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隔離期間に振り返る、弟子屈での2年間

僕は今、今までの人生で断トツで人口が少ない町に住んでいる。

でも不思議なことに。
人生で断トツに人と出会い。人に支えられ。人と向き合いながら。
この地で豊かに生きている。

新型コロナが来て、人と触れ合うことを制限され、我慢や自粛。
この2文字が正義を振りかざし続けている世の中を多くの人が生きている。

でも不思議なことに。
僕は今、今までの人生で一番多くの挑戦と発見に包まれた時間を過ごしている。

最多感染者数更新、統一教会、国葬、ワクチン接種・・・

これまでの人生でずっと住んでいたアスファルト王国で起こっている出来事が、どこか遠くの物語のような感覚にも襲われていた。

今は、隔離部屋の中でたった一人。

倦怠感としつこいくらいの喉の痛みを感じながら『新型コロナ』という。どこかテレビの中の事象じみたものにやっと出会えた・・・そんな気もしている。

昨日のことも思い出せないくらいの速度で走り抜けたこの約2年間。
ずーっと書くことを避けてきたというか・・・
書く時間すら設けられずにいた中で・・・

やっと今になって振り返ることができそうなので振り返る。

やらされ仕事だったら間違いなく過労死しているであろうスケジュール表

今、何をしているの? 

今、一番答えに困る質問でありながら、一番聞かれる問いでもある。

詳しくは上記の記事で言及しているが、答えとしては・・・

『個人事業主として地域おこし協力隊の活動を続けながら、それ以外の分野は会社の代表として事業を展開させています。』

地域おこし協力隊の制度は、総務省や国も力を入れていて、多種多様な働き方や支援が増えてきている。私も当初は役場の会計年度任用職員(準公務員)として半年間働いたが、今では弟子屈町役場とは雇用関係のない(独立状態にある)個人事業主として活動ができている。

これによって、行政内のルールに囚われることなく民間的視点や速度で行政と連携しながら円滑な活動を形にすることが可能になっています。

個人事業主としての活動を続ける中で事業の範囲が多岐に渡り、さらには補助事業なども引き受けることが増えてくることが予想できたため、今では法人を設立し法人の代表としても活動の幅を広げ続けている。

競合がいない

これはピラミッド型の社会で生きてきた自分にとっては、根底から全てが覆された事実。

地方における20〜35歳。
ここの世代は圧倒的に不足していて、地元で育った多くの若者はみんな上京している。だからこそ、ここの世代で地域で挑戦しようとする人は本当に少ない。

個人的にはこの世代は何をしようが、そもそも『生きてるだけでありがとう』の世界線。町の経済、未来を考える上でもこの世代の僕たちが明るく元気に今をこの地で生きているだけで『地域の希望』になりうることを身にしみて感じている。

競走やライバルの存在は自己成長する上で、とても大切だし切磋琢磨しあえるからこそ新たに生まれるサービスや価値はたくさんある。
ただ個人的には、そういった環境での学び以上の学びや人間が大切にしたいものが地方には散りばめられている気がする。

これはどちらが良い悪いの話ではなく。
どちらかというと適材適所の話であり結果や成果が第一主義の世界線にどこか疑問符を感じている人とかは、間違いなくこっちの世界線を若い時期に体験するべきだと感じている。

小中学校の友人でシェアハウスをしている高橋くんのウエディングフォト事業が顕著な例で、好きが仕事になるって本当に素晴らしい!!

もっとやりたいことがあるのになあ

最近、現場(地域)の疲弊感を感じることが増えてきた。

ネガティブな表現になってしまうがやはりここは否めない。
完全に拡大期に入ってるからこそうれしい悲鳴ではあるのだが。
やりたいこと。やるべきこと。
どちらの局面から見ても最終的にぶち当たる。圧倒的な人的リソースの不足。

いまだに『地方でやりたいことができるのかい?』みたいな質問を受けることがあるが。
蓋を開けてみれば、若い世代だからできること。
若い世代だから、頼られること。
期待をしてもらえることに溢れている。

ただ、日々こうした状況下の中で今はとうとう一人では何もできない。
もっともっと多くの力を借りたいという思いが日に日に強まっている。

これは自分にとっても大きなターニングポイントで、これまではどうしても自分だけでやろうとしてきてしまうことが多かった。
自分一人では限界が来ることも頭ではわかっていても自分で動き出してしまう。
そんな自分自身との脱却の時がいよいよきているような感覚だ。

ちゃんと人を信じて、託すこと。

2年間活動してきた中で今思うこと

この2年間、一メディアとして広く薄く『弟子屈町』という文字に関わる人や場所に顔を出してきた自信があります。

組織や所属に囚われず、自由に活動をさせていただく中で、多くの方と話させてもらう中でも、薄く広くという意味では多くの情報に触れさせてもらっている。

でもだからこそ、細分化する地域の課題や現状を前に呆然と立ち尽くしたくなることもあります。

自分が触れる世界や関わる人々、産業が増えれば増えるほど
改めて政治というものの難しさを痛感している。

Aというコミュニティで過ごす時間が増えれば増えるほどA案の魅力を感じて実践へという気持ちが強くなるがBというコミュニティの皆さんの意見を聞けばBというアイデアの魅力も感じる。
AもBもどちらも間違った意見でもないし両者とも魅力はあれど、どちらとも組み込もうとすればなんともパッとしない折衷案であるC案みたいなものが生まれていたりもする。

色々な意見や考えがあれど、最終的には決定権を持つ人間がしっかりと方向性を定め実践する。

色々な分野で活動する人たちに触れ合い自分も当事者として活動させてもらう中で強いて課題感を挙げるのであれば・・・

『町の現状がほとんどの町民に届いていない。』

ここに突き当たります。

これは僕の視点から見て届いていない。という見方もあれば、もう一方、町に住んでいる住民の皆さんの立場から見ても町や行政に届いていない。という見方もできます。

先日お話を伺った第一次産業の従事者の方のお話

町は廃れていく一方でお金も稼げていない。みんな疲弊していっている。
現場の声に耳を傾けようとしない。自分たちのピンチと向こう(行政や農協)が感じる解決案がずれまくっている。助けてもらおうとも思ってないし、向こうは結局は金稼ぎと利権争い。

ここに挙げた言葉はごく一部だけれども・・・

街や自分が住んでいるコミュニティへの未来に全く価値を見出していない人にも出会う機会は結構多い。
でも意外とそうした方々は、ふるさと納税の今の弟子屈の寄付額を知らなかったり、このコロナ禍で弟子屈町に移住をしてくる人がいることすら知らなかったりする。

町のポジティブな要素もしっかり認知した上で、でもやっぱりネガティブにならざるを得ないなら仕方がない。でも、僕がこれまで触れ合ってきた方々を総合的に判断すると。圧倒的に情報が届いていない。そもそも知らない。

ポジティブになれるきっかけがあるのかもしれないがそもそもそこに触れる機会がない。

こういう時が一番なんだかもどかしい。
ちゃんと知ってもらうこと。ちゃんとお互いの置かれている現状を知ること。

その上で議論のテーブルにつかなければ、そもそも議論も何も成り立たない。ただの否定と文句のぶつけ合いになってしまい。
そこからは何も生まれない。

1人1人の意見に耳を傾けるなんてことは突き詰めれば不可能だし、傾け始めたら何も埒があかない。そんなことは言われなくてもわかっている。
ただ、今の自分はここと向き合い続ける時間と立場があると思っている。
情報を発信する立場になればなるほど、実は意外と見える世界が狭くなってきていて、誰のために発信なのかも曖昧になることがある。

だからこそ、27歳を迎えた今。

今一度自分の現在地を俯瞰しながら

今この地で生活をする人々の見えない声と向き合い続けたい。