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僕はあの日。北海道を離れないと決めた。

今回は、なぜ僕がセカンドキャリアを道東・弟子屈町、そして道東テレビに決めたのかという話。
「人生はタイミングとご縁だな」という内容になっていると思います。

北海道を1度出ると決めてから

実は、UHB北海道文化放送からの退職を決意した当初は、学生時代に縁があり、地域ベースで様々な取り組みを行う鎌倉市で宿泊施設の運営をしながら鎌倉の街づくりを学ぶ予定だった。
そのための準備や鎌倉に住む方々に連絡を取る日々を過ごしていた。

そうした中で、たくさんの学びと気づきをくれた北海道をすぐ離れることへのうしろめたさ。
観光地として確たる地位を築く鎌倉と日本の地方が抱く問題のギャップは明確であり、果たして自分は鎌倉でどこまで満足のいく経験を積めるのか。

他にもいくつかあるが端的に言うと。
離れることが現実味を帯びてきた「北海道」への思いが
日に日に強まっていた。

そんな中で迎えた忘れもしない、夜がやってきた。

7月22日の夜

僕が一番大好きな番組・笑ってこらえての『日本列島ダーツの旅』を見ていると、テレビの先には、ダーツの旅に出演する道東テレビ代表・立川さんの姿があった。

※新型コロナウイルスの影響で全国でロケができない中、全国に散らばる元スタッフの力を借りて番組制作していた。道東テレビ代表の立川さんもまた、かつてダーツの旅のADをしていたとのこと・・

立川さんとは、社会人2年目の時に参加した「NoMaps」というイベントで出会い、夜の懇親会でもお話を伺いfacebookでつながっていた。

僕が所属していたテレビ局は、北海道のマスメディアとはいうものの
正直なところ、視聴率に反映される視聴者数が圧倒的に多い札幌圏の情報発信がメインになり、マンパワー的な部分からも、甚大な自然災害や事故が起こらない限り、広大な北海道全域を網羅する力は、今の民放局にはなかった。

日々の業務に取り組みながらも、こうした現実に唇をかみしめる中で、津別町を拠点に活動している「あなた輝く町テレビ・道東テレビ」の取り組みには嫉妬心すら覚えていた。

情報が世の中に満ち溢れ、表面上の情報には何ら価値が生まれなくなってきた、今。

「道東テレビ」の取り組みは、点で終わらない取材であり、取材の先に形成される繋がりがあり、そして、その繋がりが地域の結束を生み、新たなアクションを生む契機となっていた。

ただの情報発信ではなく、コアな繋がりとストーリーを生み出す。
インターネットの自由化が誹謗中傷を生み、SNSの閉鎖化が始まり。
個の時代が終焉を迎え、村化するコミュニティを人々が求め始めた、今。 

「道東テレビ」の取り組みに僕は大きな可能性を感じていた。

あの日から、常に「立川さん、道東テレビへの思い」がずっと僕の心の片隅にあった。

「ダーツの旅」や「.doto」の記事を通し、「立川さん」や「道東テレビ」への興味関心が強まる中。

転職を決意し、すでに轢き始めたレールの上で行動する自分を否定したくない気持ちもあり。

僕は、道東で起こりうる事象に対しては、傍観者でしかなかった。

7月28日の夜

通常業務を終え自宅に歩いて帰る途中、道東テレビの活動を長谷川岳総務副大臣が視察に訪れたという立川さんの投稿を発見。

個人的にずっと気にかけていた活動が気づかぬうちに国も着目する事業になってきていた。

涼しい風が吹く、夏の札幌。視線の先にはライトアップされた大倉山ジャンプ競技場。

たった2年半でも濃密な時間を過ごした北海道での思い出、出会った方々の表情が一気にフラッシュバックしてきた。

気が付くと、僕は自然発生的に立川さんにメッセージを送信していた。

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ここで一つの奇跡が。
すぐさま帰ってきた返事には偶然にも1週間後に仕事の都合で家族と一緒にで札幌近郊にやってくるとのこと。
無理も承知で、僕は何としてもお会いしたいと願い出た。

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ここでさらに、もう一つの奇跡が....
立川さんと会う約束をした直後、津別町の情報収集を始めていると
なんと津別町の横に位置する弟子屈町で地域プロモーション部門の「地域おこし協力隊員」の募集があったのだ。

エントリーの申込期限は7月31日。
立川さんに連絡した、この日は、7月28日。

体中にびびっと電気が走った。あの衝撃は今でも覚えている。
気が付くと僕はすぐにエントリー用紙を記入していた。

(後々、判明することだがこの募集は道東テレビの事業を本格的に弟子屈でも行うため、立川さんも募集に携わっていたとのこと)

8月6日 小樽の夜

2週間後、小樽で立川さんに再会。
この時にはすでに自分の心は決まっていた。

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立川さんのこれからのビジョン、そして日本の地方、道東・北海道が持つ可能性。聞けば聞くほど、興奮を覚えた。

同時に自分の中で感じていた北の大地への思い、北海道を去ることへの葛藤など、うまく言語化できていなかった感情がすべてパズルにはまっていくような感覚を覚えた。

あっという間の2時間。
小樽ビールの中身が底をつく直前、最後に立川さんに伝えたこと。

「立川さん、僕を弟子入りさせて頂けませんか・・・」

数秒の沈黙が訪れ口を開いた立川さんの口から出た言葉は

「一緒に盛り上げていきましょうよ!」。

何者でもない自分の言葉を真摯に受け止めてくださった立川さんの柔らかい笑顔の中にぶれない凛とした志のようなものが見えた。

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自分の本音を打ち明ける緊張感で乾ききっていたのどを
最後に残った小樽ビールが潤してくれた・・・

全ては必然

もしも、NoMapsの懇親会に一人で足を運んでいなかったら。
もしも、鎌倉でのセカンドキャリアを決断し退職を申し出た自分がいなかったら。
もしも、あのタイミングで立川さんが「ダーツの旅」に出演していなければ。
もしも、あの夜自然発生的に立川さんにメッセージを送っていなかったら。
もしも、立川さんがあの日札幌に来る予定がなかったら。

もしも、新型コロナウイルスの猛威が日本を襲っていなかったら。

いくつもの「もしも」が掛け合わさるたびに。
あの小樽の夜が「偶然」ではなく「必然」であったのだと感じている。

その一方で、いくつもの準備を進めてきた中でのこの決断。

挑戦を応援してくださった会社の皆さん。家族、そして何より鎌倉にいる関係者の皆様にはたくさんの迷惑をかけた。
こうした方々の思いも蔑ろにしない未来を迎えられるよう、次の新天地ではがむしゃらに行動していきたい。

改めて・・・

「全ては必然」

自分の人生は、決断の繰り返し。

悩むことも、逃げることも、焦ることも、失敗することも多々。

それらの一つ一つの決断の先に「今」があること。

「今」を否定することは過去の自分を否定することにつながる。

「全てが必然」と思えた先に「今」があることへの「感謝」が芽生える。

これから先「弟子屈(てしかが)」・「道東テレビ」でどんな決断が待っているんだろうか。

「今」があることへの感謝を忘れず。

悔いのない人生のファンファーレを鳴らし続けたいと思う。