見出し画像

コンテンポラリーダンスのチケットをなぜ買おうと思わないのか、バレエファンが考えてみた。


コンテンポラリーダンスのチケット販売については、売れない団体が多いのではと思います。自分もクラシックバレエのチケットは死ぬほど買うけれど、コンテンポラリーのチケットは、親に頼んで買って貰ったシルヴィ・ギエムしか記憶に無いです(ラッセル・マリファントだったかな)。

しかし先日Youtubeでピエトラガラのインタビューを見て、コンテンポラリーだって面白いものはあると思い直し、1人の観客としてなぜ自分が日本のコンテンポラリーに興味を持てないのか、なぜチケットを買わないのかを考えてみました。

なぜ私はコンテンポラリーのチケットを買おうと思わないのか

古典で成果を出せなかったダンサーの逃げ場になっている気がするから

日本のコンテンポラリーを見たいと思えない1番の理由がこちらです。
たまたま私が見たものがそうだっただけかもしれません。今まで何度か日本人ダンサーのコンテンポラリーを見てきましたが、クラシックバレエの基礎がなく、ただストレスを発散するかの如くクネクネバンバン体を動かしている人が多い気がしました。何を伝えたいのか意味不明ですし、基礎がなっていない動きを見せられるのは正直厳しいです。

もちろん好みの問題もあるかもしれませんし、森山開次さんや二山治雄さんのように圧倒的なカリスマ性や身体能力があるなら何をやっても受け入れられるかもしれません。しかし世の中の大多数は彼らのようなカリスマ性は無く、また彼らほどの基礎訓練の積み重ねも無いでしょう。
ダンサーがコンテンポラリーで観客を魅せるには最低限かつ相当の技術が必要だと思います。抽象的で分かりにくいからこそ、基礎がなっていないと観客にはただの変な動きにしか見えません。
少なくとも、今まで私が見た中では、日本のコンテンポラリーダンサーは古典の重要性を軽視している人が多く、自由な表現という言い訳のもと、基礎(型)がなってない、型崩れみたいになっているなあと思います。

これはコンテンポラリーでなく、モダンバレエの話になってしまいますが、パリ・オペラ座のエトワールだったマリ=クロード・ピエトラガラは「古典とモダンの間には境界も障害もない。古典かモダンかにこだわってはダメです」と述べています。これは一見モダンの重要性を説いているようですが、彼女には古典のものすごい技術と積み重ねがあります。この言葉にはモダンだけでなく、同じくらい古典の重要性を含んでいるはずですし、コンテンポラリーであっても同じだと思います。

また、こちらはウィーン国立バレエ団でデミソリストとして踊っている中ノ目知章さんの動画ですが、ダンサーとしての就職に関しても、コンテンポラリーの重要性を説きつつも、クラシックの重要性も述べられています。
ちなみに動画の中ノ目さんは、非常に論理的な方でどの動画も見ごたえがあるので、オススメです。

なぜコンテンポラリーのチケットは売れないのか、考えてみた

結論から言えば「特に日本では需要がない」の一言に尽きると思います。

ダンス界だけでなく、一般社会であっても、需要がないところに売上・給与が発生しないのは、当たり前のことです。
何が言いたいかというと、一般社会に生きるサラリーマンであっても、生きるためには「やりたい仕事」ではなく「必要とされる仕事/稼げる仕事」に自らをフィットさせていくことが求められます。転職や職種変換の経験がある人はこの大変さと必要性がよく分かると思います。

日本ダンス界でコンテンポラリーダンサーの需要がないわけではありませんが、クラシックに比べるとバレエ団からの需要も、観客からの需要もかなり低いと思います。チケットを売って収入を得るためにも、まずは全ての基本となるクラシックを極め基盤を固めることが重要かと思います。その上でコンテンポラリーの道を模索していかないと、売り上げだけでなく、観客も付いてこないのではないかと思います。

長くなりましたが、1人の観客として、コンテンポラリーダンスのチケットを買おうと思わない理由を書いてみました。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?