的図形に分解するだけに終わった。アルハンブラ宮殿の壁を這う並外れた線や、アベンセラヘスの間や二姉妹の間〔どちらもアルハンブラ宮殿の部屋の名〕の丸天井から下がる鍾乳石に、三角法や結晶学で説明できない形はない。花瓶を作るにしても、すべて発明された形と思われているが、カボチャや卵、花萼を真似ているか、あるいは中に入れるものに応じて型が決まっている。――どれほど偉大な藝術家でも形を思い描いたことはなく、神や精霊といった抽象的な対照を表わそうとすれば人間の型に戻るほかなく、それ以外の形など発明できない。
このように、存在しないものは作り出せないので、美を表現するには自然の形を使うしかない。完成という概念や感覚は藝術家に予め備わっているとしても、文字体系は目に見える世界から探さねばならない、それがテプフェール氏のいう慣習的な記号を与えてくれるのだ。もっとも、われわれのうちに美の観念が予め存在するとしたら、たとえば生まれつきの盲人のうちにも存在するだろうか? カンズ=ヴァンの住人〔盲人のこと。カンズ=ヴァンはルイ9世の設立した盲人収容施設で、収容人数が15×20=300人であることから〕は、藝術の美について、どのように想像できるだろうか? 触覚によって、輪郭や突起は認識できるだろう。しかし、そうした混ぜこぜで部分的な認識では、藝術の中で最も物質的な表現である彫刻さえ評価できない。間違いなく連続した触覚によって彫像の長所と美を判断するのは、既に教育を受けている視力を失なった藝術家であれば可能かもしれないが、生まれつきの盲人には永遠に不可能だ。したがって、美の観念は、カントの主張するほど完全に主観的ではなく、また定見でもなく、しばしば印象なのだと、認めねばならない。魂と外界をつなぐ窓のひとつを閉めると、外界に反応する機能が使えなくなり、生得的と思っていた観念が消える。おそらく、観念は潜在的な状態として残っており、表現手段がないから消えたように見えるだけだという反論があろう。ただ、それは感覚がなくなったときに魂はどう傷つくかという非常に難しい問題にかかわるので、ここでは議論しない。美の定義に戻ろう。
〔モーゼス・〕メンデルスゾーンによれば、「その本質は、多様性の中の統一性である」。この命題は不完全だ。美は、統一性や多様性といった条件を越えて、その外に存在する。両方の性質を兼ね備えた作品が美しくないことも多い。《ベルヴェデーレのアポロン》は多様でなく、ラファエロの《変容》は統一的でない、しかしどちらも立派な作品である。ごく凡庸な詩や絵画で、メンデルスゾーンのいう条件を満たすものもあるが、そのために優れてはいない。
ヴィンケルマンは、「美とは、それが何であるかを言うよりも、それが何でないかを言うほうが簡単なものである」と主張する。用心深い格言であり、疑いようのない真実だが、あまりにも疑いようがないため、問題をほとんど進展させられない。他の場所では別の定義を与えているが、そちらのほうが納得できるというわけではなさそうだ。「統一性と単純性が、美の真の源泉である」確かに、統一性が美の本質的な資質のひとつであるのは、同意できる。しかし単純性とはどういう意味だろう? 豊かなもの、多様なもの、装飾的なもの、複雑なもの、さらには、洗練されたもの、人工的なものの反対だろうか? しかし、豊かなもの、装飾的なもの、複雑なものは、美の要素となっているし、ヴィンケルマンの執着する古代美術には充分に正しく当てはまる命題だとしても、傑作の多くが複雑で華美である現代の絵画や詩、とくに音楽については間違っている。そうした見方では、ルーベンスやミケランジェロ、シェイクスピア、ベートーヴェンといった、間違いなく単純でない者たちは、どうなるのか? もし単純性を自然体でいる才能と理解すべきだとしたら、多くの者は平凡な組織の中でこの資質を持ち、そして自ずと平板である、ただそれだけだ。
ヴィンケルマンの友人であるメングスは、美を「目に見える完全性、至高の完全性の不完全な像」と定義する。ティークとヴァッケンローダーは同じ考えを「美は天の明るさからの唯一かつ一筋の光だが、異なる場所にいる人間たちの想像力のプリズムを通過するとき、千の色彩、千の色調に分解される」と表現している。言葉の明晰さに程度はあれ、これらが述べているのは、ヴィンケルマンやそれ以前の多くの者たちによる命題にしたがえば、至高の美は神に宿る、あるいは、より哲学的に厳密な表現をすれば、美とは絶対的な本質において神であるということだ。
バーク曰く、美とは、愛あるいはそれに類する情念を生み出す性質あるいは身体的特徴である。オランダ人のヘムステルホイス〔Frans Hemsterhuis〕によれば、魂は最も短かい時間のうちに概念を形成できるものを美と看做す。前者の定義では、美を身体における美、それも愛を感じさせる身体だけに限定している。バークにも功績はあるにせよ、これは全く議論の余地なしである。ヘムステルホイスの定義は、面白すぎるほどに滑稽である。パルテノン神殿や『イーリアス』よりも、敷石ひとつや雑誌の一行のほうが、魂はより短かい時間で概念を形成できるに違いないないからだ。
アンドレ神父〔Yves-Marie André〕は論文で、こう述べている。「美は、どのようなものであれ、常に秩序を基礎とし、統一を本質とする」この定義は、表面的には正しく尤もらしいが、不完全である、というのは、美はしばしば秩序の破られたところで炸裂し、完璧に整った作品には欠けているからだ。ディドロを信じるならば、関係性の感覚が美を構成する。ディドロを信じてはならない、関係性の感覚は、すべてがどうでもよいもの、すべてが不愉快なもの、さらにはすべてが明らかに醜いものの集まりのうちにも存在するからだ。マルモンテルは、美の三大資質とは、力、豊かさ、知性であると述べている。それに対してテプフェール氏は、自然においても藝術においても力のない美や美しくない豊かさはしばしば見出されるし、また知性は、有用性や公平性、善、そして悪に対してさえも、美に対してと同じくらい大きな役割を果たす、と正しく反論している。
プラトンは対話篇『大ヒッピアス』で「美は、個別のもの、相対的なものに求めるべきではない。個々の美しいものがあったとして、それらは単独で美しいのではなく、個々の事物を越えて、それらの美を作っている絶対的な美が存在する」と定める。クーザン氏〔Victor Cousin〕が対話篇に註釈をつけている。「すべてのものを美しくするのは、美のイデアのみである、と考えてほしい。あれこれの部分の置きかた、あれこれの形の組み合わせが、美しいものを美しくするのではない。なぜなら、あらゆる配置、あらゆる構成から独立して、それぞれの部分、それぞれの形は、全体の布陣が変わっても、先だって美しくありうるからだ。美は、われわれが美を美と瞬時に分からないこと、つまり、そこに見出される美のイデアに心打たれないことによって、宣言される。美のイデアについて、それ以外の説明はできない」
すでに長くなりすぎた定義の羅列はここで終わりにして、要約しよう。美は、絶対的な本質において、神である。神の領域の外に美を探すのは、この領域の外に絶対的な真や善を見つけるのと同じくらい、不可能である。したがって、美は感覚的な秩序ではなく、精神的な秩序に属する。美は不変である、なぜなら美は絶対的であり、変化しうるのは相対的なものだけだからだ。そうした高次の領域から感性的な世界へと降りると、美は、それ自体ではなくその表現において、外的な影響を受けるようになる。風習や習俗、流行、堕落、野蛮は、感覚を乱すことがある。ときに神殿は崩れ落ちる。しかし廃墟を片づけたら、必ず瓦礫の下に不動で静謐な大理石の神が見つかる。
これは、手段や工程、物質的な技術、物理的な正確さを軽視すべきと言っているのではない。隠れた美を表現するには、感知しうる形の規則に従わざるをえない。ただ、生活や物質世界の絵を通して、画家は自分の理想とする夢を追求し、地上界を描きながら天上界を、人間を描きながら神を思うのだ。そうでなければ、画家の作品は、いかに驚くべき出来栄えであっても、傑作に相応しい、一般的で、永遠で、不変的な性格を持たず、生命を欠くだろう。
テプフェール氏の欠点は、真面目すぎると同時に軽薄すぎることだ。『センチメンタル・ジャーニー』や『部屋をめぐる旅』のような空想にしては真面目すぎる。美の問題をひたすら美学的に考察した真面目な論考にしては軽薄すぎる。第一巻では、気まぐれ、諧謔、スターン的な脱線の占める割合が、ほぼ哲学に占められた第二巻と比べて、あまりに大きい。中国のインクについては、もはや言及されない。驢馬は、有益な仕事を提供したあと、厩舎に戻される。正直にいって、驢馬がいないのは不愉快に感じられる。この驢馬は、素直で穏やかな顔、夢見るような目、落ち着きのない耳、「赤毛の」毛皮を持ち、難しすぎる章どうしの間に上手く挿し挟まれていた。著者自身この虚しさを自覚しており、埋め合わせのために、本書の最も美しい段落のひとつで、丘の上へ、梁を四角く切り出している、丘の麓から空に影絵が見えるふたりの男と話をしに行く。ふたりの規則正しい打撃が、耳に心地よい調子とともに木屑を落とす。ひとりの女性が質素な食事を運んできて、梁に座った著者は、ふたりと会話しながら、森の上を風に流される霧、金色の峰を照らす淡い光、そして背景の暗い平野には黄色くなった葦と煌めく沼の水面の揺らめきを見る。小さな絵は見事な手つきで描かれており、たくさんの美学の章よりも好ましい。画家は、幾つかの線で遠景を描き、間の余白を示唆し、強調と陰影で前景を際立たせる。一筋の陽光が雲を抜け、裂けた雲間から雨の線を降らせ、矢筒の矢のように、水平線に茂る森へと落とす。切られたばかりの梁の何と美しい乾鮭色だろう、その温かく生き生きとした肉感的な色が、空の紫がかった灰色や後ろの青みがかった霧を引きたてていることか! 夕方になると、霧が濃くなり、険しい山道で霧に霞む馬車の車軸の軋む音が聞こえる。
何でもないが、魅力的だ。光は滑り、風は溜息をつき、森は脈打つ。木こりや荷車牽きで象徴された人間の営みが風景に活気を与え、秋の気配とともに心揺さぶる憂いを帯びてくる。また、著者が自分の老いに驚いて、まずは悲しみ、続いて苦味と向きあうページも大好きだ。――今世紀とともに生まれた著者は〔テプフェールは1799年生まれ、1846年没〕日付が年齢であり、増え続ける数字が自分の衰弱を何よりも残酷に思い起こさせる。一緒に歩く道連れは著者の分身で、著者よりも長生きするであろうし、寒々しい老人となった著者が日の当たる壁に身を寄せ、忘れられた遺体となった著者が厚い茶色の土に埋まって空地の高く茂った雑草や刺草の只中で崩れても、まだ若いのだ。分身は、墓地の外壁よりも高く伸びた糸杉を世話するようになる。いつも散歩の終わりに見ていながら、かつては気に留めず、人生と愛の祭典に酔いしれる若者たちにも気づかれない、葬送の木だ〔ヨーロッパでは糸杉は死の象徴とされ、墓地によく植えられる〕。
七年前、スペインの真珠と謳われる、カリフ〔イスラーム教の最高指導者〕の都グラナダで、アンダルシアの魅惑的な空の下、同じような感覚を味わったことがある。赤い要塞であるアルハンブラ宮殿の上で、容赦ない青空に向かって二本の糸杉が伸び、見る者を飽きさせない。糸杉は、ヘネラリフェ、シラ・デル・モロ、アルバイシン、モンテ・サグラード、シエラ・エルビラ、ススピロ・デル・モロ、シエラ・ネバダからも見える。ムラセンから下山するとき、アンテケーラの丘に並ぶギザギザの街のうち、最初に目に飛びこんでくるのは、喜びの広がる只中で死を想うように悲しい葉の黒いふたつの溜息であり、金や銀、紺碧や薔薇色の眩しい中で唯一の暗い色である。わたしが住んでいた家のテラスから見た糸杉は、目も眩むような光を背に、とてもくっきりと描かれ、まるで手に触れているかのようだった。このメメント・モリ、墓の警告は、わたしの悪夢となったが、しかし銀梅花や夾竹桃の蔭で永眠するのに、これほど穏やかで香り高い土地はないだろう! ――実際には、スペインでは鳩小屋の穴のような、壁の側面に掘った穴に死者を埋葬するので、もしわたしがそこで死んでいたら、遺体は芳香と金粉の土に埋められるのではなく、他の者たちと同じように埋葬されただろう。しかしわたしは、テプフェール氏のように、悲しみと向き合う。苦味は避けよう、それよりも、父親の家を描いた素敵な描写に心を休めよう、農夫の質素な住まいだ、少しずつ増築され、ちょっとした藝術と快適さで飾られていった。冬が来て、早くも雪が降り、近所の高い木々も半分は白く隠れ、小鳥が空腹で震えて垣根の周りを飛びまわり、通行人が道の角に現われ、馬車が斜面を進む。風がパイプオルガンのように廊下を吹きぬける。きちんと戸締まりをした部屋で、上等の肘掛椅子に座り、燃えさかる火のそばで、移ろう視線をウーレット〔William Woollett〕の端正な版画やヘルマン・ファン・スワーネフェルト〔Herman van Swanevelt〕の気まぐれな腐食銅版画に投げかけ、選んだ本の数ページに目を通し、たびたび思考や夢想に手を止めながら何行か書くのは、何と楽しいことか、そして暖炉に映る赤みがかった光が夕刻を告げると、腰を上げ、家族団欒の中心で一家のスープが湯気を立てる食卓につく! しかし冬は過ぎた、家に隣接する、少し荒れた、やや野生の果樹園を散歩してみよう。高地なので、林檎と桜しか生えていない。薔薇は野茨だけだ。しかし、すぐ近くには樅がまとまって広大な森を作り、草原で下がってゆく向こうにはマントヴァ川が急流と氷を転がしている。アルプスの峰々は銀冠で地平線を覆い、下界を影が覆ったあとも輝いている。
こうした簡潔な素描は、冷たい理屈よりも美の観念を呼び覚ます。どれだけの美学論文が、多くのひとたちを退屈させ、一部の雄弁家に機転を発揮させるだけだったことか! 教育的には、そうした細かさは全く重要でないことがほとんどだ。偉大な藝術家たちは大して気に掛けないし、藝術の最も輝かしい時代には全く関わっていなかったと言ってよい。こうした思想の謎めいた起源を研究するのは、詩人や画家、彫刻家、音楽家にとって、役に立つどころか有害であるとさえ思う。霊感とは謙虚なもので、あまりに好奇心旺盛な目で見つめていると、降りてこないのだ。精神の発生学は、哲学者や魂の解剖学者に任せよう。愛、感嘆、熱狂、仕事と余暇、思考と夢想、あらゆる知的陶酔、人生のあらゆる開花に身を委ねよう。波のように輝き、竪琴のように震えよう。プリズムのように、太陽の光や宇宙の流れに貫かれよう! われわれの口に言葉を語らせよう。ホメロスのプレクトラム〔弦楽器を弾くための爪や撥の総称〕、ペイディアスの鑿、アペレスの絵筆を持つ、まだ見ぬ者に任せよう、ちょうどよい時期にやってきて、最も繊細な分析者でさえ気づけない言葉や線や色調で、ふいに詩や彫刻や絵画を輝かせる来訪者に任せよう、そして、もし本当に美の定義が必要ならば、プラトンの定義を受け入れよう。「美とは真実の輝きである!」
テオフィル・ゴーティエ
(訳:加藤一輝)
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?