見出し画像

近づく別れ

【今生の別れ】
今生の別れ(こんじょうのわかれ)とは、この世で最後の別れ、
つまり死別を指す表現
である。 人間の生死を前提とした言葉であり、
再び会うことがないという切なさや悲しみを含んでいる。
また、比喩的には、二度と会うことのない別れや、
決別を示す場合にも用いられる。

僕は、故谷口雅春師が言われるように、「人は死はない」という
考えだ。
これは仏教の真髄でもあると思うのだが、この世に存在する
全て(宇宙も含む)は、繋がっており、「私」という存在は
それを構成する一つの要素に過ぎず、一般的に言われる
「死」とは、再び、「全体」という存在に戻ってゆくだけ
(溶け込む)ことだと思う。
けれど、死んだからといって、すでに亡くなっている人に
会えるかどうか、そして生まれ変わりはあるのか、
という点は杳としてしれない。

なので、今生での「死別」は、やはり「別れ」を
意味するのであろう。

数年前から病院通いをしている88歳の母だが、
乳がんを摘出したあと、今度は、胆管に石が見つかり、
ステントを入れて胆汁を流す処置をしてたが
回復しないため、高齢ではあるが開腹手術をした。
その入院中、圧迫骨折をし、入院が長引き、
その間に、体力が弱っった。
と、共に、開腹した際、胆管内にしこりが見つかり
取り除いたものの、検査に出したら、癌であることが
わかった。
余命も宣告されている。(母には話してない)

先々週、退院し、僕ら兄弟3人で面倒を見ている。
通院も頻繁にあり、僕らの負担も大きい。
今日は通院日だったので、僕が連れていったが、
医師は「良くなってきている」と言っていた。
がしかし、それは、腹水と、足の腫れ(栄養不足によるもの)で
あって、癌のことではない。
食欲も出てきているし、今日の通院後も、そのまま
デイサービスに行くと母は言っており、
また、顔色や声の元気もいい。
なので、僕は、「もしかしたらこのまま回復し
宣告された余命より長く生きるかも」などと
つい浮かれた考えをもってしまう。

でも…….
年間何千人も診ている医師が宣告した余命だし、
平均寿命からしても、そうは長くないことは
さすがにわかる。

「親孝行したいと思った時に親はもういない」
であるから、「今」しっかりと孝行をしなければ
ならないのだ。
それを重々承知した上でも、何か言われれば
口答えしてしまうし、看病においても、
面倒くさいなと思う自分がいる。

「今、孝行しないでいつする?」
その気持ちを改めて自分自身に言い聞かせ、
少しでも母の「余生」が幸せであるよう
改めて決意し、ここに記すつもりだ。

余談だが、22歳になる猫のヒカルちゃんと
15歳で心臓に疾患があるチワワのまめ太郎との
お別れも近づいているのだ。
彼らにとっても、僕は、「今できること」を
してあげたい。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?