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感情のゴミ箱にならないために



そりゃああなたはスッキリするでしょう。

10代の頃、雑談の仮面を被って感情をぶつけてくる人達に対して、その後の晴れ晴れとした顔を見て、なんとも言えない、だけど少し怒りを含んだそんな気持ちをよく感じていた。


「相談しやすい」
「なんでも話を聞いてくれそう」
「質問しやすい」

身近な人や仕事関係の方々からこんなふうに言ってもらえることはとても嬉しい。

私自身は自分がそうなろうと意識したわけではない(仕事では大きなミスを防ぐために多少意識はしている)ので、これはたぶん、自分が物覚えがゆっくりなことと、見た目の雰囲気からくるものなんだと思う。

ただ、そういった特徴がプラスに働く場合とマイナスに働く場合があって、当時の私にとってのマイナスは「雑談の仮面を被って感情のゴミ箱にされる」ことだった。


もちろん自分の友人や知人に対してはそんなふうに感じない。(ただし、親しき仲にも礼儀はあるから注意!)

「あ、この人、感情を捨てたいだけなんだな」と感じるのは名前も知らないような人だ。

しかもほぼ全員が私よりよっぽど人生経験があるだろう年齢の方。

最初はなぜ大人がそんな話を子どもの私にするのか意味がわからずポカンとしていた。

ただ、だんだんとこういったことを私に話す人たちは、話を聴いてほしいわけでも意見がほしいわけでもなく、自分の感情をただ捨てたいだけなのだと気が付いた。


つまり、別に私じゃなくてもいい。
なんなら人間じゃなくてもいいはずだ。

いまだったら間違いなく、私と関わっている方々以外はAIに相談するか、カウンセリングか神社にでも行って下さいと言う。

ただ当時はそれに気が付いても、性格的に受け流すことが出来なかったので全て受けとめていた。

それはまあ、ちょうど良い存在だっただろうと思う。

だけどやっぱり、名前も知らない人の感情をぶつけられることはしんどい。

そこで私がとった対策は「アホになる」ことだった。

私が思う感情をぶつけてくる方の特徴をざっくりとあげると、

①自分のことを理解してもらえないと思い込んでいる
②自分のことを全部受け入れてもらいたい

この2つがすっごく多い。

そしてこういった欲を満たしたいときに相手に求めるものは、

①自分の言葉を理解してもらえる程度の理解力
②全部受け入れてくれる受容力

この2つだと思う。

そしてこの2つの項目に当時の私は絶妙にあてはまっていた。

そこそこの理解力と、受け流す力の低さ。

なにより10代で圧倒的に社会経験が乏しいから、相手の言動に対して思うことがあってそれを伝えても「若いから」と取り合ってもらえない。

つまり相手からすれば、そこそこ話が理解出来て、スルーもせず、だけど圧倒的に立場も年齢も自分より低いから、何を言われても安心して取り合わないですむ相手が私だった。

繰り返しになるけれど、それはまあ、本当にちょうど良い存在だっただろう。


ただ私は、人に話をしておいて、自分に都合が悪くなると相手の話を聴かない人の感情のゴミ箱になるほどお人好しではない。

なのでもう、とにかく相手の言葉がわからないフリをしまくった。

そうすると相手は「こいつに話しても無駄だな」って表情をして話すことを諦める。

聞いちゃったら受けとめるしかないので先手必勝だ。

この対策の効果は抜群で、感情のゴミ箱にされることは格段に減った。


それにしても、人は何歳になっても他者に理解されたいし、受け入れてもらいたい生き物なのかも。

感情のゴミ箱対策をしているときに、ふと、そんなことを思ったりもした。

ただそれならば一方的な「〜してほしい」ではなく、お互いに「〜したい」という関係性の中でしか、理解も受容も生まれないと思うのだけれどどうなんだろう。


私自身はこういった経験のおかげである種の処世術?を身に付けられたので(ただし今でもスルー力は高くない)、今となっては良いサンプルをありがとうと思っている。

だけどやっぱり、相手を自分と対等であると思っていないのに、自分の感情をぶつけることには反対です。


今回、感情をぶつけてきた人達を思い出したときに、その人達の特徴だった「本当は理解してほしい・受け入れてもらいたい」という気持ちは自分にもあるなと感じました。

なので30代に入り、若い世代と接する機会も増えてきた自分への自戒も込めて今回の記事を書き始めました。

まずは私自身が、誰かを感情のゴミ箱にするような言動はしないように気を付けようと思います。



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