ADHDだけが発達障害ではないのです ピアノ好きなYのこと
「先生は知っているの?先生に言っておいた方がいいんじゃないか」
子どもを夫婦で分担してピアノ教室に連れていき,公園に行きたがった末子だけ連れて先に帰宅したわたしに夫が言った。
見れば,長子と夫だけ先に帰ってきている。中子のYはどうした?
我が家には3人の子どもがいるがみなそれぞれ,「取り扱いに注意を要する」の要人級の子どもたちだ。
「カシ丸家のみなさんは」なんて,この春まで,3人の子どもたちが合計8年間お世話になった保育園の先生によく笑って言われたものだ。
幸いにして,子どももわたしも先生に恵まれて,扱いのムズカシイ子どもだちをよく叱り,育て見守ってくださっているので,感謝している。
わたしが夫の肩先の奥を見ると,Yは道路の端っこに,ぶんむくれて足取り重く,かなり遠くを歩いている。
「先生はご存じだよ。でも,なんでその場で先生に伝えないの?先生に事情を説明するのは当たり前だけど,謝ったの?」
「Yの態度が悪すぎるから,叱ったらYが泣いた。あれはひどすぎる。先生にはありがとうございました,って言って帰って来た」
「ありがとうございましたって,何それ。先生にこそ謝るべきだよ。親が先生に謝るほど,自分の態度が悪かったって,思ってくれなくちゃ困るでしょ」
「でもYにわかるのかよ」
「わかるよ。そういう顔色を読むことがあの子は上手だよ。Yは人の気持ちが分かる子だよ」
Yは,いつもグルグルと動いていて,目を離すとどこかにピュッと行っている。
まぁ,診断こそ受けていないけれど,ちょいとADHD(注意欠如多動性症候群)気味なのだ。
20年以上1万人の心理を検査してフォローしてきた心理士のわたしが言うのだから,限りなく匂う。
発達障害というと,ADHDとか,ASD(自閉症スペクトラム障害)がぱっと思い浮かぶかもしれない。
でも,発達障害はこれら以外にもまだまだたくさんある,広義の診断基準だ。
なので,Yは,精神医学の定義でいうと,バリバリの発達障害のククリに入る。
公認心理師(心理士の国家資格で4年前にできた)の受験の時に,臨床心理士の試験(心理士の公的な民間資格で30数年前にできた)の参考書を引っ張り出して読んでいたら,Yの病名を見つけた。
知ってはいても,「発達障害である●●(病名)は」という記述を読むと胸がキュッと痛くなった。
Yは,わたしのお腹の中に宿った時から,何かと心配な子どもだった。
まだ胎児の胎嚢ができ,心音確認段階前の妊娠4週目で,学会発表をしていたわたしは,ニョロッとした感触を下腹部に感じて,慌てて,会場の大学に駆け込んだ。
出血だった。
すぐに産科に電話して指示を仰いだら,すぐに受診して欲しいと言われた。
バタバタと会場から病院に急いだ。
切迫早産だった。
「貼り止めノウメテリンを処方します。でも,この時期に立ちっぱなしなんて,ダメです。貼り止めも効果はわからないし,赤ちゃんの生命力にかけるしかないんです」
「切迫早産の診断書を書きますから,職場に提出して,安静にしていてください」
その頃,わたしは保健センターにも務めていたから,職場の保健師さんに電話したら,
「せんせー,そんな体で来られてもこちらも怖いから,休んで。気にしなくていいから」
その日から,わたしは仕事を休み,引っ越しも急遽決まって,後輩に仕事をバトンタッチして,退職した。
赤ちゃんはその後,持ちこたえて,安定期に入ってすぐに引越した。
そして,転院先の病院で,院長室に呼ばれた。
妊婦健診で,腹部エコーをとってもらって,記念にDVDを作ってもらう日だったのに,待っても待っても,わたしの順番が来ない。嫌な予感がした。
そして,「院長室に来て下さい」と,言われた。
「今までにこんな症例を見たことがない。すぐさま,明日から入院して転院して下さい」
頭が真っ白になるって,こういう時のことだ。
院長にお礼を言って,院長室を出て,病院の白い廊下を歩いて,ぬいぐるみやおもちゃにあふれた,待合室のファンシーな一角にいた。
壁掛けテレビでは,明日の天気をキャスターが淡々と伝えていた。明日もどうやら暑くなるらしい。
その風景はいつのまにか,すうっと遠のき,私は霧状の白いもやの中にいた。
細かい粒々がわたしを取り囲み,水蒸気の中にわたしは立っていた。音も何もない世界。
「あっ。わたしここにまた来た」
そう思った。
ここに来たのは,実は初めてではなかった。
小学校6年生の時,授業中にいきなり名前を呼ばれて,椅子から立ち上がって「はいっ」と返事をしようとした。
でも,声がでなかった。白いもやがわたし机のまわりを囲んで,周りにいるはずのクラスメイトも見えなくなった。わたしだけまた細かい白い粒々の雲の中にいた。
「〇〇さん,〇〇さん」
先生がわたしの名前を呼ぶ声がする。
そして,すうっと教室の見慣れた風景と音が戻って来た。時間にしたら数秒のことだと思うけれど,時間の概念なんて吹っ飛んでいた。
小学生の時にいたあの時の白い粒々の世界に戻ったのだ。
その頃,わたしは半年間,2歳の長子とお腹の子だけで転居して,夫と離れて暮らしていたから,頼りたい夫は遠い土地にいた。電話して,すぐにかけつけてこれない距離。
「わたしがなんとかしなければ,この子の命は守れない。わたしならできる」
そう思ったら,また周りの風景に色がついて,色と奥行きと音のあるいつもの病院に戻った。
テレビは相変わらず,天気予報だったから,たった数秒のことだろう。
わたしは,長子をあずけている保育園に電話を入れ,延長保育を申し込んだ。そして,夫に電話した。でも,出なかった。
実家の母に電話をかけて,事情を説明したら,明日の新幹線で駆けつけてくれることになった。
翌日,長子は母と一緒にわたしの実家で過ごすことになった。
そんな経緯で,1か月ごとの検査入院を2回して,Yは生まれた。
「生まれるまでは正直,安全なんです。むしろ,産まれてからが予測がつかないから入院なんです」
主治医に言われていたように,超安産で,NICUのある病院では珍しく,自然分娩で生まれたし,陣痛から4時間,分娩台で10分もかからずにハイスピード出産だった。
生まれてきてくれてありがとう。
この子が元気でいてくれること。それでいい。この子がいるだけでいい。
心の底からそう思った。
今もそうだ。
3歳の時,確定診断を受けた。
「先生,発達障害の本で,広義の発達障害だと書いてありましたが,この子は発達障害ですよね」
主治医に確認したら,やはりそうだという。
心理士の目で,発達検査(DQ=発達指数)の数値を見ても,知的な遅れはないし,かといって,ADHDの確定診断もない。
いわゆるグレーゾーン(発達障害の怪しさプンプンのグレーな領域)なのだ。
診断名を無理にでももらうこともできるだろうけども,子どもの特性を伸ばす環境を整えてあげることが一番大事だから,診断名は別になくても困らないのだ。
というわけで,その日も菓子折りを持って,ピアノ教室へ逆戻りだ。
ああ,菓子折り持参で平謝りって,久しぶりだな。
先生は帰られた後だった。
先生の電話に伝言を残した。
先生ごめんなさい。
でも,Yはピアノも先生も大好きなんです。
「来週,ママと一緒に先生に謝ろう」
Yに伝えると,こくんとうなづいた。Yはやっぱりピアノが好きなのだ。
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