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#57 妄想力はこう使う

おはこんにちこんばんは。
先週は忙しくて全然更新できませんでした(あちゃー)
いっぱい頭使って、いっぱい曲書いてました!
そんなこんなのリアルはTwitterで書いたりしてます。


このnote同様、僕の感情を濾した上で垂れ流してます✍️



僕はお仕事として曲を書く際に必ず
とあること
をしています。
当然僕も人間なので、

あ〜今日ダメな日だわ〜…
あ!今日なんかイケる日な気がすんな!?

を日々繰り返してます。
ちゃんと心臓動いてるし、脳もあるし、生きてる人間です👤
どちらかというと裏方寄りの仕事なので、
日々何をしてるのか、何に困惑してるのか
が一般的に見えづらいかと思います。
ただし、クリエイターもみな人間!
眠くなるし、お腹は空くし、心も体も疲れるし、
泣くわ笑うわ感情も当然あります。
ロボットになれたら楽なのかなぁとか、たま〜に思います。



話は逸れましたが、僕がしているとあること、それは
"個人的参考曲をどこかしらから持ってくる"
です。
このどこかしら、が割と僕のマインド的に大きくて、
例えば

「沖縄をテーマにした作品」

があったとしましょうか。
沖縄はその昔「琉球王国」と呼ばれていた場所なので、
独自の文化がたっくさんあります。大好きです。
(沖縄好きすぎて、以前曲書きました💁‍♂️)

あえて沖縄を例に出したのは、
今現在存在する、足を運べる場所だから

僕の言う個人的参考曲をどこかしらから持ってくる、は
必ずしも「音楽」である必要ではないということです。

その場その空間でしか感じられない空気感そのもの
が参考になる。
ただの雑踏かもしれないし、誰かの会話かもしれない。
でも、その場所で感じたこと
が音楽に還元できるだろうし、非日常を感じることで
作品の中に入り込める、のめり込める。


もしも、僕が沖縄をテーマにした作品に携わることがあったとしたら、
どんな手を使ってでも、沖縄に行きます。



琉球音階と呼ばれる独自の音楽もあるし、
沖縄の曲を書いて脚本を読んで想像力を膨らませれば、
まぁ書けなくはない。

ただしそこに、作り手的リアルが存在しない

作り手的リアルというのは、
その場その空間をいかに感じられているかどうか?
ということ。
僕が書く必要性を、リアルな作り手として感じさせられているか?ということ。


東京で想像する沖縄、あくまで想像でしかない、
現場で、現地で何を感じ何を思うのか。
これが僕が毎度毎度、大切にしているポイントです。
僕は音楽家なので、個人的参考曲を持ってくる際には
"作り手的リアル"
の感覚を大事にします。
もちろん、まるで合わない雰囲気は精査した上で。



加えて、どうにもこの手が通じない場合、例えば
戦国時代の作品
があったとして。
戦国の世を感じに行く!なんて不可能なので……

まず、作品の情景に合いそうな曲を雑多に集めた後に
とにかく代謝を上げて、体を熱くして物理行使!

をします。例えば腕立て伏せ100回やる!とか。
そうすれば勝手に体に血が巡るので、頭のモードが変わります。
(物理行使は常用すると効果薄れるのでやりすぎには注意⚠️)


ちなみにそんなこんなをすると、こんな曲ができます。

(あくまで一例です)



個人的参考曲を持ってくるためにも、
やっぱ僕は作品に触れていないと終わっちゃうんです。
体を休めることに本気を出すか、
心を休めることに本気を出すか
このラインが未だによく分かりません。
休めるにしてもこの場所は、東京だ……

では、また!

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