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川崎になぜ目を向けるのか-磯部涼「ルポ川崎」

なぜか遠い場所、川崎

横浜に住んでいた学生時代も、東京に住んでいる現在も、川崎は近いはずなのに、どこか遠い。彼女との夏の恒例行事になっていたロックフェス「BAY CAMP」に行くときも、都内では上映が終わってしまっていた白黒版の「マッド・マックス 怒りのデスロード」を観にいった時も、電車に乗ってしまえばあっという間に着くのだけど、どうしてか、実際に家を出るまでにはかなりの気合いが必要だった。

東京や横浜に住みながら川崎を見るときの私たちは、なぜか「隣の街」ではなく、明確に「別の街」を見る目になる。例えばYCATから羽田空港へ向かう高速バスに乗ったとき。進行方向右手にみえる川崎の工業地帯が私は好きだった。あるいは、高速道路から見える工業地帯の夜景を見ながらのドライブ。光り輝く工場群を見ながら、頭のなかでキンモクセイの「二人のアカボシ」が流れる。川崎を見ること、川崎を感じることは、私たちにとって「ちょっとそこまで」ではなく、明らかに「非日常」だ。

この本「ルポ川崎」はまさに、そんな私たちにとっての異世界・川崎を生々しく描写した一冊だ。

闘うストリート

この本が描く川崎は、多くの人々が想像するであろう「日本の日常」とはかなり異質だ。ヤクザと隣り合わせの青春を送る中高生、貧困のなかでヒップホップに人生を賭ける若者、繰り返されるヘイト・スピーチとデモ行進、それに対抗する革ジャン姿のパンクス。どれも、身近な風景だという人は少ないだろう。

しかし、私がこの本を選んだのは、この本がそうした「異世界」を紹介した本だからではない。この本は、私たちが目を逸らしているだけで、実は私たちの足元に転がっている現代日本の普遍的な問題を描写している、と感じたからだ。

私に近い境遇の読者を想定して言わせてもらうが、例えば物心つく頃から大学に進学することが当然の未来だと感じて生きてきた私たちの人生は、実はかなり恵まれている。確かに大学進学率は年々あがっているし、しばらく前から50%を上回っている。しかし同時に、学費はどんどん高騰しており、私が生まれた1980年代と比べると、国立大学の学費は2倍に膨れ上がっている。その間に非正規雇用の割合は急増し、現在では労働者全体の3分の1を超えている。2018年時点での子どもの貧困率は13.5%。7人に1人の子どもが貧困状態にあるのが、私たちが生きる日本の現状だ。

だけど当たり前のようにセンター試験を受け、大学に進学した私たちにとって、そういった貧困の問題は川崎と同じく、すぐそばにあるはずなのに、遠い。友達は皆、堅実に正社員になり、結婚し、子どもを授かり、カフェで食べたランチプレートの写真をインスタグラムに投稿する。「普通に」生きている限り、私たちは、先進国のなかで3番目に相対的貧困率の高い日本に気づけない。そのことこそが問題なのだ。

ヘイトスピーチも然りだ。ヘイトスピーチやデモ行進に参加している人というのは、実は見かけほど多くない。しかしその思想は、確実に私たちの生活領域に潜んでいる。芸術と社会との関係性を広く扱った「表現の不自由展」に対して、偏った理解に基づき、不当な圧力をかけ続けた名古屋市長(大きく報道された「座り込み」による抗議の時間は、実際にはたった7分間だった)。会長自ら在日コリアンを揶揄する声明を、堂々と自社HPに掲載する大手化粧品会社。これらは紛れもなく、私たちの生きる日常のなかで起きている出来事だ。

2020年7月、川崎市で全国初となる、刑事罰つきのヘイトスピーチ禁止条例が施行された。夜景よりもはるかに目を向けなければならない、私たちの問題が、川崎にはある。

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