見出し画像

雑談には3つのパターンがある⁉


相談をされているうちに気づいたこと

モヤキャリ相談室2をはじめてから、いろいろな場面で相談をされるケースが多くなってきたのですが、初手を間違えると間違った方向へいってしまうことになるので、気をつけなきゃいけないと感じています。
その人が求めているのはどれかということを感じ取らなきゃいけない。
1:聞いてほしいタイプ
2:白黒はっきりつけてほしいタイプ
3:背中を押してほしいタイプ
人によって全く違うし、どのタイプかというのを間違ってしまうと、まったく腹落ちしないことになってしまい、タイパ、コスパが悪いということになる。
人の話をよく聞くことはもちろんですが、その人のバックボーンについても知る必要があり、雑談を通して仮説を立てていくことになる。
最近ではいろいろなテレビ、ラジオ番組でもお悩み相談がコンテンツ化している。
これはヒットの法則になるらしく、痛快に笑い話にしていくことが多い。
どちらかというと1の共感してほしい、同情してほしいというのがほとんどである。
アドバイスという価値観の押し付けになるケースもあったり、自慢話、武勇伝、説教じみていることもあるから不思議である。

1:同情してほしい、共感してほしいタイプ

8割の相談はこれにあたるケースが多く、チル&ミーがSNSじゃなくて、対面の相談になったということ。
悲劇のヒーローやヒロインになった話から、自分ってこんなに不幸なんですという話が多い。
身の上話が多くあって、自分はなんて不幸なんだろうということを相談だと思い込んでいて、解決策を探すというよりも、話してスッキリすることが多い。
ほとんどの人がこれを相談だと思い込んでしまって、自慢話をしたり、武勇伝を話したり、説教じみた話をしたり、的外れなアドバイスをしたり、価値観を押し付けたりする。
悪意があるというわけではなく、相談された人がそう感じたから出た反応であり、半分正解、半分間違いというぐらいの話である。
こういう相談については、相槌の3コンボをうまく活用することで、あまり負担にならないようにするというのが多い。
相槌の3コンボとは、「へぇ~」「なるほどですね~」「すっごいですね~」の3つのワードを連発することで、相手が話しやすくなって、どんどん自分から話をするようになるから不思議である。
一通り話し終わるとスッキリして、悩むだけ損!という形になっている。

2:白黒はっきりつけたがる

これは論破するということではありません。
前向きに一生懸命相談を聞いた上で、そうするのがいいと感じるケース。
例えば、ホワイト企業、プラチナ企業、ブラック企業、ゆるブラック企業というように、対立構造に持ち込んで白黒はっきりつけることもあります。
これが正しい、これが間違いということで誘導していくことになります。
何をもって正しい、何をもって間違いというように基準がしっかりしていないといけないのですが、その基準が人によって違うから厄介なんです。
人の判断基準というのは自分が経験したことがおおむね基準になり、自分の経験からしか判断をすることができません。
バックボーンも違う、経験値も違うのにそのモノサシで大丈夫?ということになる。
経験豊富な人であれば信用も信頼も厚いかもしれませんし、逆に未経験の人であれば、思い込みや決めつけがなく斬新なアイディアが出てくることもよくある。
基準は人それぞれ違うから、その言葉をうのみにすることなく疑うことから始めないといけない。
そして、自分自身がきちんとした基準を持っていないと、間違った方向に進んでしまうので気をつけてほしい。

3:背中を押してほしい

悩んでいてAorBというようにどちらか選択をしなきゃいけないけど、決定打がないために決められないときに、人に聞いてもらって判断をするということはよくあることだと思います。
モヤモヤを言語化していくことによって考えが整理されていくことがよくある。
紙に書き出して整理する人、パソコンやスマホに書き出す人、人に壁打ちをして整理をしていく人など、やり方はいろいろある。
ひとりでモヤモヤ考えているより、人に相談をしてみることで思いがけない道が見えてきたり、新しいことに気づいたりすることができる。
どうしても1人でモヤモヤしていても、正しい方向なのか、正しい努力なのかわからないことが多い。

コーチングはハードルが高い⁉

コーチングというとどんなイメージがあるでしょうか。
自分が目的とする地点に到達することやそこから見える風景を見に行くのはもちろんですが、さらにその上というように階段を上っていくようなイメージが多く、登山でいうシェルパだったり、船の船頭さんみたいなイメージをしている人も多くいらっしゃいます。
コーチングによって自己肯定感があがったり、自己肯定感そのものを理解して、ありのままの自分に気づいて、それを受け入れることができるかどうかなんですが、テクニック論のイメージが先行してしまっている。
いろいろな議論をすることが重要なんだけど、そのコーチが言うことが正解であり、教えてもらうという錯覚がそうさせているのかも知れません。
相談にお越しいただいている方からよく言われるのが、『もっと否定される覚悟で来たんですけど、なぜ、あ~しなさい、こ~しなさいって言わないんですか?』といわれる。
『私はあなたではないし、矯正するつもりもないし、自分自身の言葉で自分自身を理解する場であり、いろいろなカードを出してもらって、整理整頓をする場だから、できるだけ自分の言葉で語ってほしいんですよ。』とお伝えをしている。
私の中に『素晴らしい人生はありのままの自分でいること』という思いがそこにはあるから。
弱い自分もいれば、強い自分もいる。
恐怖を感じる自分もいれば、不安を感じる自分もいる。
自分自身の感情をすべて出してもらうことによって、そこから整理整頓をしていくことになるから。
自分のことは自分自身が一番理解をしていて、周りからいわれると『うっせ~わっ!何もわかっていないのに』という心の声があったり、反骨イズムが反応をする。

カウンセリングやセラピーはネガティブなイメージ

カウンセリングやセラピーと聞くと、治療を目的としたイメージがあり、なんとなく心が病んでいるイメージがある。
いろいろな話を聞くセラピーは多いけど、話をすることで他人が何か感じてくれればいいというものが多い。
雑談に近いけど、一方的に話をすることが多く、モヤモヤを言語化するというより、体験を通して学んだことをしゃべることが多い。
カウンセリングについても寄り添いながらも、現在地より少しでも前へ行くための方法や現状の分析について時間を割くことが多い。
押し付けや先入観がないのはいいけど、弱っている分、どんなことを言われても前向きにとらえることができる心理状態であればいいけど、そうであるとは限らない。
時間がかかるのはもちろんですが、心理状態によって大きく左右されてしまうというのがもったいないし、専門家でないとなかなかできない。
専門知識はもちろんですが、心理状況を的確に読むことも必要ですし、治療をするのであれば、ドクターの役割ですから、そこまで大きな改善をすることができない。
専門的な分野であり、欧米のように一般的になっていない日本にとっては、結構ハードルが高いというのがイメージである。

自分の言葉で整理整頓をしていくのが雑談

雑談や相談を通して自分の内面がどういう風に変わっていくのかと思っていたら、『自分が何者なのか』ということで深い森を探究することになったり、知らない自分が出てくることはよくあります。
雑談ですから、フラットな関係で言いたいことを言えるというのが特徴です。
ここで腹を割って話すことができなければ、どんな人にも心を開くことはなく、偽りの自分を演じることになり、本当の自分と乖離してしまうことになり、どんどん自分らしさを失ってしまうことになる。
相談にお越しいただいた方で印象に残っている人がいます。
『何だろう⁉このセッションを通して自分がどう変わるのかってことに期待をしていたんだけど、自分の内面がこんなになっていることは気づかなかった。なぜなら、切り離したいと思っていても、腹の奥底にそういう思いがあったのかと気づいたときに、切り離せないじゃん。これを奥底にしまっておいてやらなきゃいけないと気づいたこと。かさぶたになって早く治したいからはがして、痛いって感じかな。自問自答をしているうちに、自分自身がこんなに腹黒いんだって気づいたことはすごくよかった。だから今では弱い自分も受け入れられて、状況を分析することができた。毎回のセッションの後に疲れちゃったのは、その葛藤があったからかもしれない。』

軽蔑する自分に戻りたくないんだ

本当はすごくないのに、実力×運×調子の掛け算がすごい数値を出したときに、トップを獲ることができるようになり、周りがすごい人って扱ってくれる。
その扱いによって自分自身が勘違いをしてしまって、驕った態度になってしまっていた。
そういう自分には戻りたくないと考えるようになった。
チヤホヤされたいんだ~っていう自分と、調子こいてやっちまったなぁ~という自分もいる。
軸がないのかもしれないということに気づいた。
誰もが知っている自分については、他人の共通したイメージ。
人には隠している自分については、自分の奥底にしまって感情や経験などが多い。
気づいていない自分は他人にはすごく価値のあることだけど、自分にとってはできて当たり前のことと思い込んでしまっていることが多い。
誰も知らない自分については、心の奥底から出てくる言葉であることが多い。
整理整頓をしながら、言葉を丁寧に紡いでいくとわかることがすごく多い。

『自分自身で誰?』『自分自身って何者⁉』

『自分自身って何者⁉』ってひとことで表現するとしたら、どういう表現をしますか?
よく使っていた質問の1つです。
自己分析ができている人なのか、できていない人なのかが一発でわかる質問で、予定調和を壊してみると、その人の素の反応が見れるからです。
なぜひとことかというと、ちゃんと分析をすることができていれば、答えられる内容であり、自分自身のセルフブランディングもできているということにつながってくるからです。
もっとも人生で素晴らしいことはあなた自身でいることにもかかわらず、いろいろな装備をつけて出てくると、疑いたくなるのが面接官としての悲しい性かも知れません。
面接の場で武装して出てくるから、入社後のミスマッチにつながったり、打算で内定承諾をするからミスマッチになっていることに気づいたのは、30代初めの企業内人事にキャリアチェンジをしたころでした。
あなた自身でいることが、もっとも人生で一番重要で貴重なことって言われても、なかなか言葉がでてこない。
自分って誰なんだっていう問いについては、誰もが苦しんでいく問題の1つです。
かっこ悪いのは承知の上で、人の上に立ちたい人間であり、そうすることでどんな状況においても誰かより上だと思うことでメンタルが安定している。
やっかむことはない。
誰もが心の奥底に眠っていることであり、言えないことの1つである。

不安は常についてくるもの!?

世の中には定数といわれるコントロールできない部分と、変数といわれるコントロールできる部分にわけることができる。
じゃあ!今日できることは何だろう⁉ということでできることに対して思いっきりやり抜くだけというのがメンタルが安定しやすいのだが、なかなかできないのが9割である。
それの繰り返しになるんだけど、不安が頭の中をよぎってしまうから、迷いが生じてしまうことになる。
そんな時はうれしいこと、たのしいこと、ありがたいことなどのポジティブな感情を探していくことで解消される。
人に感謝されること、推し活、趣味でも仕事でもなんでもいい。
アスリートが楽しみたいという言葉を使っているのも、不安から解消される方法の1つであり、受容のプロセスを経ているから。
現実を否定して、怒って、何とかしようとして、落ち込んで、現実を受け入れることができるようになると、楽しさが増えてくる。
1つの失敗で今までのイメージが崩れてしまう怖さもそこには入ってくる。
弱い自分が出てきたときに、あーしなさい、こーしなさい、これをやんなきゃだめだとか否定をしてしまっても意味がない。
弱い自分が出てきたときに、じゃあどうしよう!?と考えを整理整頓する場が雑談や相談の場である。

自己肯定感って何だろう⁉

自己肯定感が欲しいんだと思ったときに、今までやってきている自己肯定感を得るためににやっている旅は、すべて他者評価によって決まっている。
会社の目標数値をクリアしたら、やったね!おめでとうといわれる。
営業成績トップを獲ったら、やったね!おめでとうといわれる。
自己肯定感を虚ろなものばかりを自己肯定感の材料にしたときに、永遠に満たされることのない自己肯定感になってしまっているかもしれない。
承認欲求を基にした自己肯定感を今まで追っかけてきたけど、そこじゃないように思えてきた。
あるがままの自分を受け入れることの大切さをここで初めて知ることになる。
弱い自分も受け入れることができるようになると、自己肯定感が上がってくるとはこの時は気づかなかった。
強い相手や勝てないかもしれない相手にビビることは当たり前だし、不安になり、恐怖がおそってくるのも当たり前である。
他人に認めてもらいというのはみんな同じである。
勝つためのイメージができるかどうか、それを弱い自分としっかり向き合って言葉にすることができ、イメージをすることができるかどうか。
成功体験をたくさんして評価されている人ほど、その体験が自信につながっているので、プライドになってしまっている。
自分自身と向き合うと結果だどうであれ悔いは残ならいけど、自分自身と向き合うことを避けたら、結果がどうであれ悔いはのこってしまうもの。

セッションを通して気づくこと

セッションを通してより強い武装をして、より強い気持ちで臨めるのかと思っていたけど、軽装備で向かうような気持ちになった。
見たくもないような自分とかがでてきて、今まで以上に軽装備だった。
弱い、ダメだって何でこんなことばかりを考えているんだって、何か腹の奥底に手を入れられて下っ腹のあたりから、無理やり引きづりだされて、腹の奥底に眠っている真っ黒なものが出てきて、どれだけ汚い心をしていても、これは切り離せないんです。
だから、痛い思いをしてまで見たくなかったものを見てしまったという感じになり、自分の中にこんなものが眠っていたのか、こんなものがあったんだと感じて、手を離すとまた腹の奥底に戻っていく。
それがあなた自身で、見たくないものを戻せる人なんだといわれたときには、これが自己肯定感の1つなんだということを実感した。
腹の奥底にあるものを切り離していないんだから、逃げるではなく、戦ってきた証拠なんだってわかったら、少し気分が晴れたのは間違いありません。
逃げた自分では終わりたくなく、後悔とともに一生過ごしたくないという気持ちが初めてそこで気づいた。
どっかでエクスキューズヲ入れて本気にならないと、全部を否定されないから全部が壊れることがないと感じていたから。
自分の殻に閉じこもっていた方が、本気で傷つくよりもいいと判断をしていたことがあった。
本気でやり切れれば結果がどうであれ、後悔はしない。
中途半端だったり、どこかで逃げ道があるとわかってしまうと、後悔が残ってしまう。
自分自身とちゃんと向き合うことができるから、新しい自分に気づいたことが多い。


よろしければサポートをお願いいたします!頂いたサポートについては、製作費として使わせていただきます。