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人とすれ違うのが怖く感じる話

これは前回執筆した<日本が他人に容赦無いという話>(https://note.com/carmapleia/n/nddf9c432384c
の内容が触れている記事なので、まだの方は読んだほうがいいかもしれません。


僕は最近外へ出て散歩するのにエネルギーがいる。
かつて、ポケモンGOは外へ引きずり出すゲームだと記事で書いた。
<「ポケモンGO」運動をさせるモチベとして最高のゲーム>
https://note.com/carmapleia/n/n8a4ed94676b7

しかし、書いた本人が今ではそうではない状態でいる。
ポケGOの熱は冷め、今は同じく任天堂とナイアンティックが共同開発したピクミンブルームをやっている。
ポケGOはポケモンGOプラスがないと歩きスマホになってしまうので、それを防ぐためにピクミンブルームへ移行した。

残念ながら、ポケGOもピクミンがあっても僕を外へ引きずり出すことができなくなった。
それすらも太刀打ちできない存在、それは「すれ違い」だ。
前回の記事で僕はこう記述している。

人とすれ違うだけで、彼らは僕に敵意を向ける。
言葉でもなんでもない「不快だと思う気持ち」が石となって僕に向かって投げてくる。

日本が他人に容赦無いという話

僕は今、この件で頭を悩ましている。
それだけ他人とのすれ違いだけでストレスが異常なのだ。
外に出れば必ずこの石投げを食らい、精神をすり減らす。
船で例えるならば、人が出没するところは常に嵐との遭遇だ。
ひどい時は、散歩してしばらく休憩したら精神疲労がドッと出て、寝ないと休めないほどのダメージを受けたことがある。
今ではもう散歩が娯楽ではなく、精神労働のようなものへと変わってしまった。

そのため、僕は必然的に人が少ない散歩コースで歩くことになった。
しかしそれでも嵐は僕のところへやってくる。
通りすがりが僕に対する不快感がオーラとして、時には舌打ちのような音を発し、僕は精神的な痛みを食らう。

そして最近になって、僕は外に出ることが相当エネルギーがないとできなくなった。
なぜなのか部屋んぽしながら考えた後、あることに気がついた。

すれ違うことへの恐怖

家族と一緒に歩いていると、そういった恐怖や痛みを感じない。

少しでもその状態を再現しようと、精神の防具としてマインドフルネスしながら歩いている。
僕がマインドフルネスをしたのは3年ぐらい昔で、会社勤めの時代にストレス耐性を身につくために初めた。
当時はその効能が高く、まるで無敵の防具を身に着けたかのような感動を感じた。
しかし、僕が抱く恐怖はマインドフルネスを鼻で笑うかのように、その守りを貫通する。
マインドフルネスをしてようやく嵐を乗り切れるスタートラインに立ったに過ぎない。

人間は足を動かして運動しないと不健康になる。
だから僕はなんとしても運動しようとしている。
しかし僕が抱く恐怖はこの健康管理を阻害し、さらには精神的な健康被害を被っている。

なので、僕は今とても困っている。
どうしたらこの恐怖を打ち砕くことができるのか、対抗手段はなにか無いのか?
そして僕が抱くすれ違いに対する恐怖が、もし自身の勘違いによるものだとしたら、一体どうやってそれを取り除くのか。

厄介な問題を抱え、今日も生きにくいと感じる僕なのであった。

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