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衝撃と嫉妬と興奮、そして覚悟を僕にくれた一冊。

道東・弟子屈町での新生活が迫る中、なぜ自分がアナウンサーを辞め、弟子屈を次なる拠点に選ぶのか。

なぜ自分は今の選択をしたのか、決断をしたのか。

色々な方面から頭の中を整理した時に...

やはり、この一冊の本の存在を意識しないことはなかった。

その本こそ、「.doto」だ。

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道東のアンオフィシャルガイドブックと呼ばれるこの一冊は、一般社団法人ドット道東の皆さんを中心に道東で様々な活動をされている方々の協力の下で制作されたとのこと。
制作に際して実施したクラウドファンディングでは、398人の支援者、総額3346941円もの支援金を集めている。

内容は多岐にわたり、本書に目を通した暁には
きっと「行ってみたい」「知りたい」「会いたい」という欲求が湧きたつような素敵なガイドブックになっている。

自分自身、学生時代から地域活性化や地方創生事業には興味があったので、こうしたガイドブックや雑誌を目にすることはこれまで多々あった。

「普通の」といったら失礼だが「普通のガイドブック」だったら上記のような感想を抱いて終わっていたかもしれない。

ただ、「.doto」は違った。

今思い返せば、この本にこのタイミングで出会っていなかったら、僕は今の選択をしていなかったかもしれない。

衝撃

「.doto」の皆さんや本に出てくる一部の方々は、札幌での五輪マラソン開催の際に生まれた「#札幌discover」の一連の動きや「NoMaps」などを通して知っていた。

そうしたタイミングを機に勝手ながらSNSをフォローさせてもらい、時々タイムラインで流れてくる本の制作過程や道東で起こるムーブメントを横目に過ごしていた。

いや、実は心の中でずーっと気になっていたのかもしれない。

数年後の未来すら読めない、めまぐるしく物事や価値観が変化する中で終身雇用といったこれまでの当たり前が崩壊し、社内における出世や地位の獲得などには若い世代は目もくれない。

フラットかつボーダーレスに人と繋がれる世代を生きてきた多くの20代は「経済的な豊かさより人間的な豊かさ」を追求し始めている。

生活の資が向上した「今」を生きる中で「公意識」を持ち合わせた若者は比較的多くなってきているような気がする。
(あくまで個人的な見解だが..)

「地域のために」や「身の回りのために」といった意識に対して「~なことやれたらいいね」「~やりたいよね」という会話はよく耳にする。

ただ、普通は机上の空論で終わることがほとんど。

だからこそ、「.doto」を読んで僕は「衝撃」を受けた。

「並大抵の努力」、「想い」、「志」、「賛同者」がいなければ、実際に、あそこまでの本を制作する事はできないと思う。

嫉妬と興奮

大企業に入ることが成功だった時代がとっくの昔に終わり
「起業」は当たり前、「個」としての影響力にスポットが当てられている時代の先に「寄業」ブームがやってきている。

「寄業」とは、一つの志に共鳴するスキルやノウハウをもつ者同士が、その時々に寄生し、世の中に価値を提供する動きのことをいうらしい。

確かに、企業に所属することはもう当たり前ではなく
何かを「所有、独占すること」から「共有すること」の方が大切になってきている。

そうした中で
この一冊は、まさにこうしたムーブメントの賜物であると感じた。

(こんなこと言ったら怒られるかもしれないが..)
この本を読んでいるうちに、訪れたこともない「道東・オホーツク」に対し
「一読者」としてというより「一当事者」であるような感覚にも襲われた。

「すでに目に見えない大きな何かが北海道の右側で動き始めている..」
この現実を知った時、僕は不思議と「嫉妬」していた。
同時に「興奮」もしていた。

(何も関わっていない僕なんかが言えることではないと思うが....)
制作に携わった皆さんは、きっとこの一冊を作ることがゴールではないだろうし、この先のこともきっと考えられているのだろうなと思う。

さらに、この一冊をきっかけに新たな一歩を踏み出す勇気を貰った人たちが増え、更なるムーブメントもうまれてくると私は思う。

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覚悟

帰省する度に、シャッター街が増え続けるふるさと。
小6での転校を機に感じた、リアルな地域格差。
日常をすべて奪っていった、東日本大震災。
大都会で4年間過ごす中で感じた、地方の可能性。などなど。

「いつかは地方創生に携わりたい」

ぼんやりとしていたこの思いが

マスメディアにおける一取材者という視点から見えた景色。
実際に道内各地を練り歩いて見えた景色。
課題先進地といわれる北海道で住む中で見えた景色。
「.doto」という本に出会って強くこみあげてきた思い。などなど。

色々な景色や思いが掛け合わされた先に、
自分の中では確かな「覚悟」にも変わっていた。

この「点(ドット)」が、これから先。

どんな「線、面、球」となっていくのだろうか。

傍観者でも、目撃者でもなく、一人の北海道の東側に住む当事者として。

この先の未来を見届けたい。