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学校では特定のスキルを身に付けることよりも精神力を育むことを優先すべきではないか?

近年実業家の堀江貴文さんやサッカー選手の本田圭佑選手などを中心に「学校に行く必要はない」という主張をされる方が増えたような気がするのですが、これに関しては賛成という方もいれば反対の方もいるのではないかと思うのですね。

ちなみに私の主張としては「一部の優秀な子供は学校に行く必要がない」というものとなっており、私の場合は学校を必要としない優秀な子供は決して学校に行く必要はないのではないかと思うのです。

それではその『優秀な子供』とは一体どのような子供なのかということなのですが、私が思うに優秀な子供というのは自らの道でしっかりと努力をすることができる子供となっているのですね。

そもそも現代の日本は朝8時頃から夕方の4時頃まで学校があることから、例えば野球やサッカーなどで頑張りたいという子供はどうしても放課後の時間しか自らの活動に充てることができないという状況となっているのです。

しかし自らの分野でしっかりと努力をしていけるという子供であれば無理矢理学校で授業を習わせなくとも、自分が頑張りたいと思う道、野球やサッカーで頑張りさえすればいいのではないかとも思うのですね。

もちろんこのような子供たちも土日は自分の時間をじっくりと使うことができるかもしれないのですが、それでも野球やサッカーが第一に来ており、そして野球やサッカーに時間を十分に充てたいという子供であればやはり学校に行く時間はもったいないと感じることになるのではないかと思うのです。

そのような経緯から個人的にはしっかりとした精神力があり自らの分野で頑張って努力をすることができるという子供に関しては無理に学校に行く必要はないのではないかと思うのですが、その一方で学校がなければ家でゴロゴロしていたり、ひたすらゲームをしたり、テレビやYouTubeばかり見ていたりするという子供に関してはやはり学校に行ったほうがいいのではないかと思うのですね。

確かに現代の学校で習うような授業の内容はその大半が大人になったら役に立たないものとなっているのですが、それでも学校に行っている間だけでもテレビや携帯、ゲームから離れることができるというのであれば家でグータラしているよりは学校に行ったほうがまだましなのではないかと思うのです。

そのような経緯から私は学校は一部の優秀な子供以外は行ったほうがいいのではないかと考えているのですが、それでもなかには例え優秀な子供でもやはり幼い頃は学校に行ったほうがいいと考える方も多いのではないかと思うのですね。

まぁこのような議論に関しては唯一無二の正解はないことだと思うのですが、それでも個人的には現代の教育から考えるにはやはり優秀な子供は学校に行く必要はないのではないかと思うのです。

その理由については本章でしっかりと見ていきたいと思います^^

幼い頃から将来に役立つスキルを身に付けるのは無理?

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それでは早速『学校』というテーマについて見ていきたいと思うのですが、近年は実業家の堀江貴文さんやサッカー選手の本田圭佑選手が「学校に行く必要はない」と主張していることから学校には行かなくてもいいのではないかと考える方も増えてきたのではないかと思うのですね。

確かに現代の学校で習わされる『国語』や『算数』『理科』『社会』などの科目は社会に出てから役に立たない知識も多いことから、学校には行かなくてもいいと考える方が増えてくるのも仕方がないことかもしれません。

まぁ様々な理由で子供が学校に行くことができないような国の方々からしてみれば、我々日本人のように毎日平和に学校に行けているというだけで幸せだと思えるかもしれないのですが、それでも実際にこの日本で生活している方のなかには学校に行ってしまったせいで多大な時間を削られてしまったというふうに考える方も多いのではないかと思うのですね。

確かに学校で習うことのなかでも漢字の読み書きや簡単な四則演算、公民や政治に関してなどは覚えておいたほうがいい知識であり、のちの人生にも役立ってくるかもしれないのですが、その一方で学校で習う授業のなかでは実生活ではまったく役に立たずテストでいい点を取ってしまえばその後の人生においては完全に不要となる知識も多いのではないかと思うのです。

そのような経緯から考えるに多くの方が「学校に行く必要がない」というふうに主張するのも無理はないことかもしれないのですが、それでもまず個人的に主張したいのが子供の頃から将来に役立つスキルを身に付けるのはほぼ不可能ということなのですね。

確かになかには幼い頃から野球をしていた方がプロ野球選手になる、幼い頃からサッカーをしていた方がサッカー選手になるなどというような事例もあるにはあるのですが、それでも子供の頃から磨いてきたスキルが大人になってからも役に立つというのは本当に一部の方たちだけなのではないでしょうか?

やはり幼い頃から野球、サッカー、水泳、ピアノをやってきたという方のなかでもその分野でプロとなり幼い頃から磨いてきたスキルで表舞台に立つことができる方などは本当に限られてくるのではないかと思うのですね。

そのような経緯から考えるに我々の多くは自らの将来がどうなるかは分からない以上、幼い頃から将来に直結するようなスキルを身に付けるのはほぼ不可能なのではないかと思うのです。

もちろん幼い頃から野球をしていた方が野球選手になる、サッカーをしていた方がサッカー選手になるというのはロマンがありいい話なのではないかと思うのですが、それでもそれは全体から見るとほんの一部の例に過ぎず、大抵の場合は幼い頃から磨いてきたスキルが将来に直結することなどはないのではないかと思うのですね。

そのためまず理解しなければならないのは我々の大半は幼い頃の段階から将来に直結するようなスキルを身に付けるのはほぼ不可能であるということなのです。

現代の学校教育に関して「勉強なんて将来の役に立たない!」というふうに主張される方は多くまさにその通りだと思うのですが、だからといって幼い頃から将来に直結するようなスキルを身に付ける教育をすることができるのかと言われればやはりそのようなことはできないのではないかと思うのですね。

やはり子供たちが将来どのような職業に就くのかとことは本人たちも分からなければ当然ながら親や教師なども分からないことから、幼い頃から将来に直結するようなスキルを身に付けることなどそもそも最初から無理であるということなのです。

そのためまず我々が理解しなければならないのは子供たちに幼い頃から将来に直結するようなスキルを身に付けさせるのは無理であるということであり、幼い頃の段階ではそれぞれの子供たちに将来どのようなスキルが必要になるのかを分からないままに教育を施さなければならないということなのですね。

確かに現代の学校教育で行われているような理科や社会の授業などの多くも子供たちの将来にとって大事になってくるのかと言われれば決してそのようなことはないことだと思うのですが、だからといって幼い頃から将来に直結するようなスキルを子供たちに身に付けさせることができるのかと言われれば決してそのようなこともないのではないかと思うのです。

そもそも特定のスキルというのは誰もが使えるようなれば価値はなくなると私は考えており、例えば一部の方たちが英語を流暢に話すことができれば英語を話せる方は貴重な存在ということになることだと思うのですが、その一方で誰もが英語を話すことができるようになれば英語を話せるというスキルそのものはほとんど価値がなくなってしまうのではないかと思うのですね。

そのような経緯から考えるに義務教育の一環として子供たち全員にある特定のスキルを身に付けさせようと思えば、その時点で誰もが使えるようになることからそのスキルは社会においてあまり価値のないものということになってしまうのではないかと思うのです。

そのため幼稚園や小学校の段階で子供たちに将来に直結するようなスキルを身に付けさせるのは非常に難しいということになるのではないかと思うのですが、それでは教育において重要なのは一体どのようなこととなるのでしょうか?

私が思うに教育において非常に大切になってくるのは「精神力を育む」ということなのではないかと思うのですね^^

特定のスキルを身に付けるのではなく精神力を育む?

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続いては私が思う現代の学校教育において必要なことについて見ていきたいと思うのですが、私が思うに学校教育において必要なのは「精神力を育む」ということなのではないかと思うのです。

前章では幼い段階で将来に直結するようなスキルを身に付けるのはかなり難しいという内容について見ていったのですが、だからこそ私が思うには学校教育で必要なのは精神力を育むことなのではないかと思うのですね。

それでは具体的に精神力を育むとはどういうことなのかということなのですが、私が思うには学校教育において特に身に付けておいてほしいと思うのが『自分の頭で考える力』『努力をする力』なのではないかと思うのです。

『精神力』というふうに書くとなかには単純に我慢する力、パワハラなどに耐える力などというものを連想される方もいるかもしれないのですが、私が主張するのは決してそのようなものではなく自分の頭でしっかりと考え行動に移す力と、努力をする力が必要なってくるのではないかと思うのですね。

本当はこのほかにも『他者に対して思いやりの気持ちを持つ』ということも挙げたいというふうに私は思っているのですが、それでもこれに関しては必要性がよく分からないという方も多いと思うため、今回の記事では除外し学校教育で育んでほしい主な力としては『自分の頭で考える力』と『努力をする力』に絞りたいと思います。

そもそも我々の多くは特別な職業に就かない限りは高校を卒業した段階、もしくは大学、短大、専門大学、高専(高等専門学校)を卒業した段階で就職することになるのですが、この時点ではその分野に関して素人の方が多いのではないかと思うのですね。

例えば公務員でも一般の会社に就職する場合でもその分野のエキスパートとして就職するケースは少なく、ほとんどの方が試験や面接に合格して内定を得たもののその分野に関しては素人という段階から仕事がスタートするのではないかと思うのです。

そのような経緯から考えるに我々の大半はどんな仕事に就くにせよ大抵の場合その分野の素人として仕事を始めることになることだと思うのですが、だからこそ最も必要となってくるのが『精神力』なのではないかと思うのですね。

そしてその精神力のなかでも特に必要なのが自分の頭で考え行動に移していく力と、努力をする力となっているのではないかと思うのです。

これはよく言われていることなのですが社会に出てしまうとそれまでの学校教育での勉強のような絶対的な正解がある問題に取り組むケースは少なく、むしろ決まった正解のないなかで自分の決断や判断が求められることが多くなってくることだと思うのですね。

そのような状況において重要なのはテストでいい点を取るような記憶力の良い脳ではなく、自分の頭でしっかりと考え決断することができる力なのではないかと思うのです。

社会に出てしまえばそこからは正解のないなかで自分なりに色々と考えて物事を実行していなければならないことだと思うのですが、そのような状況において大切になってくるのが自分の頭でしっかりと物事を考え実行していく力なのではないかと思うのですね。

皆さんとしても自分の部下として欲しいのは言われたことを愚直に実行するだけの人よりも、自分の頭でしっかりと考え創意工夫していける人なのではないかと思うのです(部下はイエスマンがいいという方は後者かもしれませんが‥‥)。

そしてどんな仕事であれ時には正解のない大きな課題を突き付けられ、その難題に対して自分なりに創意工夫して立ち向かわなければならないこともあることだと思いますし、例え大きな課題に直面しなくとも普段から仕事においてより良い成果を出そうとして仕事の仕方を工夫していくのは重要なことなのではないでしょうか?

例えば私が高校生の頃は多くの教師から数学を習ったのですが(高校3年間を通して計4人の教師に習いました)、なかにはしっかりとノートに教える内容をまとめて生徒に分かりやすく教えようとする教師もいれば、大して準備もせずにホワイトボードに汚い字でずらずらと教科書の内容を丸写しし授業をするような教師もいたのですね。

そしてこの場合前者の教師と後者の教師でどちらのほうが授業が分かりやすかったのかと言われれば当然ながら前者の教師だったのです。

このように決して大きな課題に向き合わなくとも普段から自らの仕事において創意工夫をし、少しでも良い成果を上げようとする姿勢は非常に大切になってくるのではないかと思うのですね。

そのような経緯から私は社会に出てから必要となってくる能力であり、幼い頃から育んでおいてほしい能力として「自分の頭で考えること」を挙げているのです。

続いては「努力を継続する力」となっているのですが、これに関しては誰が見ても必要であるということが分かることでしょう。

どんな分野で仕事をするにしてもやはり努力を継続する力は必要となっており、高い集中力で長い時間仕事を継続することができる方であればあるほど優秀であるという傾向があることは間違いないのではないかと思うのですね。

そのような経緯から私は学校で育んでほしい力として「努力を継続する力」を挙げているのですが、そのほかにも当然ながら身に付けておいてほしい力はたくさんあるのです。

例えば

・人を思いやる力
・コミュニケーション能力

・礼儀作法
・自分の意見をハッキリと主張する力

などのものがあるのですが、今の学校ではこのような能力を育むということに関してはいまいち疎いのではないかと思うのですね。

やはり現代の学校教育ではどうしてもテストでいい点を取ることが目標となってしまっていることから、なかなかこのような能力を伸ばすという発想には至らずどうしても「勉強、勉強」となってしまうのではないかと思うのです。

まぁ現時点で学校教育の内容がそのようなものとなっていることに関しては誰に責任があるというわけでもないことから批判をしたいというわけではないのですが、それでもこのような状況のままではやはり子供たちの精神力は育まれず言われたことをやる能力は高いけれども自分の頭で考える力は弱いということになってしまうのではないかともうのですね。

そのためやはりその道のりは長いと分かっていながらも徐々にテストでいい点を取るための教育から精神力を育むような教育にシフトしていなければならないのではないかと思うのです。

精神的に成熟している子供は学校に行く必要はない?

仕事9

ここまで学校教育では特定のスキルを身に付けることよりも精神力を育むことを重視したほうがいいのではないかということについて見ていったのですが、その理由は幼い頃から特定のスキルを身に付けるのは非常に難しいからとなっているのですね。

やはり私自身もそうだったのですが、大抵の場合は子供が将来どんな職業に就くのか分からないことから、将来の職業に直結するようなスキルを子供の段階から身に付けるというのは非常に難しいことなのではないかと思うのです。

もちろんなかには幼い頃から野球をしていた子供が大きくなってプロ野球選手になる、サッカーをしていた少年がプロサッカー選手になるなどという事例もあるのですが、それでもそれはごく一部のケースであり大半は幼い頃に取り組んでいたことと大人になってからの職業には何の関連性もないのではないかと思うのですね。

そのような経緯から考えるに小学生の頃から特定のスキルを身に付けるというのは「やるorやらない」というよりは「できない」ということになることだと思うのですが、そのような理由から私は学校教育というのは精神力を育む場にしたほうがいいのではないかと主張しているのです。

もちろんそれは非常に難しく、さらに子供の保護者からすれば「これさえやっておけばいい就職先に就くことができる!」という保証となるようなものが欲しいと思うことからやはり勉強というものはあったほうがいいと思われる方も多いのではないかと思うのですね。

確かに現代の学校で習うような勉強は大抵の場合将来の役には立たないのですが、それでも子供の親からしてみれば「これさえやっておけば将来はいい就職先に就くことができますよ!」という尺度は欲しいに決まっています。

そのような経緯から考えるに例え将来の役には立たなくとも勉強というものは子供たちの親からしてみれば非常にありがたい存在とも言うことができるのではないかと思うのですね。

とは言えやはり子供の頃に学校教育で習うような勉強の内容はその大半が大人になってからも使うものではないことから、その内容は無駄であり学校なんて行かなくてもいいというふうに思う方も多いのではないかと思うのです。

確かに個人的にも幼い頃に学校で習ったような内容はその大半を忘れてしまったのですが、それでも普通に生きていて過去に学んだことを忘れたからといってそこまで不便に感じることはないことから、やはり学校の授業の内容にあまり必要性は感じないのですね。

もちろん基本的な読み書き、四則演算、公民、政治、日本の歴史などにおいては知っておいたほうがいいのではないかと思うのですが、その一方で理科の授業で習った実験などに関してはやはりあまり役に立たないことが多いことだと思うのです。

そのため個人的にもやはり学校で習うような勉強というのはあまり必要性を感じないのですね。

そして私はこの記事の冒頭ですでに優秀な子供は学校に行く必要はないのではないかと主張したのですが、その理由は私が理想とする学校が『精神力を育む学校』となっているからなのです。

何度も繰り返すようですが私は子供の段階で将来の自分にとって役立ちそうな特定のスキルを身に付けることはほぼ不可能と思っているのですが、だからこそ「どんな分野に進んでも成果を上げることができる」という人間力が必要なのではないかと考えているのですね。

そのような経緯から私は学校教育においては精神力を育むことが必要なのではないかと考えているのですが、当然ながら小学生の段階からすでにしっかりと自分の頭で考えることができさらに努力をすることができるという子供に関しては無理に学校に来なくとも自分のやりたいことをしっかりとやればいいのではないかと思うのです。

そのような子供に関しては無理に学校に来なくとも、自分の好きなスポーツ、例えば野球をしていればそのプロセスにおいて自分で練習法やバッティングフォームなどに関して創意工夫して試行錯誤することでしょうし、自分の好きな分野で精一杯努力をすることから自然と忍耐力や集中力もついてくるのではないかと思うのですね。

そのような経緯から私はすでに優秀な子供は学校に行く必要がなく、自分の好きな分野でしっかりと努力をし、そのほかの精神的に未熟な子供に関してはしっかりと学校で精神力を育んだほうがいいのではないかと思うのです。

またこれは決して学校が私の理想とするような精神力を育むことに重きを置いたような学校でなくとも同じであると考えており、現時点ですでに優秀な子供が学校に行って無理に勉強をする必要はないと思うのですが、その一方で学校がなければ家でグータラして時間を潰すだけという子供に関しては無理にでも学校に行ったほうがいいのではないかと思うのですね。

そのような子供に関しては例え学校に行ったところで「早く終わらないかなぁ~」と思いながら消しゴムをいじっているだけかもしれないのですが、それでも長時間ゲームをしたりテレビを見たりゴロゴロしているような生活よりはよほどいいのではないかと思うのです。

このように私は学校というのは誰もが一概に行くべきだとは思いませんし、逆に誰もが一概に行かなくてもいいとは思わないのですが、それでも現時点で優秀であり自分が必死になって努力をすることができるという分野がある子供に関しては無理に学校に行く必要はないのではないかと思うのですね^^

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