見出し画像

苦しみ、悩みの中からしか幸せは得られない

若い頃から、いろいろと苦しんでいた。
僕の若い頃は発達障害という概念がなく、自分を抑えきれなかったり、
いろんなことに過敏であったり、性格も「大袈裟な」性格をしていた。
登校拒否も経験した。引きこもりも経験した。
発達障害とは関係ないが、若さゆえのモヤモヤや満たされない気持ちもあった。
そしてそのほとんどは、音楽を聞くこととギターを弾くことで
昇華されていった。
とはいっても、全てを音楽が解決してくれる訳もなく、
加藤諦三や意味もわからないまま、ユングやフロイトの入門書なども
読んでいた。
20代になると、これに「薬物」という問題が加わり、生活は
破滅へと一直線にすすんでいった。
29歳頃から、「更生」(?)への道を歩き始める訳だが、
当然ながら発達障害が治る訳もなく、その頃にいたっても、
まだ発達障害は周知されておらず、ただただ「辛い」日々だった。
そこで、目覚めたのがスピリチュアルとパワーストーンだった。
次から次にスピリチュアル関係の書物を読み漁り、
パワーストーンの“効果“を調べては買い集めた。
そういう生活が10年ほど続いただろうか。
ある程度、スピリチュアルの真髄みたいなことも理解し、
と同時に、そこに書かれていることの多くが根拠のないことで
あることも理解した。
「引き寄せの法則」などがいい例で、そんなにうまく
引き寄せられる訳がない。
とはいっても、第三者を不幸にせず、正しいやり方で継続して
実践するならば、引き寄せが成功することもあるとは思う。

結果をいうと、僕を救ってくれたのは、発達障害の診断と
その治療(投薬)だった。
特にインチュニブという薬だ。
あれだけイライラし、周囲の全てが敵に思え、いろんな不安に
苛まれていたのが、嘘のように消失した。

では、僕が10年に渡ってスピリチュアルを勉強したことは
無駄だったのか?
いや、そうは思わない。
スピリチュアル(宗教ふくめ)への理解と、心の仕組みを
知ることがあった上で、投薬が功を奏したのだと思う。

人間、何か辛いことがないと、「救い」を求めない。
中には変な宗教や、エセカウンセラーに騙される不幸もあろうが、
とにかく、「平安への入り口」として、苦しみは必須なのだ。
仏陀が出家したのもそう。
僕が唯一、本物だと認めているスピリチュアル系のマスター
エックハルトトールもそうであった。

それが病苦であれ、金銭問題であれ、家族問題であれ
失恋であれ、会社の人間関係であれ、今、身の回りに
それが起こっているというのは、チャンスなのだと思う。
苦しみに溺れてしまうことなく、どうか自分なりの
「救いの道」を模索して欲しい。
以前も書いたが、ぶっちゃけ、脳や心(があるとして)は
モノアミンという物質に左右されてるので、
薬により「化学反応」で如何様にも変えられる。
だが、それだけでは弱い。
そういう意味で「心の勉強」というのもとても大切なことだと思う。

九州は午後から晴れていた。
扉の写真は、部屋からみた空と雲です。
部屋の模様替えをする気力まではなかったが、
パソコンデスクの椅子を入れ替えた。

DSC02698のコピー

相変わらずデスク周りは乱雑極まりないが、
ちょっとした気分転換にはなりそう。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?