川上椋輔 (アナウンサーから地域おこし協力隊)

アナウンサーを辞めて、地域おこし協力隊へ。 北海道の右側、道東弟子屈町、道東テレビで活…

川上椋輔 (アナウンサーから地域おこし協力隊)

アナウンサーを辞めて、地域おこし協力隊へ。 北海道の右側、道東弟子屈町、道東テレビで活動。空き家4軒運用。情報発信の延長にある町おこし。 経歴: 横浜国大卒 →UHB北海道文化放送アナウンサー →弟子屈町地域おこし協力隊・合同会社BASECAMP TESHIKAGA 代表

最近の記事

テシカガ未来会議、始めます。

地方の教育格差私の価値観形成で大きなきっかけをもたらした要因の一つです。 宮城の田舎町で育った少年が小学校6年生で転校した先は『研究学園都市・つくば市』でした。 #ちなみにここで高橋くんと出会っています 研究者や医者の子供、中学受験は当たり前。 京大東大、医学部進学なども見据える同世代がいる環境で過ごした3年間。 つくばにいる時は感じなかった、『当たり前の環境』が中学3年生で地元の宮城に転校で戻った時に『当たり前ではなかった』ことに気がつきました。 #学力という指標に限

    • 隔離期間に振り返る、弟子屈での2年間

      僕は今、今までの人生で断トツで人口が少ない町に住んでいる。 でも不思議なことに。 人生で断トツに人と出会い。人に支えられ。人と向き合いながら。 この地で豊かに生きている。 新型コロナが来て、人と触れ合うことを制限され、我慢や自粛。 この2文字が正義を振りかざし続けている世の中を多くの人が生きている。 でも不思議なことに。 僕は今、今までの人生で一番多くの挑戦と発見に包まれた時間を過ごしている。 最多感染者数更新、統一教会、国葬、ワクチン接種・・・ これまでの人生でず

      • 地域おこし協力隊制度を日本で一番有効活用している!?元アナウンサーの話。

        自分で言うのもなんだか少し恥ずかしいタイトルをつけさせていただきました。 でも、地域おこし協力隊の制度を使わせていただいている身として、何か地域で新たな活動を踏み出そうとしている方々の選択肢の一つとして 『地域おこし協力隊』制度の運用例としても楽しんで頂ければと思います。 簡単な自己紹介はこちらから・・・ <着任半年>役場の職員として活動することの限界着任当初は会計年度任用職員として活動がスタートしました。 町の公式YOUTUBEチャンネルの運用を任され地域を縦横無尽に駆

        • 嫉妬しまくってたあの頃の自分へ告ぐ。

          〜今日から1ヶ月間のNHK密着取材が始まります!〜 嫉妬しまくったあの番組一昨年、唇を噛み締めながら、かつ嫉妬心メラメラでテレビの前で釘付けになって試聴した番組がありました。 その名も「ローカルフレンズ出会い旅」です。 NHKアナウンサーがあらゆる地域に入り込み、地域の住民が先導されるがままに取材を続ける番組でした。道内各地で行われ、SNSでは #ローカルフレンズ ブームが巻き起こる・・・ https://www.nhk.or.jp/hokkaido/articles

          情報発信はゴールじゃない

          新年のご挨拶あけましておめでとうございます。 何はともあれ、日頃よりご支援いただいている皆様とこうして新たな年を迎えられたことをとても嬉しく思います。 昨年は一言で語ることなど到底できない『我慢、葛藤、自粛』に包まれた一年だったと思います。そうした中で、気づかぬうちに変化する『当たり前』や『価値観』と向き合い続ける一年間となりました。 そうした延長上で、一個人としては、2年半務めた北海道文化放送を退職し、10月から弟子屈町地域おこし協力隊に着任し、北海道の右側にある道東の

          『多分、今の自分には肩書きと若さしかない』って話。(移住して1ヶ月目)

          移住して感じること11月5日。 転職して(弟子屈町に来て)1か月が経った。 冗談抜きにして今までで、一番 "長くて" 濃密な1か月間だった。 今までの当たり前があっという間に覆されるような生活リズムや生活環境の変化が起こっている。 例えば・・・(ごく一部だが)​ 〇夜は22時睡眠 朝が6時起床 〇シャワー生活→天然温泉に浸かる毎日 〇朝8時45分出社で夕方5時15分退社                〇飲み会があっても1次会が終わるのは8時前 〇同年代との会食はノンア

          『多分、今の自分には肩書きと若さしかない』って話。(移住して1ヶ月目)

          僕はあの日。北海道を離れないと決めた。

          今回は、なぜ僕がセカンドキャリアを道東・弟子屈町、そして道東テレビに決めたのかという話。 「人生はタイミングとご縁だな」という内容になっていると思います。 北海道を1度出ると決めてから実は、UHB北海道文化放送からの退職を決意した当初は、学生時代に縁があり、地域ベースで様々な取り組みを行う鎌倉市で宿泊施設の運営をしながら鎌倉の街づくりを学ぶ予定だった。 そのための準備や鎌倉に住む方々に連絡を取る日々を過ごしていた。 そうした中で、たくさんの学びと気づきをくれた北海道をすぐ

          僕はあの日。北海道を離れないと決めた。

          衝撃と嫉妬と興奮、そして覚悟を僕にくれた一冊。

          道東・弟子屈町での新生活が迫る中、なぜ自分がアナウンサーを辞め、弟子屈を次なる拠点に選ぶのか。 なぜ自分は今の選択をしたのか、決断をしたのか。 色々な方面から頭の中を整理した時に... やはり、この一冊の本の存在を意識しないことはなかった。 その本こそ、「.doto」だ。 道東のアンオフィシャルガイドブックと呼ばれるこの一冊は、一般社団法人ドット道東の皆さんを中心に道東で様々な活動をされている方々の協力の下で制作されたとのこと。 制作に際して実施したクラウドファンデ

          衝撃と嫉妬と興奮、そして覚悟を僕にくれた一冊。

          夢だったアナウンサーを辞めて、これから。

          まずは今後に関して。 10月から北海道の道東にある「弟子屈町」の地域おこし協力隊として活動していきます。 今後の活動に関し本当に大まかに伝えると、津別町を中心に活動されている「道東テレビ」さんのお力をお借りしながら弟子屈町のシティプロモーション事業を皮切りに様々な活動をしていきます。 アナウンサーとしての最後の配信で「まだまだ北海道で頑張りますよ!」の一言だけ残して北海道を離れたので様々な憶測が飛んでいましたが・・・ 10月からは道東の弟子屈町に住んでいます。 「弟子

          夢だったアナウンサーを辞めて、これから。