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【コラム】美術館にいるときの感覚が外に持ち出せたら


「誰かがアートって言ってしまえば何でもアートじゃねぇか!」というツッコミをたまに見ます。

たしかに現代アートの中には「なんだこれ」っていうものが良くありますよね。


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これはメロンらしいです。ミゲル・バルセロさんという世界的アーティストの作品です。


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これは金氏徹平さんという方の作品。岩にカーブミラー、不思議なアートです。


そういう作品をここ数年いろいろ見てきました。
その上で、最初のツッコミに対する個人的な考えですが、「何でもアートじゃねぇか!」は、マジでその通りだと思います。

でも前提はちょっと違う。
「誰かがアートって言ってしまえば」ではなく、「自分がアートだと思ってしまえば」というのが僕の意見です。

自分がアートだと思ってしまえば、何でもアート!これが僕の考えです。


もちろんこの考えには、根拠も権威もありません。
前回の記事(下リンク)でも書いたように、僕は美大卒でもないし美術に詳しいわけでもない。休日の楽しみとして、自分のお金で勝手にアートを楽しんでいるだけ。だから、楽しみの邪魔になるようや議論やウンチクは完全シャットダウン。すべては僕の脳みそで完結すればいいことなのです。

時価?歴史的価値?そんなの知らん。

そんなゆるゆるな感じだから、美術館の楽しみ方も身勝手です。

心に新鮮な感情が生まれればそれはアートだし、逆に、たとえ美術館にあったとしても、何も感じなければそれは「なんでもないもの」なんです。あくまで、僕にとっては、ですが。

だから美術館は「アートが展示されている場所」ではなく、「アートを探すモードで訪れる場所」という感じで捉えています。だって、アートかどうかは僕が決めるので。ジャイアン的暴論ですね。

でもすごい楽しいですよ。このゆるゆる低ハードルの考えがもっと広まれば、アート好きの人口は倍くらいになるんじゃ?と個人的に思っています。良く思わない人もいるでしょうけど。


さて、そんな考えで美術館に足を運ぶうちに、去年くらいからこう考えるようになりました。

自分がアートと思えばOKであれば、日常の全てのものがアートになり得るでは?

そしてこの考えは、僕が目指す「次の段階」に繋がっていきました。

世界の全てを、美術館にいるような感覚で観察できるようになること。

これができるようになれば最強だと思いませんか?もう退屈に悩むこともなくなるかもしれない。もしかしてプロのアーティストや作家は、その感覚を極めた人たちなのかもしれません。

でも言うは易し。実際これ難しいですよ。
美術館は優しいんです。無駄なものを徹底的に排除し、静かな空間で分かりやすく作品を並べてくれている。「アート探し」に全集中できる。
これが美術館から外に出ると、目から耳からいろんな情報が入ってくる。「アート探し」の難易度は爆上がりします。

だからこれは、かなり訓練が必要です。
でも幸いなことに、何もしんどいことない訓練です。むしろ楽しい!


では、最近僕が見つけた「これってなんかアートじゃね?」をすこし紹介させてください。付き合わせてすみませんが、発露するって大切ですから。


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これは隅田川の端っこのほうに溜まっていた草や葉っぱです。波のうねりで植物や泡が混じって、不思議な模様を作っています。
都会の川にもこんな表情がある。アートじゃないですか?僕だけですかね。


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次はこれ。代々木公園にあった休憩所の茅葺き屋根を接写したものです。黒いトゲトゲが迫ってきてて不思議な迫力があります。


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冬の枯れ木は、とくになんか惹かれます。普段あまりちゃんと観察しないですが、枝の構造ってほんと複雑でスゴイです。


僕にとっての「アートじゃね?」が、他の誰かにとっても「そうだねアートだね!」になれば、とても素敵なことだと思うのです。

まあそれはさらに高望みですが、先があればあるほど楽しみも増えます。

門外漢のアート享楽、まだまた続けていきたいと思います!



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