パウダーの香りはみんなタイムスリップすると思う(プラムでお花見) #カルチャーペアリング
平成最後の春、桜を見かけたのは2回。病院に行く途中のタクシーと、また別の病院から帰るときの夜桜。
もはや恒例となっている上野公園でのお花見も今年はパスし、部屋でじっとしていた。外に出なくても花見をしよう、とようやく思い立ったのはすっかり葉桜になったこの頃。
せっかくだから桜はやめよう
桜は毎年咲くし、どうせ毎年お花見もする。いくら風物詩と言えど、毎回同じじゃなくてもいい気がする。それに、みんなでやってたことを1人でやるのも少し寂しい。
(しょっちゅう変わる実家のコルクボード。左下には中島千波の桜)
せっかく1人で変なことできるなら…と考えあぐねた結果、今年は桜はやめてプラムの花のお花見をすることに決めた。
プラムの花は桜によく似ている。咲く時期も大体同じくらいのようだ。
やっぱり外出する気は全く起きないので、絵画×香水で擬似お花見。
平成最後の春はヨーロピアン風ネオ花見じゃ。
絵画は大好きなピサロのプラム
桜じゃなくてプラムにした決め手はいたって単純だ。プラムの花を描いた大好きな絵画があるから。
オルセー美術館で見た、ピサロの「春 花咲くプラムの木」。日本版のポストカードを所持しているので、おそらく数年前になにかの展覧会でも来日しているはずだ。
パブリックドメインの画像がなかったため、仕方なく自分のポストカードから。
写真にしてしまうとやはり色味や細かな描写がよく伝えられない、本当はもうちょっとだけ赤みが強い。
この絵の良さは、なんというか、小さきものへの愛というか慈しみを感じるところだ。
ただ綺麗な風景画ではなくて、花や芝生、丘の上の家とか全体的に温かみを感じる筆致。この地域と季節への愛情が詰まっていて、優しさとどこか郷愁を誘う。
心穏やかに花見をするにはぴったりの作品。
周りに人がいないのもいい、宴会特有のお酒臭さとか思い出さないし。
香り:記憶の片隅から苦難の末に
続いては香り。
春らしいものはたくさんあるけれど、やっぱりプラムにこだわりたい。
記憶の片隅に、Jo Maloneの確かプラムの香りがするサンプル品を嗅いだことがあったのだが、調べたところ日本ではもう廃盤。当然そのサンプルも行方不明。せっかく思い出したのに役に立たなかった。
手持ちの他のもので代用しようかな、それとも他のプラムの香水を探して新しく買うか。でもなんかこの絵のために新しく買ってみるのはリスクが高いし(外に出ないからネットだと試香ができない)、手持ちのものでもなんかしっくりこない。
そしてネットサーフィンをしている間に、海外限定で復刻していることを知った。
当時と香りは違うかもしれないが、日本で正規品を買えないのだから仕方ない。普段あまり使わないメルカリで、未使用のトラベルサイズが出品されていたので買ってみた。
Jo Maloneの「Plum Blossom コロン」。
パッケージを開けた瞬間に、「あ、知っている」と思った。たぶんだけど、昔嗅いだ香りと変わってなさそう。とはいえ、実際肌につけてみるまでわからないのが香水の面白いところでもある。
1プッシュすると、一気にみずみずしい華やかな香りが立ち上がった。フローラルというよりはフルーティー。あれ、これがプラムの花の匂いだっけ?と思わず訝しむ。
でも、もう少ししてたら落ち着いたお花の香りがしてきた。多分このミドルノートがプラムの花だ。少し青さも感じる。桜もそうだが、プラムも花の匂いは実はそんなに強くない。華やか過ぎない、控えめでしっとりとした香り。
気になって英語の公式ページで調べてみると、最初のフレッシュな香りはイエロープラムの果実の香りだった。トップノートはフルーツの方のプラムだったのか、やっぱりちょっと派手だなと思ったもん。
(ちなみにパッケージも派手。しかもめっちゃバラの花咲いてて戸惑う)
そして香りは徐々に変化していき、最後に残ったのはホワイトムスクの香り。パウダリーでクリーンな香りは、なぜか懐かしさを覚える。
春の優しさにすっぽり包まれたような感覚。あるいは、昔に母がよくつけていた香水の残り香と似ているのかもしれない。
パッケージはさておき、全体的に穏やかな優美さを感じる香りだ。桜と梅の中間のような、控えめだけど可愛らしく、そしてあたたかい。
純粋な春ってなんだっけ
手首に1プッシュしてから改めて絵を見てみると、当然だがこの2つはすごく相性がいいことに感動する。
プラムそのものの香りはもちろんだが、個人的には最後に残るパウダーっぽい香りがこの絵の雰囲気ととてもマッチしているように感じる。もしこの絵が、大きな街や森の中に咲くプラムの花だったらこんなにも合わなかっただろうな。
パウダリーな香りや清潔感のある香りって、色で表すとしたら白とかオフホワイトだ。
なぜか懐かしく、温かで、優しい春の感触がする。
ぼーっと眺めていると、まだ自分が完全に守られていて、穏やかな生活の中で生きていた幼い頃の記憶がだんだんリンクしてきた。
母の香水と似ていたからかも、と書いたが、パウダリーな香りは大抵の人にとって懐かしさを覚えさせるという。
上品な石鹸の香り、といったらなんとなく伝わるだろうか。お母さんの化粧品、洗いたてのタオルが入っていた棚、おばあちゃんの家にある古いドレッサー。きっと、香りを嗅いだ瞬間になにかを思い出して温かな気持ちに包まれるだろう。
私の場合は、この絵と一緒に見ることで母や姉妹と手をつないで歩き、春を、花を、幸せを感じていた頃の淡い気持ちを思い出した。
「お花がよく咲いているねえ」「きれいだね」「あったかいね」などと拙い言葉を交わしながら、純粋に世界を楽しんでいた。私は完全に守られていて、自分の眼に映るものとそのとき思ったことだけに注意をむけていてよかった頃のこと。
それはとっても贅沢で、当たり前なんかじゃないとは1mmも思っていなかった。
一方でこの数年。
時間に間に合わないから急がなきゃとか、誰かのグラスが空いてないかとか、なんでも先回りして考えようとか。
仕方ないのかもしれないけれど大人ってそういう、自分じゃないことばっかりに気を向けないといけない。
だから当然、私にとって春に咲く桜も通り過ぎながら片目に見るものか、もしくは酒席を設けた「お花見」としてその場を楽しむだけのものになってしまっていた。
そうではなくて、純粋に季節をじっくり楽しむこともできたのだ、本当は。
シンプルな言葉で、眼に映るものとその時の気持ちにだけ注意を向ける。いろんなことはさておいて、自分のことだけ考えていい、すっかり守られた状態で。
来年の春、桜が咲いたらそういう贅沢な時間をちゃんと作ろう。もちろん1年に一度じゃなくていいけれど、少なくとも私はそれまでに英気を養っておくように。
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