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"ココロちゃん"と"シコウちゃん"

ここ最近、娘の不登校についての記事が続いていました。
今日は、私自身について、少し書いてみたいと思います。

私は小さい頃(物心ついた時にはすでに)、自分の中に"2人の自分"がいる感覚を持っていました。
(突然変なコト言ってますが、頑張って付いてきて下さい。
私も頑張って、言語化します。汗)

”ココロちゃん”と”シコウちゃん”

いつだって目の前の出来事は、2人が別の視点で見ています。

”心の自分”=心(ココロ)ちゃんは、目の前で起こった出来事を、物理的に存在する”ワタシ”の目で見て、感じる子

”思考の自分”=思考(シコウ)ちゃんは、私の身体からは離れて存在し、”ワタシ”を客観的に観察する子
いつも"ワタシ"の背後、少し高い場所(天井辺りの位置)にいて、"ワタシ"とその周りを見下ろしています。
(この記事のトップに使った、写真のような視点です。)

ココロちゃんはいつも、シコウちゃんの助言を聞いて、行動したり話したりします。

少し(いや、だいぶ?)分かりにくいかもしれませんが、ココロちゃんとシコウちゃんのやりとりを、説明してみます。

例えばお母さんに怒られた時、ココロちゃんは
『何でそんなに怒られなきゃいけないの?』
と、泣きたくなります。

すると、シコウちゃんが
『そうだね。
でも、今泣いたり反論するとお説教が長くなるから、ここは素直に謝っておいた方が良いよ』
と、ココロちゃんに助言します。

それを聞いて、ココロちゃんは泣きたい気持ちを抑えて
「ごめんなさい」
と、謝る

また別の日。
友達とケンカになります。

ココロちゃんは、
『そんな言い方しなくてもいいやん!
私は間違ってない!!』
と、怒っています。

でも、シコウちゃんが
『確かに、友達の言い分はおかしいよね。
でも、今それを言うのはやめとこう。
これ以上言い合いしても、余計にケンカが酷くなるだけだよ』
と、ささやきます。

それを聞いて、ココロちゃんは
「分かったよ」
と、そっとその場を離れる
といった感じです。

そういった経験のない人(おそらく皆さんそうですよね?)には理解が難しいと思うのですが、一般的に使う一人称『私』とは”ココロちゃん”を指しています。

”シコウちゃん”は、自分の身体からは抜け出していて、おそらく一般的には(皆さんにも)存在しない。

でも私は、
『シコウちゃんも、間違いなく自分自身だ』
という感覚を持っています。

むしろ
『シコウちゃんこそ、自分自身だ』
と思っているくらいです。

実際にシコウちゃんが見た景色(”ワタシ”の後頭部~頭のてっぺん、そこに一緒にいる友達や家族を見下ろしている映像)は、今でも記憶の中に”自分が見た景色”として、はっきりと頭の中に残っています。

『大人になる』というコト

シコウちゃんが、頭上から”ワタシ自身”を見下ろしていたのは、中学生くらいまで。

それまでシコウちゃんが、上から『客観的に見えている状況』『”ワタシ”の取るべき行動』を、ココロちゃんに助言していました。

それを見下ろさなくても、同じ視点で出来るようになって来たのが、中学生の頃くらいでした。

いつからか、シコウちゃんが”ワタシの中”に存在するようになり、視点は上からではなく、ココロちゃんと同一(物理的に存在する”ワタシの目”で見る景色のみ)になります。

『自分の目で、見えるモノが全て』

だけど、頭の中にはやっぱり2人います。
シコウちゃんはいつも、状況を客観的に判断してココロちゃんに助言をするし、ココロちゃんはシコウちゃんの助言を聞いて、行動します。

『今は思いっきり笑って、場を盛り上げよう!』
『泣くのは少しこらえて、家に帰ったらゆっくり泣こうね』

と、いった感じです。

そして、それがいつの間にか、ココロちゃんとシコウちゃんは”2人で1人”になりました。


私の中では、そうやって”1人の自分”でココロとシコウを同時に処理したり、コントロール出来るのが、”大人になる”というコトだと思っていました。

特にそれを意識していた訳ではなく、成長過程でいつの間にかそうなっていったので、うまく説明出来ませんが。。。

さて、大人になった私は、目の前で起きた出来事を一旦自分の中で考えてから、行動したり口に出したりします。
(おそらく”シコウちゃん”の名残です。)

こう言うと、何だか
「素直じゃない人」
「頭で考えてから行動するとか、めんどくさそう」
「計算高そう」
なんて思われそうですが、小さい頃からこのような過程で成長しているので、私としては素直じゃない訳でも、考えてからしか行動出来ないヤツでもありません。

割とおっちょこちょいで、フワッと生きています(笑)
一旦シコウを介するせいか、行動ものんびりなところが多いです。

”ココロ”が先か、”シコウ”が先か

カウンセリングで話を聴いていると、表現方法は様々ですが
『気持ち的にしんどくなって、マイナス思考が続いている』
と、話される方がいますが、私は逆で
『マイナス思考になっているから、心がしんどくなる』
と、考えています。

”ワタシ”の中に2人存在していた頃から、目の前で起こった出来事を察知して考えるのは、いつだってシコウちゃんの方でした。

ココロちゃんは”ワタシ”の視点のみで、考えや感情を持つ子

一方、シコウちゃんは、全体の状況や流れを見て
『今のは怒っていい』
『ここは我慢するべき』
と、総合的に判断する子

今は”ワタシ”1人しか存在しませんが、
思考が心に働きかけて、感情をコントロールする』
というのは、変わりません。

心が病んでネガティブ思考になるのではなく、ネガティブ思考だから心が傷付いていく。

そんな視点から、色んな人のお話を聴いています。
興味がある方は、私とお話しましょう❣


今回はちょっぴり変な話(恐らくよく分からない話題)にお付き合い頂き、ありがとうございます。

幼少期から私が持っていたこの感覚は、今まで誰にも話したコトがありません。
(多分理解されないか、変なヤツって思われるような気がしてたので笑)

もし
「あ、その感覚分かる!」
というまさかの共感者や、
「感覚は分からないけど、その症状○○じゃない?」
という事例をご存知の方がいたら、ぜひコメントをお願いします❣

一度”離人症”を疑いましたが、少し違うようです。
今のところ、思い当たる中で一番近い感覚としては、”メタ認知”と呼ばれる状態になりますが、”メタ認知”は
『身に付ける能力やスキル』
といった意味合いで用いられるコトが多く、
『元々その感覚を持っていた』
という、状態を表すものではなさそうです。

”ココロちゃん”と”シコウちゃん”
私が持っていた感覚に、よりしっくり来るものがあるのなら、知りたいです。



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