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『エルサレム』 ゴンサロ・M・タヴァレス

窓から飛び降りようとする男。
余命わずかの女。
性欲に翻弄される男。

好きな向きにはたまらない出だしだ。

32章からなるこの小説の各章には一人あるいは数人の名前が記され、各章ごとに名前を記された人物の物語が進行する。
そして、章ごとのシーンと心理描写を追ううちに少しずつ、彼らの人物像とそれぞれのつながりが形成されていく。
はじめはバラバラと思われたそれぞれの物語は、糸が絡まるように繋がりはじめるのだが、、。

形容の難しい小説だ。
明るいシーンがない。幸せな人物がいない。
どのシーンも暗く、そしてどこかが間違っている。
しかしそれでいてなお、作者の紡ぎ出す世界は絵画のように印象的な美を持つ。
読後感は胸に重く、にもかかわらず、まだ本を閉じたくない、もっとこの世界にいたい、という気分にもなる。
ロイ・アンダーソンの映画を観るのに似ているだろうか。

小説の底流にあるテーマは、恐怖、そして支配する者とされる者。
奇しくもと言うべきか、私達の今まで認識していた世界像がガラガラと崩れている今現在、本書は痛烈な問いを投げかける一冊でもある。

「言葉には〈うんざり〉していたのだ。••••だれかに無口だな、と言われれば、おれは兵士だったんだ、とだけ答えた。」
「生き延びるのに言葉など何の役にも立たないことは、身に沁みていた。•••万の言葉をつらねる演説よりも、一個の弾丸のほうがよほど重い。」

「切手を熱心に蒐集したり、彗星を発見しようと夢中で望遠鏡を覗いたりしたりた人間が、翌日には他人をいたぶる側に立てるものなのだろうか?」

ここに挙げた引用は、過去の戦争とナチスの狂気について語られたものだ。
しかし、過去ではなくたった今、どれほどの人がまさに同じ思いを抱いていることだろうか。

「ヨーロッパ02」と記された奇妙な章がある。
特に説明はなく、不穏で異常な状況が次々と描かれる。読んでいて苦しくなるほどだ。
小説全体を覆う苦しさがこの章に集約されているとも言えるかもしれない。

人間の苦しみを、真っ向から切り開いて見せつけてくる一冊。
ぜひ、この稀有な小説世界で彼らと出会い、その痛みと悲しみを目撃して欲しい。