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『魂の17球』から伝えたい、105回目の夏への思い/高校野球ハイライト特別編・八幡商業

「次投げたら、日常生活に支障が出ます」
こんな言葉をかけられた時、自分なら何ができるだろう。

野球を始めた小学4年から投手一筋。
八幡商業のエースを目指す前田華生(まえだ・かい)の左ヒジは、高校2年だった去年の春、ついに悲鳴を上げた。
診断結果は離断性骨軟骨炎。
6月に手術をしたものの、何カ月経っても痛みが取れない。

「試合のベンチを離れ、トレーニングやリハビリばかりしていた。もしヒジが痛くなければ…もし投げられれば…考えたことは何度だってある」

今年2月には無理がたたって疲労骨折も判明。
医師から文字通りの最後通告を突きつけられ、前田の野球生活は実質的に幕を閉じた。

「家族は『やめたかったら部活をやめていい』と言ってくれた。でも投手用だけじゃなく、外野手用のグラブまでリハビリ中に買ってもらっていて…。今やめたら全部がムダになる。支えてくれた人がいるから頑張らなアカン」

小川健太監督に前田が告げた決断は、「右で投げる」だった。

八幡商業3年の前田華生

最後の夏まで半年を切っている。
1年生を加えて60人を超えたチームで無謀な挑戦に見えても、前田は諦めない。
別の高校に通う双子の弟に右投げ用のグラブを借り、短い距離のキャッチボールから再スタートを切った。

「左投手の頃から投げ方の研究は誰よりもしてきたし、右投げでも同じこと。何を言われても外野のレギュラーを獲るつもりだった」
自主練習を積み重ね、5月に入ると山なりでも外野からホームまで球が届くようになる。

夏のベンチメンバーが発表された日。
誰より本気で取り組んだ自信があったからこそ、名前を呼ばれなかった現実に悔しさが溢れた。

猛練習で磨いてきた右投げ

6月中旬の練習試合。
前田の姿は9回のマウンドにあった。
右手には1年以上も形を整えてきた真新しい投手用グラブ。
小川監督に「最後は左投手で終わりたい」と直訴して実現した登板だった。

「絶対にヒジは痛かったと思うんです。でも、そんな姿を見せない。久しぶりの左投げなのにストライクを取るし、抑えるし…本当に『魂の17球』でした」

そう振り返った小川監督だけではない。
グラウンドに駆けつけた家族も、声を掛け続けたチームメイトも、何より前田本人も「手元のボールが見えない」ほどに涙を流した1イニング。
野球人生の感謝を込めて、最後にして最高の投球を見せることができた。

最高の投球を披露した左投げ

新チーム結成後、秋も春も県大会の初戦で敗れた八幡商業。
前田が「健康な体で野球ができる幸せを感じてグラウンドに立ってほしい」と思いを託せば、主将の平井兜侍(ひらい・とうじ)は「前田や他のメンバーへ弱い所を見せたらダメ」と返した。
苦しみ続けた名門に、逆襲の空気が整いつつある。

WBCの侍ジャパン優勝に沸いた2023年。
スタンドからの声出し応援も解禁され、最高の雰囲気で105回目の夏が幕を開ける。
当たり前だった光景が戻ってくる大会だからこそ、全てのチームに、全ての選手に、改めて前田の思いを伝えたい。

野球ができるのは、幸せだ。

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